「魔法がとけても」-3




「あー、オレ、一回コレ、食ってみたかったんだー、えと、なんだっけ、パ…、パ…?」
「パフェ。」

あれから一週間が過ぎていた。
給料が入って、束の間のビンボーを脱出した俺は、何か好きなものを食わせてやる、とシロに言った。
こいつが来た時金なくて、あんまりいいものを食わせてやれなかったから。
そしたらこいつ、

『あの、あのさ、アイスとか、生クリームとか、フルーツとかが、ガラスの入れ物にいっぱい入ったやつ!!』

とか言うから、二駅離れた街の、喫茶店に来た。
すっげぇ変な奴…。
パフェなんか食いてぇなんて思うかよ。
男のクセに。猫のクセに。
どうせなら寿司とか刺身とか言わねぇか?


「お待たせ致しました。」
「わーい、いっただきまぁ〜す。」

若い女の店員が、注文したフルーツパフェを俺達のテーブルに置いた。
シロは大きな瞳を輝かせて、慣れない手つきでスプーンを持って、一番上のアイスクリームをすくった。


「ありがたく食えよ。」

俺はそんなシロを眺めながら、コーヒーを啜って、煙草に火を付けた。


「うん、ありがとう!!亮平。」
「あ…いや、ま、まぁな。」

なんだよ、調子狂うだろ。
そんな素直に喜ばれて、礼なんか言われたら。
しかもたかだかパフェごときで。
でも、まぁいいか…、こいつの幸せそうな顔見てるのも、悪くはない…よな?


「勿体なぁーい。なんで別れたのぉ?」
「え…、だってさ…。」

シロが飾りの果物に手を付けようとした時、後ろから聞き覚えのある女の声がした。
げ…明美…。
そういやあいつの勤務先、この駅だった…。
いや、待て。
何俺隠れてんだ。別に悪ぃことしたわけじゃねぇし。
そう思いながらも、俺はコソコソと体を縮めて身を潜めてしまった。
幸い後ろの衝立てが死角になってくれて、明美からは見えないみたいだった。


「亮平?」

シロはスプーンをくわえながら、不思議そうに俺を見つめた後、明美の姿を見つけると、黙ってしまった。
何度かシロのいる前、コンビニの辺りで明美と会っていたこともある。
元彼女だということをわかっているらしい。


「彼、顔だけは良かったじゃん。」

あー、ハイハイ、よく言われるよ、それは。


「うん、顔もだけど、優しいところもあったよ。でもさ、やっぱり不安じゃない?21歳で、なんの目的も持たないフリーターって。」

ハイハイ、それもよく言われますよ。


「わかるわかる。やっぱ男は甲斐性がないとね。」

悪かったな、カイショ無しでよ。


「なんかさ、努力とか、頑張ってるトコとか、見たことないもん、あたし。」

あ〜あ、なんかボロクソだな、俺。
まぁ、仕方ないよな…。
繰り返される女達の言葉に、半分へこみそうになりながら、黙っていた。

「おいっ、なんて言った、今?!」
「な、な、誰?きみ…。」

え……?
目の前の大きな声に、驚いて顔を上げた。
シロがスプーンをアイスクリームに突き刺したまま、椅子から勢いよく立ち上がって怒鳴っている。


「亮平がいっつもいっつも頑張ってるの、知らないのか?!ムカつく店長にコキ使われて、休んだ奴の替わりにずっと入ったり。
この間なんか二週間休みナシで仕事してたんだぞっ!それのどこが頑張ってないって言うんだよっっ!!」
「ちょっと何よ、このコ…。誰よ、明美。」
「あたしだって知らないわよ…。」

シロが興奮して一気にまくしたてると、明美とその連れの女は怯えている。
突然知らない奴に怒鳴られたら誰でもそうなるだろう。


「オマエみたいな人間、亮平には勿体ないよ!このバカ!!」

おいおい、そりゃ言い過ぎだよ…。
しかし怒ると恐ぇーな、こいつ…。
やべ、俺まで怯えてどうすんだよ。
他の客だってジロジロ見てんじゃねぇかよ。


「シロ…、もういいから、行こう。」
「でも亮平…っ!オレ…っ!」
「え…、亮平…?」
「ごめん、明美。悪かったな。」

俺は立ち上がって、怒りまくっているシロの肩を軽く叩いて、手を引っ張った。
今になって明美が俺の存在に気付いて、目を丸くしていた。
まさか本人がこんなところで聞いているなんて思いもしなかったんだろう。
一体何に対して悪かった、のかはわからない。
こんな男に付き合わせて?シロが怒鳴って?
なんだか色々ある筈なのに、俺はそれだけ言うと、シロを連れて、金を払って店を出た。









