「そらいろ-3rd period」-5





昨晩あれから空は、肩を抱かれたまま俺の腕の中で眠ってしまった。
相当疲れていたせいか俺が抱き上げて布団まで運ぶ時も目を覚ますことはなかった。
俺はと言うとそんな空と同じ布団で寝ることはせず、かと言って七海と寝るわけにもいかなくて、結局リビングのソファで寝ることにした。
だってもう床に敷かれた布団は、二人で寝るには狭くなってしまっていた。
二人きりなら狭いのもまたいいのかもしれないけれど、今は七海がいる。
いつになるかわからないけれど、そういう日がまた来た時まで取っておこうと思った。


「あきちゃん…おはよ…。」
「空…?起きたのか?」

翌日の朝、俺はいつも通り会社に行かなければいけなかった。
空も七海も疲れているし時差ボケもあるだろうから、起こさないように家を出るつもりだった。
二人には書き置きのメモを残して行こうと思っていたのに、空が目を擦りながら寝室から出てきた。


「ごめん、うるさかったか?」
「ううん…、そうじゃないの…。」

空と暮らしている時は、今ほど朝は急いではいなかった。
それがこんなにギリギリになったのは、一人の朝が嫌だったから。
空がいれば少しでも多くの時間を一緒に過ごすことを考えていたのに、それがなくなって今みたいになってしまったのだ。
実は俺は、大人のくせに物凄く寂しがりやなんじゃないかと思った。
空が我慢していたからまだ自分も我慢が出来ていただけで、そういうところはもしかしたら空よりも子供なのかもしれない。


「空?」
「あのね、あきちゃんと一緒にいたくて…。」
「空…。」
「頑張って起きたらあきちゃんと二人きりになれるから…。」

空が俺のシャツをぎゅっと掴む。
まだ少し腫れ上がった赤い目は寝不足のせいなのか、昨晩の俺との行為のせいなのかわからない。
その大きな目が今は自分だけを見つめていて、一瞬だけ会社を休んでしまいたいと思ってしまった。


「空、どっちがいい?目玉焼きとスクランブルエッグ。」

さすがにそんなことは社会人としては出来なくて、なんとか俺は気持ちを切り替えた。
温まって来たフライパンに卵を準備して、今日の朝食作りを始める。
そうやって無理矢理でも自分の中で切り替えをしないと空と離れたくなくなってしまう。


「僕スクランブルエッグがいい。」
「そっか、わかった。」
「あのね、あきちゃんが作るやつ、僕凄く好きだよ。」
「え…?スクランブルエッグがか?」

空と暮らしていた時も、テーブルには毎朝のように卵料理があった。
もともと料理なんてほとんどしなかった俺にとっては、卵料理は一番簡単に出来て失敗もなさそうだったからだ。
それが目玉焼きの時もあったりスクランブルエッグの時もあったりした。
上達してくるとだしの効いた玉子焼きやオムレツまで、時が経つごとに種類も増えていった。


「うん。急いでる時はちょっと生なところが多くて、余裕がある時とかは焼き過ぎて焦げてたりして、その日によって違うの。」

確かに俺が作るスクランブルエッグは、最初の頃は失敗ばかりだった。
最初だけでなく、その日によって焼き加減やバターや塩加減が違うのが当たり前だった。


「でもね、なんて言うか味は同じなの。あきちゃんの味。ふわふわーって、すっごく優しい味がするんだよ?」

たかがスクランブルエッグでこんな顔をした人間を、俺は見たことがなかった。
はっきり言ってあんなに適当な料理を、こんな風に細かく空は覚えていてくれた。
そしてそれをずっと忘れずに思っていてくれた。
それはまるで俺そのものを思う気持ちと同じみたいで、なんだか朝から感動で泣きたくなってしまった。


「空、ベーコンも焼いてやるからな。」
「うんっ、やったー。」

俺はそれを誤魔化すかのように冷蔵庫のドアを開け、ベーコンを取り出した。
いつもは卵だけだけど、今日はスペシャルサービスだ。
空に「ありがとう」と「特別」の意味を込めて。

二人きりの朝食を済ませた俺達は、その後すぐに玄関に向かった。
あと何時間か経てばまた会えるのに、少しの別れでさえ惜しい。
離れていた時よりも今の方が寂しくなるなんて、矛盾している。
向こうにいた時は簡単に会えなかったからという諦めもあった。
それが今は会おうと思えばすぐに会えるから、贅沢になってしまっているのだろう。


「昼ご飯は買って来るとか出前取るとか適当に…準備していけなくて悪いけど。」
「うん、大丈夫だよ。気にしないであきちゃん。」
「あと何か足りない物とかあったら…。」
「あ、大丈夫だよっ、ママからちゃんともらってるから。」

俺がポケットから財布を出そうとすると、空の手がそれを止めた。
空は身体だけじゃなく、中身もきちんと成長をしている。
初めて俺のところに来た時はママから預かったお金を忘れていたのに、今はそんなこともなくなった。
あんなに子供だったのがなんだか嘘みたいだ。


「空…。」
「あきちゃん?」

玄関で俺を見送る空の頬に手を伸ばして、自分の方に引き寄せた。
俺の知らないところでこんなに大きくなったんだな…。
それを近くで見られなかったのは残念だけど、これからはずっと見て行きたい。
空が大人になっていくのを、俺はずっと傍で見て感じていたいんだ…。


「空、好きだよ。」
「あ、あきちゃん…。恥ずかしいよ…。」
「そうか?前はいつもこうしてただろ?」
「うん…そうだね…。えへへ、あきちゃんー…。」

真っ赤になった空の頬にキスをして、柔らかな唇にも口づける。
いつも交わしていた行って来ますのキスが、5年振りに復活した瞬間だ。
空がここにいられる間だけだということはわかっている。
でも俺はその短い間だけでも、たくさん触れ合いたいと思っているんだ…。


「行って来ます。」
「うん…いってらっしゃい。あ…、あきちゃん!」

名残り惜しいキスの後、立ち上がった俺のジャケットの裾を空が引っ張った。
そんなことをされたら会社に行けなくなるのに…。
無意識なのか意識的なのかわからない空の行動が、可愛いながらも時々憎らしくなってしまう。


「ん?」
「ご飯…、夜ご飯作ってもいい?あきちゃんの好きなもの作って待っててもいい?」
「うん、いいよ、楽しみにしてる。」
「うんっ、いってらっしゃい!」

空の笑顔に見送られ、俺は家を出た。
一歩踏み出せばそこには驚く程透き通った秋空が広がっている。
俺はその清々しい空気の中早歩きで、会社へと急いだ。






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