「LOVE IS MONEY?!」-3





あれから8年が過ぎ、俺の記憶の中にあった道行という項目は抹消したはずだった。
もちろん実際には完全に忘れることなんて、記憶喪失にでもならなければ不可能なことはわかっている。
ただ思い出したくない、あんな思いはしたくない…その一心でここまでやって来た。
しかし元を正せばこの仕事に就いたのも、道行が原因だった。
金さえあれば何でも出来る…あの時道行を追い掛けることだって出来た。
俺はそんな後悔を拭えずにいたのだ。
だけどそれももう無駄なこと…そう思っていたのにこれだから運命というやつは厄介で困る。


「それで?お前は今何やってんだ?」
「何って…み、見てわからなかった…?ちょっとショックかも…!」
「は?何言ってんだお前。わかんねぇから聞いてんだろうが。」
「でもさっきこの紙見てなかった?わかんなかったってことは面白くなかったってことじゃないの?」

多少の苛立ちを覚えながら、コートのポケットから煙草を出して火を点けた。
出社してすぐに吸い損ねた煙草の味が、再び口の中にじわりと広がる。
それがいつもより苦いような感じがしたのは、俺の気のせいなんだろうか…。


「…なんだよそれ。」
「え…何って…ネタ帳!」
「……は?」
「だから、お笑いのネタを書いてあるんだよ。昨日もそれで徹夜してて…でも面白くなかったなんてショックだよ…。」
「おま…本気で芸能人…いや、芸人なんかになろうとしてたのか?!」
「えーっ?!ひどいなぁてっちゃんってば!当たり前じゃない!」

善田が言っていたこいつの職業「芸能人」が「芸人」だったとか言う細かいことはどうでもいい。
とにかく道行が8年前に言っていたことを今でも実現しようとしていたことに驚きだったのだ。
この8年間テレビでこいつの顔を見ることもなければ、そういった雑誌やインターネットなんかの情報にだってこいつの名前も写真もなかった。
(ちゃっかりチェックしている自分が悲しいとか言うのもこの際どうでもいいんだよ!)
俺はてっきりそんな夢はすぐに諦めたものかと思っていたのだ。


「そんな下らねぇ夢さっさと諦め…。」
「ねぇねぇてっちゃんあのさー、お腹減らない?」
「ひ…人の話を聞けよ…!」
「てっちゃん今お金持ってる?俺貧乏でー…あはは☆」

だいたいこいつは昔からそうだったんだ…。
俺に初めて話し掛けて来た時も、その後毎日のように追い掛け回して来た時も、仕方なく友達になってやった後も。
人の話は聞かない、人の意見は無視する、自分勝手で自由気ままなことばかりして言って…気が付けば俺はいつも振り回されてばかりだった。
それが8年経った今でも変わらないのが無性に悔しくなる。


「お、俺にそれを聞くのか?あぁ?言っとくけどな、俺が今日ここに来たのは…。」
「あっ、持ってるの?よかった〜じゃあラーメン食べに行こうよ!」
「だから人の話を聞けって言ってんだろうが…!つぅかこの俺に集る気かてめぇ!」
「てっちゃんとよく行ったよね、駅前のラーメン屋。それで餃子半分こしたよねぇー。」

そう…あれは駅前にあるラーメン屋だった。
学校帰りに二人で腹が減ったなぁなんて会話になると、価格の安い割には美味いそのラーメン屋によく行っていた。
金がないのに食欲旺盛な俺達は、なけなしの金でラーメンの他に二人で餃子を一皿注文したのだ。
そしてわざと箸をぶつけてみたりして、間接キスの間接キス…(?)なんて、ときめいたりしてたっけ…。
あの頃の純情な俺を踏み躙ったのは道行本人なのに、この後に及んで集るとは何事だ。


「何勝手に思い出話なんか…。」
「近くにあるんだ、安くて美味しいラーメン屋。一緒に行こうよ、ね?」

そんな腹立たしいことばかりされていると言うのに、俺はなぜだかこの時反撃が出来なかった。
さっさと上着を羽織って出て行こうとする道行に、黙ってついて行ってしまったのだ。







「てっちゃんは何にする?チャーシューメンがおススメなんだー。」
「お、俺は別にいらねぇよ…。」

歩いて3〜4分と言ったところだろうか。
道行に連れて行かれたラーメン屋は、駅前の角にある、いかにもここで昔から営業してましたと言わんばかりの佇まいの店だった。
年季を感じさせる古臭い店内のずらりと並んだ席には男の客ばかりで、その向こうには湯気の立ち昇る慌しい厨房が見える。
まさにあの時のラーメン屋を思わせるような感じだ。


