「魔法がとけても」-6




『バイバイ、亮平』

夢の中で、錆びれた鈴の音が聞こえた気がした。



「ん…‥‥。」

あぁ、だりぃ。身体、重いな…。
昨日、何回ヤったっけ…。
あんなイったの初めてだ、俺…。


「シロ…?」

あぁ、そうか、あいつ、猫に戻っちまったんだ。
それでもいい、傍にいてくれれば。
俺の隣に寝ていないのに気付いた俺は、床かどこかで寝ているものだと思って、重い身体を起こして、部屋の中を探した。


「シ…ロ…?」

いない。
台所にも、トイレにも、風呂場にも。
シロが、いない。


「何?どこに隠れてんだよ…?」

いない。
シロが、どこにもいない。
何?夢?全部夢だったとか?
そんなわけねぇだろ。
俺、ちゃんとこの手であいつを抱いたぞ…?
台所で考え込んでいた俺は、流しの蛇口を思い切り捻り、頭から目が覚める程冷たい水を被った。
やっぱり、夢じゃねぇよ。
夢なんて思えねぇし、思いたくねぇ…。
部屋の中の押し入れの中なんかにいないとは思ったけど、開けてみようか、と戻ろうとした時、
冷蔵庫にくしゃくしゃの紙きれがマグネットで留めてある。


『いよぅへ、めリかとつ、大好き。 日。』
──りょうへい、ありがとう、大好き。シロ。

平仮名と片仮名と漢字、めちゃくちゃじゃねぇか。
俺じゃなきゃ読めねぇよ、こんなん。
しかも好きな男の名前間違えんなよ。
自分の名前も違うじゃねぇか。
これじゃ、ひ、か、にち、だろうが。


「なんだよ…。」

そんでなんで「大好き」だけちゃんと書けてんだよ。
お前、「ありがとう」が一番言いたかったんじゃねぇのかよ。
バカみてぇじゃねぇか。


「な…んだ…‥、っ…‥。」

俺は息を詰まらせながら、濡れた頭のまま、フラフラ歩いて、久しく開けていない押し入れの戸を開けた。


「‥うっわ…!」

バサバサバサ…、とおびただしい枚数の紙きれが、俺目がけて降って来た。
俺は息が止まりそうになった。


「きったねぇ字…。」

そりゃそうだよな、あいつ、猫なんだから。
字なんか書いたことあるわけねぇし。
俺がいない間、字の練習してたってのかよ。
たった、あれだけの文章書くために。
違う、あいつはバカじゃねぇ、バカなのは俺だ。


「わけわかんね…なんだっつん‥だよ…っ。」

俺はその抱えきれない程の紙きれを胸いっぱいに抱き締めた。
そう、あいつを抱き締めるみたいに。
猫に戻ったら飼ってやるって言ったじゃねぇか。
何、いなくなってんだよ。
人の心掻き回して、消えんなよ。
ふざけんなよ、なんなんだよ。


「シロ…のバカや‥ろ…。」

俺は届くことのない文句を呟く。
ポタポタと滴り落ちる雫は、さっき濡らした頭からじゃなかった。


「シロ…‥っ、‥っく…。」

返事も返って来ることのない名前を呼び続けた。
あいつの残した、たくさんのラブレターにまみれながら。
いつまでもいつまでも、呼び続けた。













「お〜つかれ〜…。」
「うっわ、なんだお前っ。」

仕方なくバイトに行った俺は、驚いた柴崎に出迎えられた。


「あー?何が?」
「何が、って、なんだその死にそーな顔。なんかあったのか?女にフラれたか?そんなんでヘコむタマかよ。」

あぁ、そうか、明美…。
あいつを助けてシロは…。
いや、明美のせいじゃねぇしな。

「いや…、男にフラれた…‥。」
「は??亮平…?」

俺はそれだけ呟いて、バックルームへと向かった。
男に、シロにフラれた。
正確には、置いていかれた、か、逃げられた、そんなところだろうか。


「あぁ、藤代くん、お疲れ様。それ、出しておいてくれる?」
「…‥っ‥。」

店長が指差した先には、俺がたまにシロにあげていた一番安い猫缶も混じっていた。
また、涙が込み上げた。
俺は、自分がこんなに泣く奴だなんて、思わなかった。
それでも男か俺は。
あんなに、あんなに泣いたのに、まだ足りねぇのかよ。


「藤代くん?どこか具合でも…‥な、な、なんだね?
どうしたんだ君っ。な、なんか悪いものでも…。」

いつものように失礼な店長の言葉にも気付かない程、俺は弱っていた。
初めてだったんだよ、こんなに人(いや猫か?)を好きになったのが。













もう、なんだかどうでもいい…。
死んだような毎日。
シロが、いない。
悲しい。寂しい。辛い。痛い。会いたい。
好きだ…。
そんなことばっかり考えながら、あいつがいなくなって一週間が過ぎた、朝だった。
いつものように俺はバイトから真っすぐ家へと帰る。
アパートの階段を昇って行くと、自分の部屋の前に、誰かが寝ているのが見えた。


「あ…?うそだろ…‥?」

俺は目が腫れるぐらい強く掌で擦った。
いや、俺疲れてんだよな、きっと。
あいつに会いたくて、そればっか考えてたから、幻覚でも見てんだ…。


「シ…ロ…‥?」

しかしそれは幻覚でも夢でもなくて、現実だった。
眠っているシロの頬に触れると、柔らかくて、あったかかったから。


「ん…あ、亮平…、おかえり‥。」
「あ…と、ただいま…。」

いや、じゃなくて! 違うだろ!
なんだ?なんだよ? 何が起きたんだ?


「とりあえず、中、入って話聞いてくれよ。」
「あ…あぁ、そうだな…。いや、ここ、俺ん家なんだけどな…‥。」

シロは眠い目を擦りながら、あの時と変わらない眩しい笑顔で、俺を部屋へと促した。






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