「約束」-6
「またかよ…、あいついつ勉強なんかしてるんだよ…。」
「まぁ、いつもながら驚くよねぇ。」
「俺あんな頑張ったのによぉ…。」
「ホントに人って見掛けによらねぇよな…。」
1週間後、教員室の前では、生徒達がざわざわとどよめいていた。
その日の昼休み、先日行われた期末テストの結果が貼り出されたのだ。
蒼が眠いのも我慢して勉強しまくって挑んだテストだった。
皆に混ざってその紙を見た蒼は絶句した。
「うっそ…。」
うっかり昼に食べた物を戻してしまうところだった。
あまりにも驚きと衝撃が大き過ぎたのだ。
「…葵ちゃん…、1位なの…?」
「そうらしいな。」
「らしいって…!そんな他人事みたいに…!」
「お前も頑張ったみてぇだな。」
本当に他人事そのものみたいな言い方だ。
そんなことはどうでもいいような。
欠伸をしながら指摘された、自分の名前を探す。
一番上の葵の名前に気を取られていて、自分の名前など目に入っていなかった。
「15位なんて…全然だよ…。」
「そうか?2年は300人はいるぜ?いい方だろ。」
がくりと肩を落とした。
あんなに勉強したのに15番目…。
まったく勉強する素振りを見せなかった葵が1番目。
こんなことってあっていいものだろうか。
いや、そんなのは言い訳だ。
葵が悪いわけではない。
全ては自分の努力不足だ。
「全然ダメだ…、もっと、もっと頑張らないと…。」
ぶつぶつと、その胸の内を呟く。
もっと頑張って、もっと上を目指さないとダメだ。
「蒼…?」
いつも『お前』としか呼ばなかった葵の口から、初めてその個人名が零れたけれど、本人には聞こえていなかった。
虚ろな目で、ぼんやりと宙を眺めたまま、黙ってしまった蒼には。
何があったんだ、そんなことは聞けずに、葵は口を閉ざした。
目線で行くか、と促して、二人で元いた教室へ戻った。
その後、30℃を超える暑さの中、夏休みを迎えた。
学校の中庭も、寮の庭も、あらゆる場所の緑が濃厚な色で萌えている。
木々では蝉がけたたましく鳴き続けていて、夏を一層暑くした。
蒼は葵に、帰らないのか、と聞くことはしなかった。
葵もまた蒼に聞くことをせず、二人は寮に残って長い夏休みを過ごしていた。
出された膨大な量の課題の他にやることなど特になかった。
同じ部屋で、同じ時間を過ごし、同じ部屋で寝る。
授業がある時と何も変わらない。
帰る家がないのだから、当たり前と言えば当たり前のことだった。
「お前さぁ、毎日毎日勉強ばっかして頭腐らねぇの?」
机に向かう中、ベッドに横たわっていた葵が、声を掛けてきた。
普段冷房の効いたこの部屋も、最近省エネがどうとかで、
1日に何度か、冷房を止める時間があったりで、常に涼しいわけでもない。
その暑さでぐったりとした葵が呆れたようにそんなことを時々言うだけで、楽しくお喋り、なんてことは今まで通りなかった。
「これ、課題だよ?始めのうちにやっておかないと後で大変になるよ?」
「小学生じゃあるまいし…。」
馬鹿にしたように葵は言うが、本当に膨大な量なのだ。
名門校だけあって、進学率も高い。
ゆえに課題も多いのは当たり前で、勉強が重要なのが当たり前なのだ。
話によれば1年生の時から大学の準備をしているらしいとかだった。
それで2年の夏休み、となれば、このぐらいの量も頷ける。
「葵ちゃんは…、大学行くの?」
「さぁ…、多分。」
「何それどっち?ねぇ、どこ?理系狙い?文系狙い?私立?国立?」
「さぁ…、どこでも。」
「どこでもって…。ちょっと勉強できるからってなんかナメてない?」
「別にナメてねぇよ。」
そんな適当に進路を考えているなんて信じられなかった。
こちらはずっと努力してきたというのに。
どこでもいいなら行かなければいいのに…。
ふと、そんな中、妙な考えが浮かんでしまった。
どうしてそんな考えが浮かんだのか、わからない。
傍にいたいとでも思ってしまったのだろうか。
「じゃああの、どこでもいいならさぁ、一緒のとこ行こうよ。」
「はぁ?!」
「だってどこでもいいんでしょ。」
「そうは言ったけど…。」
葵が目を丸くして驚いている。
何を言っているんだ、何をバカなことを、きっとそう思われている。
それでもこのまま勢いで押してしまえばその通りになるような気さえした。
それほどまでに同じ大学へ進みたかったのはどうしてだろう。
この先もこうして一緒の時間を過ごしたいと思ったのは。
やはり本城に言われた通り、自分は葵のことが…??
「お前さぁ、他に友達作れよ、俺なんかに構ってんじゃねぇよ。」
「ねぇ、同じ大学、行こうよ。」
迷惑そうな葵の言葉は聞かない振りをしてどこかへ流した。
葵も特にそれ以上責める感じでもなかった。
「考えとく…。」
「約束だよ?」
「外でも行くか。息抜き。」
「何それ、話繋がってないよ!…もう慣れたけど。」
約束だ、と、繋げた小指を葵はすぐに振り解いた。
目線を逸らしたまま、突然外へ行くと言い出す。
もうこんな会話の成り立たなさにも慣れてはきたけれど。
できればずっと、この指を繋げていたかった。
だけどそれは、自分一人が思っている我儘なのだろう。
「そうかもな。」
ドアに手を掛け、背を向けた葵が、一瞬こちらを見て微かに笑った。
時々見せるこの笑顔に、ドキドキすることがある。
その瞬間に、自分だけ時間が止まってしまう気がする。
これはもう、好きだというのは確実なのかもしれない。
だけど簡単にそれを認めることもできない。
それは、同性だから。葵のことをよくわからないから。
葵はきっと自分のことを好きでもなんでもないから。
急いで教科書やら参考書やらを閉じて、その後を追う。
────約束、か。
簡単に言うなよ、そんな言葉。
「あれ?何か言った?」
「いや、なんでもねぇ、早くしろ。」
ぼそりと呟いた葵の言葉は、この時は聞こえなかった。
どんな気持ちで言ったのかということも、当然わからないまま。
外に出ると、午後5時を過ぎても、気温は高く、今日もまた熱帯夜になりそうな空気だった。
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