「すいませーん、ラーメン二つと餃子一つ!」
「勝手に注文すんじゃねぇっ!つぅかチャーシューメンじゃねぇのかよ!」
「ねぇねぇ煮玉子トッピングしていい?あと野菜炒めも注文していい?あっ、デザートも食べたいなぁ。」
「ひ、人の話を聞けって…も、もう勝手にしろっ!!」

二人でカウンター席の後ろにあるテーブル席に着いた後も、道行の勝手な行動は止まらなかった。
すすめておいて別の物を注文するわ、人の金だと思ってどんどん注文を増やすわ…。
これ以上何を言っても無駄だと呆れたように言い放って、俺はまた煙草に火を点けた。


「だ…誰がこんなに食うんだよ…っ!!」
「えー?でもてっちゃんが勝手にしろって…。」
「そ、そういうことを言ったんじゃねぇだろうが!!いい歳こいて限度ってもんがわかんねぇのかてめぇはよ!」
「あっ、大丈夫、ここ持ち帰りも出来るから!余ったら半分こしようよ!」
「何が半分こだっ!どうせ俺が全部払うんだろうが!」
「あはっ、ごめんね俺貧乏で!」

数十分後、俺達の目の前にはテーブルからはみ出るぐらいの勢いで料理が並んでいた。
どう見ても二人で食べ切れるような量ではないそれに、俺はもうどうしていいのかわからなかった。
またこいつのペースに巻き込まれていると思うと、あの時と同じように反応していいものなのかがわからなかったのだ。
同じように反応していたら、俺はまたこいつのことが…そう思うと恐くなってしまった。


「はいっ、てっちゃん!乾杯しよ?」

挙げ句の果てに昼間っからビールなんか注文しやがって…。
こいつは家でダラダラしているだけかもしれないが、これでも俺は仕事中だ。
なのに無理矢理グラスにビールを注ぎやがって…。
俺がお前のすることに逆らえないのを知っていてわざとやっているのか…?


「あー、美味しいー。てっちゃん、どう?美味しいでしょ?」
「ま、まぁな…。」

しかしいざ食べ始めると、俺の意識はそれどころではなかった。
こんなに近くで道行が食べる姿なんかを見るのは久し振りだったせいかもしれない。
その食べる口の動きだとか、料理の油分で艶を帯びた唇だとかが、どうにもこうにもイヤらしく見えて仕方がないのだ。
あの時の…高校時代に常に脳内にあった妄想が今まさに蘇っているような気分で、そこにしか神経が回らない。


「てっちゃん、はい、餃子。」
「餃子なんか食ってんじゃねぇよ…。」
「へ?何か言った?」
「い…いやっ、何でもねぇっ!俺はいらねぇ、食いたきゃお前が一人で食えよ。」

俺は何を考えているんだ…!
餃子なんか食ったら匂いが残ってキスが出来なくなるかも…なんて!
もうそんな欲望も忘れたつもりだったのに、隙あらばキスをしてやろうなんて考えてしまうなんて…!
どうかしている…どうかしているぞ!!
しっかりしろ哲二!!
お前はもう忘れたんだ、こいつのことはどうでもいいと思っている!!
お前も男なら一度決めたもんは貫いたらどうなんだ!!
ダメだ…貫くなんて単語を思い浮かべるとつい道行の尻を狙ってしまいそうになる…!!


「美味しいのにー…。」
「いいっつってんだろっ。別に腹も減ってねぇしな。」
「え?そうなの?早く言ってくれればよかったのに。」
「だ…っ、だから言おうとしたらてめぇがだな…!!」
「ん?ん??」
「も…もういいっ、疲れる…。」

いいか…忘れるんだ…。
こいつのことを好きだったということを忘れろ。
こいつはただの金ヅルだ、ただの客だ。
俺は金を受け取ったらそれで終わりだ、もう二度とこいつには会わない。
何が何でも忘れるんだ…!!