「あのさ、なんでお前が泣くの。」

握ったままのシロの手は、怒っているせいなのか、とても熱かった。
猫だった時も、抱いたりすると元々の体温は高かったけれど。

「だって…っ、あいつ…っ。」
「しょうがねぇよ。ホントのことだし。俺は自分がそういう奴だってわかってるから。それよりパフェ、ごめんな。勿体なかったよな。」

近くの大きな公園に来て、ベンチに座ると、俺はその手を離してシロの頭を撫でた。
そう、猫にするみたいに優しく。
いや、実際猫なんだけど。


「パ…、なんとかはもういいんだ…っ。美幸ちゃんが好きだったから、一回食べてみたかっただけだから…っ。
それよりも亮平のことわかってないあいつがムカついて…っ。オレ悔しくて…っ。」

シロは赤い目を擦りながら、ぼろぼろ涙を流して泣いている。
どうして俺なんかのためにこんな…。


「あのさ、お前よく見てるよな、俺のこと。そんでその、美幸ちゃん、の話もよくするよな。なんで美幸ちゃんに会いに行かねぇんだ?
なんで俺に会いに来た?わけわかんねんだよ。お前…本当は何がしたくて人間になったわけ?」

俺がこの一週間、疑問に感じていたことだった。
今、シロが泣いて弱くなっているのをいいことにぶつけてみた。
卑怯…だろうか。


「それは…。」

シロは顔から手を離して、自分で自分の手を握って、下を向いた。
俯いた頬が、ピンク色に染まっている。


「亮平が、好きだから。だから、会いたかった。」

───え…。
亮平が好きだから?そう言ったのか…?
切なげな声で告白するシロの方を見つめた。


「いつも亮平、あの店長に怒られたりして、愚痴こぼして、
オレが黙って聞いた後、“お前だけだ、俺をわかってくれるのは。ありがとう”って。
だから、オレも“ありがとう”って、言いたかったんだ、ちゃんと、人間の言葉で、大好きな亮平に伝えたかったんだ。」

シロの瞳からはもう涙は消えていた。
泣いた後の腫れた瞼を見ていると、俺まで瞼が痛くなってしまった。

「美幸ちゃんは、もういないんだ。病気で逝っちゃった。会いたくても、もう会えない。
“ありがとう”って、最後まで言えなかった。だから、もう後悔したくなくて。だからオレ亮平に…。」

その横顔は、真剣だった。
そんな風に言われたことなんか、今までなかった。
どうせ顔だけが取り柄の、ロクでもない男だって。
自分でも、諦めてたし。
そんな…、そんなに俺が好きなのかよ…?


「あ、いや、でもホラ、俺もお前も男だし。それにお前は猫なわけだし…。」

俺は動揺して、妙な理屈を並べた。
いやでも実際、本当のことだしな…。
俺はやっぱり、出来れば可愛くて綺麗な女の方がいいしな…。
だって、いくらこいつが可愛くても、あっち、つまりはベッドではどうするんだよ…。
男とやるなんて、なぁ…。
最近欲求不満のせいか、そんなことをモヤモヤと考えてしまっていた。


「わかってる。」
「え?」

いつものように、明るく笑いながら、シロはベンチから立ち上がった。
わかってるなら、なんでそんなこと言うんだよ…。
そんなこと言われたら俺は…。
俺はどうするって言うんだ…?
言われても、どうしようもないだろ。


「会えたから、いいんだ。でも、一応望みは叶えないと猫には戻れないから、考えといてなっ。」

午後の太陽に照らされたシロの白い肌が、笑顔が、やけに眩しかった。
その明るく言い放った言葉が、俺の胸をほんのちょっとだけ、痛くさせた。
もちろんその時は、その痛みの理由なんかわかっていなかった。
だって、お前がいなくなるなんてことも、そうなった時の気持ちも、これっぽっちも頭になかったし。








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