「魔法がとけたら…」-2




「おーい、いるかー?」
「誰だろ…。」

ドアを叩く音と、聞き覚えのある声がする。
シロ! 出なくていい!
祈るようにして呟いたけれど、シロに聞こえるわけもない。

「いねぇのかよー?」

だからいねぇから帰れよ。
ドンドンドンドンって、そんなに叩いたらぶっ壊れるだろうが!


「はいはーい、今出ます。」

あぁ〜、シロー!
ガチャリとドアが開けられる。
猫の姿の俺は、心配でシロの後ろについていく。


「んだよ、いるならさっさと出ろよ兄…貴…?じゃねぇよな。」
「あのー…?」
「あれ…俺、部屋間違った…いや、間違ってないよな?」

シロが不審そうにそいつを見つめている。
訪ねて来たそいつは、キョロキョロ見渡して俺の部屋だと確認している。


「っていうか、あんた…誰?」

シロ! 変なこと言うなよ!
亮平の恋人、とか。
いや、まぁ、言いふらしたいのは…俺もだけど。


「あのっ、オレ、し、史朗って言って亮平に拾われて…。」

シロ。
お前にしちゃ考えたかもしれないけど…やっぱり変だぞ、それは。
しかもなんだその安易な名前は。


「ふーん、そうか。」
「あの…、お兄さんは?誰?」
「ここの藤代亮平の、弟だけど。」

こいつが単純バカでよかった!
ぶっ、お兄さん、とか言われてやんの。
そう、そいつは俺の、実の弟だったのだ。
それで何照れてんだ、あいつ。
まさか…‥。
あいつ、シロに惚れた、とかじゃねぇよな…。