「へへっ、てっちゃんの怒鳴り声久し振り…。」
「誰が怒鳴らせてると思って…。」
「懐かしいなぁー、あの頃を思い出すねー。」
「な……っ、何が懐かしいだ…。」

ブツブツと文句を言いながら顔を上げると、そこには8年前と変わらない眩しい笑顔があった。
人懐こくて、年相応に見えない、俺の好きだった笑顔。
眉毛がぐっと垂れて、口の端がぐっと上がって…恐い恐いと言われ続けて来た俺なんかには絶対真似の出来ない、思い切り笑ったあの顔。
俺に何を言われても見せてくれる、この笑顔が大好きだったんだ…。


「ねぇねぇところでさぁ、てっちゃん何しに来たの?」
「て、てめぇ…今頃遅ぇよ!」
「よく俺の家がわかったよねぇ。どっかで調べたとか?それとも偶然?」
「偶然?何寝惚けたこと言ってんだよ?オラ、これ見ろよ!」

そんな思い出に浸る間もなく、またしても道行の勝手な言動に俺は腹を立てた。
そうだ…俺は仕事でこいつを訪ねて来たんだ。
さっさとそれを終わらせて、早いところこいつとさよならしなければいけない。
俺は胸ポケットにしまってあった書類を取り出し、テーブルの上に叩き付けた。


「何これ?」
「何これ、じゃねぇよ!てめぇが書いたんだろうが!!その目ぇ引ん剥いて見てみろっ!」
「んー…あぁ!親切なお兄さんがお金くれた時の!」
「は?!くれた?何言ってんだ?」
「えっとー、なんか小さくてボロいビルの前でウロウロしてたら恐いお兄さんがよければどうぞ入って入ってって言うから…。」
「ち、小さくてボロで悪かったな!」
「へ?てっちゃん?」
「あー…そうじゃねぇ、これはお前の借り入れ契約書だっ!よーく見てみろっ!!」

今のこの時代に(いや、時代は関係ねぇ)見知らぬ人間に金を渡す奴なんかいるもんか。
善田もどう言ったのか知らないが、そんなものを信用するやつがあるか。
だいたい、あの看板だとかを見た時点でわかるはずじゃないのか?
どこまでこいつはボケているんだ…本物のアホじゃねぇのか?!


「あ、そうなの?」
「いいか、ここに書いてあんだろ?きっちり103万!!返してもらうからな?」
「え…でも俺がもらった…あ、借りたのって3万ぐらいだったような…すぐ使っちゃったから覚えてないけど。」
「ふ…世の中そんなオイシイ話があるかよ。利子だよ利子、100万は利子!!それにお前の借りた分足したら103万になるだろ?!」

これだ…俺が一番好きな瞬間はこれなんだ…。
法外な利子に驚いて、その後泣き出したりする客の姿…。
土下座をして許して下さいと言われて足蹴にする時のあの勝ち誇った感と言ったらもう…!
これこそがこの仕事をしていて一番よかったと思える瞬間なのだ。


「へえぇー、そういうシステムがあるんだー!初めて聞いたー。」
「こ…このボケ!!大バカヤロウッ!!システムでも何でもねぇよ!これは違法なんだよ、お前は借りたのは悪徳金融!!」
「へぇー!違法なんだ?!悪徳って何かカッコいいねぇ!!」
「バ…バカっ、声でけぇよ!!」
「むぐ…!てっひゃん…くるじ…。」
「う……!」

そんな顔して…目を潤ませて俺をじっと見つめるなんて、反則じゃないか。
しかも咄嗟に抑えた俺の手には、あの唇が当たっている。
柔らかくてずっと触れたかった、道行の唇が…!!(俺の欲望よ、消え失せろ!!)


「ま、また来るからよ…!いいか、今度までにちゃんと準備しとけよっ!」
「あっ、てっちゃん持ち帰りは…。」

俺はすぐに手を離し、道行を解放してやった。
こんなことで動揺するなんて、俺らしくもない。
夢中で書類をポケットに突っ込んで席を立つと、道行は何が起きたのかわからない様子でただ料理の心配をしていた。


「んなモンいらねぇ!!俺が欲しいのはお前の借りた金だっ!!」
「あっ、てっちゃーん…!」

道行が止めようとしていたのも聞かずに、俺は急いで支払いをして店を出た。
残されたあいつがどんな顔をしているのか…いや、あいつのことだからきっと普段と変わらないだろう。
俺のことなんかどうでもよくて、何事もなかったように餃子を食っているだろう。


「くそ……。」

俺はそのことが何だか悔しくて、腹いせ紛れにまた煙草に火を点けた。
その味はやっぱりいつもより苦い気がして、すぐに道路に落として靴でぐしゃりと揉み消した。






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