「そらいろ-3rd period」-2
「ママがね、おじちゃまのところにいなさいってゆってたの。」
七海はオレンジジュースを飲みながら、椅子に座って足をぱたぱたさせている。
淡いピンク色とクリーム色のヒラヒラしたワンピースは姉の趣味だろうか。
長くて柔らかそうな髪にも、空そっくりの顔にもよく似合っている。
「あ、あのねあきちゃん!向こうから届く荷物とかの片付けとかに忙しいからって。
少しの間あきちゃんのところにいなさいってママが言ってたの。連絡もしないでごめんなさいっ!」
妹の足りない説明をフォローするかのように空が口を挟む。
あんなに小さかった空が今では立派なお兄ちゃんだ。
七海の足を注意したり、お菓子の袋を開けてやったりして。
父親でもないのに、その成長を心から喜んでしまった。
「俺はいいけど…七海ちゃんは大丈夫なのか?ママと一緒じゃなくて平気か?」
下心がないと言えば嘘になる。
七海がいたら空とキスをすることも出来ないし、抱き合うことも出来ない。
だけどそういうことを抜きにして、俺は心配だったのだ。
まだ5歳の七海が初めて会った叔父のところで母親なしに数日間過ごせるのかどうかが。
「ななみそんなにこどもじゃないわよ?!」
「そ、そう…。」
「そらちゃんもいるもんっ。おじちゃま、ななみをこどもあつかいしないで!」
「ご、ごめんごめん。そうだよな、空もいるもんな?」
「そぉよー。」
「それならいいんだ。そうだ、七海ちゃんは今日の夜ご飯は何が食べたいんだ?」
その空はと言うと、なんだかさっきから元気がない。
浮かない顔をして、笑顔もあまり見せてくれない。
俺の勘違いだろうか…二人きりになりたかった、なんて。
いや、いくら成長したからと言ってもまだ15歳だ、まだそこまでは考えないはずだ。
きっと長旅で疲れたからだ。
さすがの空だって長時間飛行機に乗っていれば疲れてしまうし、時差だってある。
俺はこの時あまり深く考えずに、とりあえず七海と上手く接することだけを考えていた。
「あ、あきちゃんっ!」
「ん?どうした?」
すると突然空が大きな声を出して俺の服の袖を引っ張った。
俯き加減な顔からは上手く表情が読み取れないけれど、気まずそうにしているのはわかった。
「僕…、僕ハンバーグがいい!」
「え…?」
「あきちゃんの作ったハンバーグが食べたい!」
「そ、そうか…?じゃあ買い物に行かないと…。」
空がこんな風に駄々をこねるのは今に始まったことではない。
一緒に暮らしていた時も「○○が食べたい」とよく言っていた。
俺にしてみれば我儘という部類にも入らないのだけれど、なんだか様子がおかしい。
見上げた顔は拗ねたような表情を浮かべていて、袖は相変わらず引っ張ったままだ。
「えー?!ななみちがうのがいい!おじちゃま、ななみのはべつのにしてー?」
「七海っ、我儘言わないの!」
「わがままいってるのはそらちゃんです!そゆことゆうとママにおこられるんだから!」
「な、七海だってハンバーグ好きなんだからいいでしょ?!」
七海とはよく小さなことで喧嘩をすると空は手紙で言っていたけれど、それを目の当たりにして俺は戸惑ってしまった。
俺も空兄妹と同じく姉とは10離れていて、こんな風に怒られたりもしたから気持ちはよくわかる。
だけど見ている側になるとどうしていいのかわからなくなる。
「あー、わかったわかった!いいから喧嘩はやめ!!」
「おじちゃまー…。」
「あきちゃんー…。」
とにかく大喧嘩になる前に、七海が泣き出したりする前に止めなければいけない。
俺がその間に入ると、二人はしゅんとして俺を見上げている。
「ぷ……。」
「おじちゃま?」
「あきちゃん、どうしたの?なんで笑ってるの?」
だって、そうやって落ち込んだ時の顔から、言葉の語尾の伸ばし方までそっくりなんだ。
不思議そうに見上げた時の大きな目も、ぽかんと開いた口も。
さすがは兄妹だ、なんて納得してしまって、なんだか笑えてきてしまったのだ。
「ごめんごめん、じゃあファミレスは?なんでもあるぞ。空もそれでいいか?」
「わーい!ふぁみれしゅー。やったね、そらちゃん!」
「うんっ、久し振りだね、ファミレス!」
「もう喧嘩するなよ?」
「はーい!わかりまちたっ!ねー?そらちゃん?」
