「そらいろ-3rd period」-8





「ん…ふ…っ、ふぁ………あきちゃんー……。」

繰り返されるキスが深くなる毎に、空は溜め息混じりに甘い喘ぎ声を洩らす。
口の端から零れ落ちる生温かい唾液が、空の皮膚を濡らしていく。
首元まで流れ落ちそうになる唾液を俺は舌先で器用に絡め取っていたけれど、もっと空の艶めいた表情が見たくて堪らなくなると、それも叶わなくなる。


「あきちゃ……ふぅ…ん…っ。」

空の目が蕩けそうになって、涙を滲ませていた。
真っ赤になった頬に触れると熱くて、もしかしたら風邪をひいてしまったのかもしれない。
いや…違う、これは俺が今こんなことをしているせいだ。
俺がする「悪いこと」に一生懸命になって応えているせいだ。
してはいけないという罪悪感を背負いながらも、もっとしたいと欲してしまうのはなぜだろうか。
後ろめたさを感じながらも、この秘密めいた行為に異常な程興奮を覚えてしまうのは…。


「あきちゃん…あのね僕……僕…っ。」
「ん…?どうした…?」

せつなげな表情で俺を見つめる空が、何か言いたげに口をどもらせる。
今空に必要なのは広い心で何でも聞いてやることだ。
俺はキスから一度解放してやると、空の話に耳を傾けた。


「僕…あきちゃんが好き…大好きなの…。」
「うん…。」

そんなことは知っている。
それに俺だって空のことが大好きだ。
そんないつもと同じような言葉でも、空の心は常に変化し続けている。
何かを伝えたくて、わかって欲しくて戸惑っているのだ。


「僕にはずっとあきちゃんしかいなくて…それで…。」
「うん…。」
「多分これからもずっとそうだと思うの…。」
「空…。」

キスから解放された空が、ぎゅっと目を閉じてきつくしがみ付いて来る。
俺よりも高い体温は更に上昇を続け、暖房もきいていない部屋なのに全身に汗が滲み始める。


「そういうの…だめなのかもしれないけど…っ、でもどうにもならないの…っ。」
「空…。」

俺は正直言って、参ってしまった。
そこまで空が俺のことを思っているとは思っていなかったのだ。
もちろん俺のことを好きだということは嘘なんかじゃなくて、正真正銘本物の恋愛感情だということは知っていた。
つい今しがた言ったみたいに空が言う言葉も全部本当で、気持ちに偽りなんかないことも知っていた。
俺はまだ15歳の空をこんなにも夢中にさせてしまった。
これからどんな新しいことが待っているのかもわからない、未来ある子供に。
これから新しい恋だって待っているかもしれないのに。
実は俺は、離れたくない離したくないと思いながらも、心の奥底でいつかはそういう日が来るかもしれないと思っていた。
いつか空が大人になって、いや、大人になる過程の中で俺との「悪いこと」に 終止符を打つ日が来るだろうと思っていたのだ。
もちろん望んでいたわけではないし、出来ることなら来て欲しくはない。
だけどもしそういう日が来たら、俺は何も言わずに手放そうと思っていた。
それは俺が唯一出来る、自分が始めてしまった「悪いこと」への償いだと思っていた。


「あきちゃんは僕のこと…嫌いになるかもしれないの…?」
「それは…嫌いには多分……いや、絶対ならないと思う。」
「それならずっと一緒にいちゃだめなの?」
「空……あのな…、俺は…。」

俺はどうすればいいんだ。
嫌いになるわけなんかない。
だけどいつかは…離れなければいけないかもしれない。
それをどう言えば空に伝わるんだ…?
それともまだ言う必要なんかないのか…?
違う…空が聞いてきたのなら、俺は答えなければいけない。
いつまでも「大丈夫」だと言って、誤魔化しているわけにはいかない。
もう前みたいな何も出来ない、何もわからない空ではないのだから。


「あきちゃん、僕は大丈夫だよ…?」
「え…?!」
「僕のせいでもいいよ、僕が悪かったんだって…いつもの空の我儘だって思っても…。」
「空…?どうした…?」

何かを心に決めたように、空は目を開くと俺を真っ直ぐに見つめて来た。
泣き虫ですぐに涙を零す空の目が、今までにないぐらい強くて凛々しい。
そして眩しくて突き刺さる視線が痛くて、俺は思わず目を背けてしまった。


「あきちゃん、自分のせいにしてたでしょ…?」
「空…。」
「自分が悪いって…ずっと思ってたよね…?」
「それは…。」

空の言葉に、俺の心臓はまたドキドキ高鳴り始めた。
空の服を掴む掌には汗が滲んで、喉がカラカラに渇いて、上手く言葉が出て来ない。
いつから気付いていたんだろう…?
いつから空はそんなことを思っていたんだろう…?
俺が罪悪感で押し潰されそうになっていたことに、いつから空は気付いていたんだろう?


