「魔法がなくても」-1




恋をすると馬鹿になるものだ。
元猫のシロも、そしてあの相手の人間もだ。
それから、遥か昔の自分もだ。
夢中になって、それしか考えられなくて。
それで幸せと言うのだから。
私はもう恋なんてするつもりはないから、そんなのは理解出来ない。
相手のために己を犠牲にしたり、傷付いたり、 何が楽しいと言うのだ。
辛いだけではないか。
永遠なんて、保証されている確実なものでもないのだ。
見えないものなのに。
わからないな。わかるわけがないだろう。
もっとわからないのは、こんな処にいる、自分だ。


「どうして……。」

どうして私は今、人間界などにいるのだ。
もう、人間とは関わりを持つのは御免だった筈だ。
人間なぞ嫌いだ。
私達を簡単に捨てるではないか。
私は何度も、疑問を呟きながら、その、大嫌いな人間界の道を歩いていた。
そうだ、もしも恋が成就したとしても、また捨てられたら、惨めなだけだろう。
己を愚か者と思い知る、それだけだろう。


『銀華、愛してる』

そう、言ったではないか。

『ずっと傍にいてくれないか』

そう、言ったではないか。
大嘘つきだ。
私は身も心も、捧げたのに。
お前の為に、人間の姿にまでなったのに。
薄れることのない、その人間の姿や、声、体温までもを、 脳内で描いた。


―――――どんっ!!


「――――っ!!何をするっ!!」
「うわっ!」

あ――――…‥。
嘘だ…‥。
路上に叩き付けられた私の視界に、一人の人間の姿が飛び込んで来た。
飛び込んで、一杯に広がった。


「あんた危ねーよ。ボケっと歩いてさ。」
「………‥‥。」

その人間に、強い力で腕を掴まれた。
私の心臓は、破裂するのではないか、という程速度を上げた。


「何?あんた外人?いや、今日本語喋ってたよな…。」

などと言われてもなお、言葉を発することが出来ない私の顔が、至近距離で覗き込まれた。


「おい、大丈夫かー?」

似ている。 私を捨てた、あの人間と。
初めて逢った時、感じてしまった。
二ヶ月前、シロとその相手の人間の処へ、魔法を解きに行った時だ。
今の様に、強く掴まれる、感触が。


「それにしてもすっげぇ髪だなー。それ地毛?」
「今…‥。」
「へ?」
「今、呆けと言ったな。私を一体誰だと思っているのだ。」

私は心ないことを言われたことを思い出し、立ち上がりきつく睨んだ。
私はそんな歳ではない。 まったく、心外だ。


「ぷ…‥。」
「な、何が可笑しい!」
「いや、あんた、えらい綺麗なのに、言葉遣いが面白くてさ。」
「ふざけるな!だから私は人間が…‥、あ、れ…。」

急にその視界がぐるりと回って、再び路上へ落下しそうになった。
寸前でまたも腕を、いや、身体ごと支えられた。


「おいおい、なんだ、どうした?」
「…‥が‥。」
「は?聞こえな…。」
「腹が…空いて…‥。」

情けないことに、私はここ数日何も食べていなかった。
この人間に今逢って、緊張か何かは知らないが、その糸が切れてしまったようだ。
こんな姿は、決して従猫達には見せることなど出来ない。


「あんたやっぱり面白いな。」
「笑うなと…、言っただろう…。」

そんな言葉を口にしながらも、私は独りでは立っていることは出来ない。
私より僅かに背が高くて、広い胸の中にいる。
私が、探していた…‥。


「あんた名前は?」
「銀華だ…、ぎんのはな、と書く…。」
「綺麗な名前だな。」


そう言って微笑った、藤代洋平という人間の。








/next