「うんっ、喧嘩しない!ね、七海ー。」
なんだかんだ言っても結局七海のことは可愛いんだ、なんて空が言っていたのを思い出す。
それは俺もまったく同じ気持ちだった。
ませたことを言っても、生意気なことを言っても、我儘を言っても…。
それは空と会った頃と同じような感じだった。
こうして笑顔を見せてくれたら、何でも許せてしまうのだ。
それが子供のいいところだということを、俺は空と過ごしたことでよくわかっていた。
「七海ちゃんは何がいいんだ?お子様ランチか?ほら、お人形さんもついてるぞ。」
1時間ほどして、俺達は近所にあるファミリーレストランへ向かった。
席につくと、七海は自分の顔よりだいぶ大きなメニューとにらめっこしている。
どこでもそうだが、お子様ランチにはおまけがついている。
女の子用には色んな服を着た小さな人形、男の子用にはヒーローものの小さなフィギュアだ。
その男の子用のフィギュアは空が小さかった頃に好きだったヒーローものとは違うものに変わっていて、時の流れを感じた。
「ななみおこさまじゃないもんっ!」
「そ、そっか…じゃあえーと…。」
「うーん、うーん、でもこのおにんぎょさん欲しいからそれにする!」
「そっか、七海ちゃんはお子様ランチで決まりだな。じゃあ空は……。」
七海が本当はお子様ランチを食べたかったのを俺はわかっていた。
大きなメニューを何度もめくってはお子様ランチばかりを見ていたのを俺は知っていたから。
自分が子供扱いされるのが嫌で素直になれない七海が、物凄く可愛く思えた。
「空?」
「えっ?!あ、な、何…?どうしたのあきちゃん?」
「どうしたのって…。やっぱり疲れてるんだな、ぼーっとしてただろ。」
「あ……う、うん…。」
空は溜め息を吐いて窓の向こう側を眺めていた。
その横顔はやっぱり疲れているように見えた。
俺に声を掛けられて驚いた空は、目をぱちぱちさせてやっと目を覚ましたみたいだった。
「空はハンバーグだよな?何がいいんだ?目玉焼き乗せかイタリアンかー…。」
「別になんでも…。」
「え…?空?」
「あ、ううん!えっと、普通のやつ…これ、デミグラスソースっていうのでいい!」
俺の気のせいだろうか…。
ただ疲れているだけではないような感じがするのは。
大好きなハンバーグに興味のないような素振りをするなんて、俺には信じられなかった。
だけど空が何も言って来ないのだから、どうしようもない。
いつもの空なら思っていることを素直に言っているはずだから。
「お待たせしましたー。」
しかしその後も空の不自然な行動は続いた。
注文から20分程経って、七海のお子様ランチと空のハンバーグ、それから俺のチキンステーキが運ばれて来た。
七海は人形を見て大喜びした後、早速お子様ランチを食べ始める。
「ほら七海ちゃん、いっぱいついてるぞ?」
「えー?どこどこ?おじちゃま、どこ?」
「七海ダメっ!」
お子様ランチのケチャップライスやエビフライのタルタルソースで、七海の口の周りはベトベトになっていた。
俺が紙ナプキンでそれを拭いてやろうとした瞬間、見ていた空が止めた。
俺の腕を掴んだ空の手は、小刻みに震えているようにも見えた。
「自分で拭けるでしょ?」
「えー…でもぉー…。」
「ママにもいっつも言われてるよね?それじゃレディーなんて呼べないよ?」
「はぁーい…、わかりまちたぁー…。」
一見すればただの面倒見のいいお兄ちゃん、かもしれない。
だけどやっぱりおかしい。
こんな空は初めてだ。
七海に向けられた視線は、ただのお兄ちゃんのものではないような気がするんだ…。
「え、えらいな空はー。いいお兄ちゃんだな。」
だからと言って俺は空に問い質すことは出来なかった。
この違和感を埋めるためにそう誤魔化すしかなかった。
空の頭を撫でて、いい子だと褒めるしか…。
「そんなこと…ないよ…。」
俺が頭を撫でても、空の笑顔は戻っては来なかった。
思春期はこんな感じだっただろうかと自分のことを思い出してみるけれど、なんせ空と同じ歳だったのはもう10年以上も前だ。
それにそういうことは人それぞれ違うものだ。
結局最後まで空はこんな感じで、俺達はファミレスを後にした。
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