「あのね、あきちゃんは何も悪くないよ…?」
「空…俺…、俺は……。」
「だからもう自分のせいにしないで…お願いあきちゃん、そんな風に思わないで…。」
「でも俺は…俺は空よりずっと年上で…、どうしたって俺は年老いていくんだぞ…。」
「わかってるよ…?僕はもう子供じゃないもん、そんなのわかってる…。」
「それに俺は…、俺は空の叔父さんだ…。」

空と出会って恋に落ちたのは、俺が空の叔父だったからだ。
俺が叔父でなければ空と出会えなかったけれど、俺が叔父でなければ罪悪感も生まれなかった。
俺はその間に挟まって、随分ともがいていたのかもしれない。
そして空が気付かないことをいいことに、自分を誤魔化していたのかもしれない。


「あきちゃんー…。」
「本当に…いいのか…?」
「僕はいいって言ってるのに…っ、あきちゃんじゃなきゃやだって…あきちゃんと一緒がいいって…うっ、ひ…ぃっく…。」
「一生を無駄にしても…後悔しないか…?」

空は俺の名前を呼びながら、涙を零した。
次第に量を増していく涙に、時々しゃくり上げながら空は俺の胸元をぎゅっと掴んだ。
泣きながら見つめるその表情は、もう昔の…さっきの空でもなかった。


「無駄なんかじゃないもん…っ!あきちゃんと一緒にいない方が無駄だもんっ、後悔するもん…っ!!ねぇあきちゃんは後悔してるの?!」
「後悔なんか…っ。」
「僕が男の子じゃなくて…僕が甥っ子じゃなかったらよかったの…っ?!そしたらあきちゃんは苦しくないの…っ?」
「そんなことない…っ!」

俺はバカだ…。
後悔していたのは多分俺の方だったんだ。
今頃になって気付くなんて、俺は本物のバカかもしれない。
俺が罪悪感を感じてしまった本当の理由は、男同士だとか叔父と甥だとかいうせいではなかった。
自分が絶対に正しいと思えば、何が何でも自我を通したはずだ。
それが出来なかったのは自分に自信がなかったのと、空を完全に信じていなかったせいだ。
空はこんなにも俺のことを信じて…それも10年前から信じて疑わなかったのに、俺は出来ていなかった。
いつか来るかもしれないという単なる仮定の恐怖に、俺は勝手に脅えていた。
そしてそれを罪悪感に置き換えて、自分は苦しいのだと思い込んでいた。
そうすることで弱過ぎる自分から逃げてしまっていた。
本当に、何て俺はバカなんだろう…。


「じゃあずっと一緒にいようよぉ…っ、あきちゃん、ずっと僕と一緒にいて…?ずっと好きだって言って…?お願いあきちゃん…っ!!」
「ごめん空…、ごめん……。」

謝るぐらいなら抱き締めてやりたかったけれど、俺にはそれが出来なかった。
だって空にそんなことまで言わせて、空に大事なことを気付かせてもらって、もう胸がいっぱいだったんだ。
胸がいっぱいで苦しくて、何から言えばいいのかわからなかった。


「あきちゃん…っ、あきちゃん、泣かないで…?」
「ごめ…っ、俺何やって…んな……大人のくせに…バカだ…っ。」

俺は年甲斐もなく、身体を小刻みに震わせながら涙を流してしまっていた。
本当は俺が言わなければいけない台詞も、空に言わせてしまった。
本当は俺が慰めなければいけないのに、空に抱き締められていた。
だけど空は「今までいっぱい背負ってくれてたんだね」と言って、そんな俺に同情して泣いていた。
それから「僕だっていつかはおじいちゃんになるんだよ?」と言って、泣きながら笑顔を見せてくれた。

俺はもう、後悔も逃げることもしないだろう。
この先も不安になったり恐怖に脅えたりすることはたくさんある。
だけどそんな時は空を抱き締めればいい。
空が傍にいて、俺を抱き締めてくれたなら…俺は一緒に歩いていける。

何も出来なかったのは、何も知らない子供だったのは、空ではなくて俺だったんだ…。





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