その後一言も交わさずに、寮へ戻った時には門限の10分前だった。
大浴場の使用は午後11時までと決められていたため、蒼は急いで部屋に着替えを取りに行き、広い浴場で一人で湯船に浸かった。
後からで一人でするからいい、と言った葵を部屋に残して。
湯船に口元まで浸かりながら、子供が遊ぶみたいにぶくぶくと泡を吹く。
抱き締められた身体がこの湯によってまた熱くなる。
キスされた唇をなぞりながら、その余韻を指で確かめた。
それでもこんなに不安になるのは、あの後の葵の気持ちが見えなくなってしまったから。
抱いてと言った蒼に対して、何も言わずにやがて身体を離してしまったから。
それはダメだと言うことなのだろうか。
それともわかったと言うことなのだろうか。
後者のはずはない、そんなのは思いあがりだ。
抱いてという言葉で、自分の気持ちは伝わったとは思う。
ただそれを葵は受け入れたのか、そうでないのか、それがわからないのだ。
それならどうしてキスなんかしたんだろう。
どうして誰にも教えていない自分の一番好きなあの場所に連れて行ったのだろう。
そんな疑問ばかりが胸の中を漂っている。
自分の過去を話してすっきりしたはずなのに、このことで余計もやもやしてしまった。
これをどうすればいいのか、答えもわからない。
わからないけれど、賭けみたいになるかもしれないけれど、今出来るのはただ一つだ。
「あ、葵ちゃん…、お風呂入って来たら…?」
「あぁ。」
部屋に戻って、髪を乾かしながら葵に話し掛ける。
こうすると、必要最低限の会話はしてくれるのに…。
ぶっきらぼうに返事をして、部屋を出て行く葵の背中を見つめながら、蒼は心を決めた。
「おい、お前何人のベッドで…。」
数十分後、葵が入浴を終えて部屋に戻って来た。
寮備え付けのものとは違う、大人びたシャンプーの香りが、布団の中まで漂ってくる。
潜り込んだのは、自分のベッドではなく葵のベッドだった。
「おい寝てんのか…?」
ぴくりともしない蒼を寝ているものと思い、葵が布団に手を掛ける。
きちんとドライヤーで乾かしたのか、髪は濡れていない。
それなら間違って人のベッドに寝てしまったのか、と布団を捲った葵は視界に飛び込んだものに驚愕した。
「な…にやってんだお前!」
「して…くれないの…?」
「何裸で寝てんだよ!バカかてめぇは!」
「エッチ、してくれないの…?」
怒鳴り散らす葵に背を向けたまま、精一杯の言葉で葵の気持ちを確かめる。
抱いてと言ったこの身体を抱いて欲しい。
ただそれだけのためだった。
「あのなぁ…、まぁいいから服着ろよ。」
「よくないよ…、全然よくない…。」
「お前いい加減にしねぇと…。」
「嫌だ…、してよ!初めて会った時しようとしたのに!最後までしてよ!」
呆れた葵に差し出された服も、手でぱしんと払った。
振り向いた蒼は顔が真っ赤で、涙まで滲んでいる。
恐いのか、それとも恥ずかしいのか。
おそらくそれは両方で、いかに本気なのかを表しているようだった。
「自分で何言ってんのかわかってんのかよ…?」
「わかってるよ…、僕はそんなにバカじゃないよ。」
葵が溜め息混じりに言った言葉は、最終確認だったのかもしれない。
本当にして欲しいのかという、蒼の本心を聞くため。
一時の感情で言っているのか、そうでないのか。
おそるおそる蒼の身体に手を伸ばして、耳元で囁く。
「泣いたって知らねぇからな。」
最後の警告だった。
どうされても、何をされても文句は言うな。
お前から誘ったんだ、俺は悪くない。
悪い奴になりたくないわけじゃない。
だけどこのことで後々問題が起きたら嫌だから。
今度は葵が過去を思い出す番だった。
だけど蒼には何も話さないまま、布団を完全に捲った後、同じベッドに乗った。
「いいよ…、泣くほどめちゃくちゃにして欲しいんだ…。」
過去も何もかも、忘れるぐらい、この身体を掻き抱いて欲しい。
ただ一人のことだけを考えて、ただ二人の時間を共にする。
同情を求めているのだと言われてもいい。
それでも自分が葵を求めることに変わりはないのだから。
確かにあるのはこの気持ちだけで、今はそれだけを考えていたいだけ。
葵が覆い被さってくる中で、蒼はゆっくりと瞳を閉じてその先を待った。
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