「そらいろ-3rd period」-10
「あきちゃん…大好き……。」
消えそうな声で空が囁くと同時に記憶が途切れてから、暫くして俺の意識は戻った。
傍にはまだ目を閉じたまま濡れた身体で横たわる空がいて、やっぱり完全には罪悪感は消えなかった。
だけど後悔と迷いは消えていて、空を好きだという気持ちはより一層強くなっていた。
「あきちゃ……?」
「あ…気が付いたか…。」
「ん……。」
「今綺麗にしてやるからな…。」
俺は風呂場へ行きお湯を溜めながらタオルを濡らして部屋に戻り、空の身体を拭いていた。
温かいタオルの感触に空は一度目を覚まし、真っ赤になった目でぼんやりと部屋の中を見ていた。
程なくして再び目を閉じてしまったけれど、その顔はとても穏やかだった。
それは俺と心が通い合って、身体も重ね合ったせいだということは、俺の思い過ごしではないと確信した。
だって意識がないながらも空は、俺の手を握ったまま決して離さなかったから。
空を綺麗にしてから一人で風呂場へ向かい、自分の身体についたものを流した。
たとえそれらが流れてしまっても、今日のことは俺の心の中に永久に残るだろう。
もちろん他を忘れるという意味ではないけれど、今日のセックスは特別だった。
あんなにも愛しいと思いながら夢中になったのは初めてだったし、お互いの気持ちを改めて確かめ合った上でする、約束のようなものだった。
これからもずっと好きだという、永遠に続く約束だ。
その後空はまた目を覚まし、拭いただけではすっきりしないと言いながらシャワーを浴びていた。
俺としてはふらついている空に付き添ってやりたかったけれど、また触れたくなるからやめておいた。
まだ慣れていない空に何度も要求するのはさすがに申し訳なかったからだ。
それからたった一度のセックスでも幸福感でいっぱいで、その行為の名残りに溺れていたかったからだ。
「空……?」
シャワーを終えた空と共に眠りに就いてからどれぐらい経った頃か、ふと目を覚ますと隣にいるはずの空の姿がなかった。
寝ていたところに触れると、僅かに温かい。
枕元に置いてあった時計に目をやると、まだ真夜中の時間帯だ。
まさかこんな時間にどこかへ行くとは考えにくかったけれど、俺は強い不安を覚えて眠い目を擦りながら飛び起きた。
「空……?」
もしかしたらトイレに行っているのかもしれない。
身体が冷えて寒くて、また風呂に入っているのかもしれない。
あるいは喉が渇いて水でも飲みに行って台所にいるのかもしれない。
とにかく空が家の中にいることを信じながら、俺は寝室を出た。
「空……、ホントに風邪ひくぞ…?」
「あ…、あきちゃん…。」
寝室を出てすぐに、暗闇の中にぽつんと空の姿を見つけた。
空はソファの上で膝を抱えて丸くなって、窓の向こうの夜を見つめている。
部屋の中とは言え、暖房もつけていないこの時期の夜は冷える。
おまけにパジャマだけでいるだなんて…。
本当に風邪をひいてしまったら、明日空の家に行くことも出来なくなってしまう。
「どうした…?」
「うん…、あのね…。」
「眠れないのか…?」
「うん…。」
空は疲れたような表情で微かに笑みを浮かべて頷いた。
とにかく風邪だけはひかないようにと、近くにあった空のコート背中からかけてやる。
「あきちゃん…、ママ…電話でどんな感じだった…?」
俺は何も言わずに言葉を待っていると、空は遠慮しがちに口を開いた。
ぽつりと呟きながら俯いている空は、俺から視線を逸らしている。
「やっぱり寂しくなっちゃったか…。」
「ううん…違うよ…?あの…寂しいっていうんじゃなくて…。」
「家のことが心配なんだろ?」
「あ…う、うん…。」
寂しいと言うわけではない。
だけど自分のいない家のことが気になって仕方がない。
それは家出をして来たことに対する、空の反省の気持ちだった。
こういう時こそ素直に言えばいいのに、空は俺のことを気遣ってくれる。
素直に言ってしまうと、俺に誤解をされてしまうかもしれないとでも思っているのだろう。
俺がいるのに「寂しい」なんて言うことは、俺に申し訳ないと思っているのだ。
そんなことは気にしなくても、俺はわかっているのに…。
