「約束」-4







「じゃあみんな、わからないことは教えてあげるように。」

一通り自己紹介を終えた後、担任の辻はそう言って、
月曜日朝一番のホームルームを始めた。
男、男────…。
どこを見ても男ばかりだ。
男子校なのだから、当たり前のことだけれど。
濃紺のブレザーにチェックのズボンという、割と流行り目のデザインの制服だったから、
少しはむさ苦しさも減ってるような気がしないでもないのだが…。


「珍しいよな、うちに転入なんて。」
「殿村くんはなんでここに?」
「前はどこに行ってたの?」

やはり中等部から全寮制な学校だ、高等部から入る者だけでも珍しいのに、
その2年生という中途半端な時期に転入という形は更に珍しいのだろう。
こんな質問責めに遭うというのはなんとなく予想はしていたけれど。


「あ…、えっと僕は…。」

どうしよう…。 こんなに囲まれて。
別に話してもいいけど、まだやっぱり…。
嘘吐けばいいのかもしれないけど、それもなんだか…。


「僕はその…。」

周りの全て視線が自分へ向けられる。
逃げたい。逃げたい。
でも、身体が固まって、ここから逃げれない…。
額に冷や汗が滲んで、汗でびっしょりになった手で制服のズボンを握った。


「来い。」
「え!!」

ガタンと椅子を立ち上がる大きな音がして、
振り向くとそこにいた葵が蒼の腕を強く引っ張った。


「学校案内してやる。」

腕から移動して濡れた手を掴むと、
蒼が何か言おうとする隙も与えずに教室を後にした。
教室内では何が起きたのかと言った空気が流れていたけれど、
もちろん二人はそれを感じることはなかった。







「あの…痛い、痛いよ、歩けるから放して。」

歩けるから、放して。
それは自分を勇気付けるために言ったのかもしれない。
大丈夫だよ、と、見せかけるための言葉。
一体誰に向けて言ったものかはわからないけれど。
グイグイと引っ張られて、身体ごと引き摺られるようにして、気が付くと校庭まで来ていた。


「あぁ、悪ぃ…。」

今の言葉でやっと葵の手から解放された。
掴まれた箇所は熱を帯びていて、なぜか灼けるように熱い。
もしかしたら跡が残ってしまっているかもしれないぐらいだ。


「あのさ、僕がここに来たのは…。」
「いい。」
「え…??」
「言いたくねぇこと言わなくてもいいっつってんだよ。」
「えっと僕…。」
「無理すんな。」

あ…れ…。
もしかして…これって、この人助けてくれたのかな…。
恐そうだけど、あんなことされたけど、優しいとか?
口は物凄い悪いし、笑ってもいないけど…。
ふと、胸の辺りが温かくなった。
こんな穏やかな気持ちは、久々かもしれない。


「緑、気持ちいいね。」

座ったところには芝生が一面に広がっていて、時々風が草木を揺らす。
葵は何も言わずに瞳を閉じて、微かに頷いたようにも見えた。
透けるぐらいに脱色された柔らかそうな髪と、
瞳を閉じて初めてわかった驚くほど長い睫毛を、同じように春の風が揺らしている。


「葵くん…葵ちゃん…どっちがいい?」
「は?」
「だって西崎くんって結構言い難いよ?」
「だからってどのツラ下げてこの俺が男にちゃん付けされなきゃなんねぇんだよ。」

やっぱり口を開くとこうなんだなぁ…。
本気で怒ってはいないんだろうけど。
ちょっとでも仲良くなりたいし、本当に言い難いし、西崎って。
でもそんな風に言われると、逆にそっちにしたくなるよなぁ…。
暫く考えて、迷うことをやめた。


「じゃあ葵ちゃんでいい?ダメ?」
「ダメっていうか…、勝手にしろ。」

あれれ?もしかして…。
この人、照れてたりする??
葵はこちらを向こうともしないで黙ったままだ。
ちらりと見える耳朶が、本当に僅かながらピンク色に見える気がする。
一瞬だけ、そんな葵を可愛いと思ってしまった。
おかしいと思う、どう見ても自分より体格がいいのに。
その前に同じ男だというのに。
しかも合ってまだ三日目の人間に。
落ち着け、とばかりに心臓の辺りを押さえた。
早々にそういう嗜好に感化されてどうするというのだ。
そんなもん、と軽く葵が言った、同性の恋愛に。


「あっ、やばっ、本鈴でしょこれ!」

またそんなことばかり考えていると、
古い鐘みたいな音の始業チャイムが鳴った。


「あぁ、そうかもな。」
「そうかもなって、始まっちゃうよ!」
「いいんじゃん、たまには。」
「たまにって…、僕、今日が初登校なんだけど…。」

それなら勝手に自分だけで行けばよかったけれど、あの教室に一人で行く勇気はまだ出なかった。
臆病だとは思ったけれど、どうしてもさっきのことを思い出すと、
身体が拒否して動けなくなってしまいそうだった。


「だからたまにだよ。」
「意味わかんないよそれ…。」

再び葵は瞳を閉じて、芝生に横たわってしまった。
完全に行く気はないらしい。
口ではそう言いながらも蒼もまたその隣に横たわると、芝生の匂いが鼻を掠めた。

初日からサボりなんて、これじゃ不良だよ葵ちゃん…。
ちゃん付けなんか気持ち悪ぃ、と言われそうだったけど、それは口には出さずに黙ったまま。

瞳を閉じると、一層その匂いが強く感じられて、
あの温かい何かが胸に湧いて、そこは静かな森のようで不思議と気分が落ち着く。

風と緑に包まれた、4月の晴れた朝だった。






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