「あ、ところで兄貴は?」

しまった、そう来たか。
シロ、頼むから、なんかいい言い訳してくれよ!
俺は目を閉じて祈る。


「亮平はー…、ちょっと今、入院してて、オレが留守番してるんだ。」

よし、言い訳成功!
シロ、よくやった。


「あ、じゃあ見舞い行くかな。案内してくれよ。」

よく…やってねぇ。
どうすんだよ。
俺はシロに隠れてあたふたする。


「やっ、あの、それがその、お見舞いはダメなんだ。」
「なんだ、そんな重体とかか?病気か?」

ダメだ…‥。 もう、ダメだ。


「いやっ、違う、あの、頭怪我して、剃っちゃったから、誰とも会いたくないって…ハハハ。」

なんだそれは!
俺ちゃんと髪あるぞ。
そんなん信じるかよ。


「なんだそっか。兄貴ハゲなんだ。そりゃ会いたくねーよな!ははは!」
「そうなんだ、オレも笑っちゃって。」

俺を勝手にハゲにして盛り上がんな!
まぁ、信じてるみてぇだから、いいか…。


「あ、なんか、用事あったんじゃ…?」
「あぁ、実家から食いもん送られて来たけど…、入院してんなら渡しても仕方ねぇしな。」

貴重な食料…なんだってこんな時に。
貧乏にとっちゃ有り難い恵みなのに…。


「あぁ、兄貴になんかあったら連絡してくれるか?これ、俺の携帯な。」

そう言って、素早く書いたメモがシロに渡された。
なんかあったら、なんて縁起でもねぇ。


「あの…これ、なんて読むんだ?」

そうだ、シロのやつ、ほとんど字なんか読めねんだよな。
あの時書いた字も間違っていたし。


「藤代、洋平。」

うちの親も…安易、だよな…‥。


「ところでさ、そのさっきから睨んでる猫、兄貴の?」

洋平はシロの足元を見ていたらしい。
俺は見事に見つかっていた。
いや、俺だとはわからないんだけれど。
俺んちペット禁止なんだよな。


「あー、うん、亮平がエサあげてたら懐いちゃったんだってさ。」
「へぇ。しっかし態度でけー猫だな。兄貴みたいだな。」

エサあげてたら懐いたって、そりゃお前のことだろ。
洋平の野郎…、俺がいない、いや、いるけど、をいいことに言いたい放題言いやがって。


「オレも最初そう思ったんだー。」

シロまで! あぁ、俺、情けな…。


「でもオレ、この猫、大好きなんだ。」

シロは俺に笑顔を見せて、頭を撫でてきた。


「可愛いんだ、世界一。」

うっ…‥。
シロ、シロ…!
お前の方が可愛いよ。 今すぐ抱き締めたい。
なのにそれは、出来ねぇんだよなぁ…。


「じゃあ俺、時間ねぇから、行くわ。」
「うん、バイバイ。」
「あぁ、またな、史朗。」

もう来るな!
シロも手なんか振ってんじゃねぇよ。


「亮平、どうしたんだ?」

不機嫌な俺に気付いてシロが顔を覗き込んで来た。
別に…お前が誰と親しくしようといちいちそんなことで
ムカつくようなガキでもねぇけど。


「あー、食べ物もらえなかったからかぁ。」

違う! それもだけどそうじゃねぇよ!
あーあ、言葉が通じないって、不便だな…。


「今日のご飯…どうしよう…弁当でも買いに…‥あぁっ!亮平っ!!」

シロは突然デカい声を出して、俺を掴んだ。


「バイト…どうしよう…。」

─────!!!
そうだよ、どうすんだよ、こんな姿で。
働けるわけねぇよ。


「と、とりあえず、店に…。」

俺はシロに抱えられて、仕事先へと向かった。









「あれ?お前、亮平んとこのシロだろ?」
「あ、シバサキ…。」
「あれ?亮平はどうしたんだ?あいつ今日出勤だろ。まだ家か?」

ちょうど勤務を終えようとしていた柴崎に見つかる。
言えねぇよな。
実はここにいるんだけど。


「あの!亮平、入院しちゃって、仕事来れなくて。」

シロはしどろもどろしながら必死で説明をする。
ごめん、嘘なんか、つかせて。
純粋なお前にそんなこと、させたくなかった。


「はぁ?何やってんだ、あいつ。」
「だ、だから、仕事、来れないんだ…。」

シロの迫真の演技に、柴崎は心配そうに見ている。


「まぁ、入院なら、仕方ねぇよな、うん…、俺から、店長には話しとくけどよ。」
「あ、ありがとう!」

シロの、笑顔。
俺だけのもんだと思ってた、笑顔は今、別の人間に向けられている。
俺は、シロは俺だけ好きだから、自惚れてたのかもしれない。
シロは俺が好きだから、俺の言うことが正しくて、俺の言うことはなんでも聞くって。
だから、俺がヤりたい時ヤっても、文句は言わねぇだろ、とか。
台詞になんかしなくたって、わかってくれてる。
なのに…‥。
俺は今シロに言葉で伝えることも出来ない。
おまけに、シロは俺がいなくても生きていけないわけじゃない。
俺は…、そうだ、俺の方が多分シロを好きなんだ。


「亮平?帰ろ。」

考え込む俺に、シロはヒソヒソ声で名前を呼んだ。


「シバサキにもらっちゃった。」

シロは、期限切れの弁当を持って、目の前で見せた。


「じゃあな、シバサキ。」
「おー、また来いよ。」

また…。
繰り返す、日常。
その、また、という言葉さえ、今は言えない俺。
当たり前のことが当たり前過ぎてその大切さに気付かなかったなんて話をよく聞くけれど、まさに今がそうなのかもしれない。


「ごめん、一個しかもらってなくて…、亮平、入院してることになってるし。」

シロはおかずを皿に分けていく。
俺、今猫だから、そんなに食えねぇから、二個もらってもどうせ余るけど。


「あ、唐揚げは、亮平の。好きだろ?」

え…‥、なんで…‥。
俺は瞳を大きく開いて見つめた。


「だっていっつも最後までとっとくし。」

見てた、のか。
気付いてた、のか。


「亮平の美味しそうに食べる顔、いつも見てたから。ハイ。」

皿に盛られた唐揚げは、普通の、冷めたただの弁当のおかずで、特別なもんなんか入ってないのに、なぜか目に染みた。









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