空は悪いことも出来ないし、家族のことが大好きなことぐらい、よくわかっている。
「ふ…、そんなんでホントに俺と暮らせるのか?」
「そ、それは大丈夫だよっ!あきちゃんと一緒にいたいのはホントだもん…っ。あきちゃん、信じて?ホントだよ?」
「うん…、ごめん…。家出して来たこと…ママに謝りたいんだよな?」
「う…うん……。」
でも時々でいいんだ、冗談混じりに嫉妬心を少しだけ出させて欲しい。
そうしないと俺はすぐに負けてしまうんだ。
完全に消えることのない罪悪感に、空を離さなければいけないと思ってしまいそうになる。
こんな俺が自信を持てるまで、もう少しだけ待っていて欲しい。
「大丈夫だから…。」
「あきちゃんー…。」
眉をひそめて今にも泣き出しそうな空を、俺は優しく抱き締める。
子供じゃない、そう言ってもまだまだそういうところは子供だ。
純粋で、嘘が吐けないし、誤魔化すことなんか出来ない。
もう少しずるくなれればいいのだけれど、それはそれで空ではなくなってしまう。
いつまでも空にはそのままでいて欲しいなんて、やっぱり俺の我儘だろうか…。
「大丈夫…、俺も…頑張るから…。」
「あきちゃん…?」
「明日俺も説得するの手伝う…、頑張って空の進路のこと許してもらうようにする…。」
「うん…、ありがとう…。」
「100%大丈夫なんて確証はないけど…100%頑張るから…。」
「うん…、あきちゃんー…。」
姉に話したところで、簡単に許してもらえるなんて思ってはいない。
空が家出までして来たぐらいだし、あの姉の性格から言って限りなく無理だと言うことはわかっている。
それでも俺は空のために、出来る限り頑張るつもりだ。
絶対に許してもらえるとは言えないけれど、俺のすべての力を出して頑張るつもりだ。
「だから空…俺と…。」
「うん…あきちゃんと一緒に暮らしたい…、一緒にいたいよ…っ。」
俺と一緒にいて欲しい。
ちゃんと許してもらって、一緒に暮らしたい。
全部まで言わなくても空には俺の言いたいことがわかったみたいで、ぎゅっとしがみ付く腕に力が込められる。
「じゃあほら、もう行こう…?」
「うん…あの…あのね…。」
そろそろ本格的に冷えて来たところで、俺は空からコートを外した。
温かいベッドの中で抱き締められながら眠れば、空の不安も少しは減るかもしれない。
明日のことは明日すればいい、今はただゆっくり休むことだけを考えた方がいい。
「空…?」
「あの…、いっこだけ…もういっこだけお願いしてもいい…?」
俺は手を引いて寝室に戻ろうとしたけれど、空はなかなか立ち上がらなかった。
不審に思って顔を覗き込んでみると、目が潤んで頬が赤く染まっている。
「うん、いいよ…。なんでも聞くから。」
「あの…このまんまで…。」
「このまま…?」
「あの…ぎゅってしたまま…、抱っこ…してもらってもいい…?」
「なんだ、甘えん坊だな…。」
「ご、ごめんなさい僕…っ!もう中学生なのに何言って…!あの、今のはその…っ。」
そういうところが可愛くて、好きだと思うんだ。
甘えたくなるとそのまんまの気持ちを口にしてしまうところ。
不安になると俺に抱き締めてもらいたくなるところ。
空のそういうところは10年前からまったく変わっていない。
「これでいいか…?」
「うん…、あの、重くない…?」
「まだまだ軽いよ、大丈夫だって。」
「あきちゃんー…。」
俺は真っ赤になっている空を抱き締めて、そのまま持ち上げた。
空が小さかった頃部屋で寝てしまった時も、よくこうして抱いて寝室まで連れて行った。
その時よりも随分と重くなったその身体も、抱いた感触は変わらない。
柔らかくて温かくて心地が良くて……安心するのは空だけではなく俺も同じだった。
「空…好きだよ…。」
抱き締めながら俺がまた思いを口にすると、耳元で空が同じような言葉を囁くのが聞こえた。
この腕が離れないようにするには、明日の説得を頑張ることだ。
俺達はその強い決意のようにきつく抱き合いながら、すぐに深い眠りに就いていた。
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