「約束」-3





「───…ん…。」

いつもと違う天井の色。
昨日初めて目にしたあのクリーム色の壁と同じ色だ。
柔らかな丸い日光が降り注ぎ、まだ少し冷たい空気が頬を撫でる。
その空気に乗って微かに流れてくるタバコの香りが、鼻腔をくすぐった。
ここが自分の家ではないことにゆっくりと蒼は気が付いた。
昨日ここに着く前に、これからのことを考え過ぎて、不安だらけだったせいか、精神的に疲れていた。
そして着いたら着いたで早々にあのようなことをされて、
身体的にも疲れていて、いつの間にか眠っていたらしい。

瞼を擦りながら、重い身体をなんとか起こした。
その身体には、まだ感触が残っているかのようだった。
今まで自分で自分のものを慰めることでさえほとんどしたことがなかった。
それなのに初対面の相手に触れられ、あろうことに快感の果てに絶頂まで達してしまった。
自分と同じ、男相手にだ。
思い出すだけで、余韻を残した身体が熱くなる。
恥ずかしさで、顔から火が出るぐらい、熱を帯びる。

でも…、どうして僕だったんだろう…。
確かに背は低いし、童顔で女顔かもしれないけど。
でもここに転入して来たんだから、どう考えたって男じゃないか。
…そういえば男子校っていうのは飢えてるって言うけど。

でもまさか自分がその的になるとは思ってもみなかった。
先程から昨日の行為ばかり思い出してしまっている。
一度落ち着かないと、葵に顔を合わせられない。
蒼は再び布団を頭から被ろうと端を強く掴んで潜り込んだ。


「何してるんだ?」
「…っ、いや、その、お、おはよう…。」

昨日耳許で囁かれた艶のある低い声が聞こえる。
被った布団の中で、蒼は挨拶を告げた。


「あぁ。」

少しの、だけど重苦しい沈黙が続いた。
フーッとタバコの煙を吐く音と、その合間の葵の息遣いが聞こえた。


「メシ、どうするよ。」

その沈黙を破ったのは葵で、突然予想もしていなかった内容だった。
聞いた瞬間、布団の中で気が抜けた。
昨日家を出る前からの緊張と不安で何も食べずに来た。
思い出した途端に小さな音が腹を鳴らした。


「そういえば…お腹減ってるかも…。」
「色気ねぇなぁ、お前。」

確かにそうだけど。
でも、そっちが聞いたんじゃないか。
まだ被ったままの布団の中で不貞腐れていると、微かに重みを感じた。


「色気出してやろうか?」

まだ半分眠い頭でも、何をされるのか想像はついた。
その行為に抗おうと、急いで布団から身体ごと出た。


「あのさ!昨日も思ったんだけど!」
「何。」

こちらはこんなに声を荒げているのに、冷静な葵が憎たらしい。
これじゃあバカみたいだ、一人で必死になって。
冷たく言い放つ仕草は昨日会った時と同じだ。


「ああいうことってここじゃ普通?男子校ってよくあるとか言うけど…。でもまさか本当にあるって思わなかったし…。」

早くも混乱してきているようだ。
これでは何が何だかさっぱり話がわからない。
この状況でも葵の表情は変わらない。


「あぁ、まぁ仕方ねぇんじゃねぇ?そんなもんだろ。」
「え…、そんなもん…なの…?」
「そんなもんだろ、ホラ、行くぜ。」
「え…え…、え…??」

これって説明になっってるんだろうか。
上手く丸め込まれたというか…、押さえられたというか。
納得なんかはできそうにもない。
しかし葵はそれ以上何もしてこないし、何よりも今は空腹のほうが勝っている。
ひとまずここはこれ以上は突っ込まないでおこうと、蒼はベッドから完全に出た。

今日は日曜だ。
この学校は全寮制で、アルバイトも禁止になっている。
金持ち学校とあって、人を雇う余裕があるのか、
それとも過保護なのか、休日も食事の準備はしてあるらしい。
葵に着替えを促され、急いで私服に着替えると、二人でその部屋を後にした。








「あぁ、殿村くんおはよう。」
「あ…、おはようございます。」

明るい声に呼び止められ、振り向くと本城がいた。
その食堂では腹を空かせた生徒達がちらほらと集まり始めている。
食欲を掻き立てるいい匂いがして、また腹の音が鳴ってしまいそうだった。
本当にここは違う場所なんだと、改めて実感をする。


「どうしたの?」
「え、何がです?」
「目の下、すっごいクマだけど。充血もしてる。眠れなかった?」
「え!あ、いや、あの、緊張ですよ!緊張しちゃって! 別に他に何も理由なんかないですよ、絶対ないです!」

空腹によって忘れていた昨日の出来事がまた脳内に蘇った。
いくら頼りになりそうだからと言って、 本城に話すわけにもいかない。
慌てて言い訳したのを気付かれたのか、本城はクスリと笑みを洩らした。


「あのさ、その言い方じゃあ他になんかあるとしか聞こえないよ?」

墓穴を掘ってしまっていたようだ。
本城は穏やかそうに見えて実は鋭いんじゃないか、
そんな気がしていたけど、どうも実際そうらしい。
何か言えば言う程ボロが出そうで、蒼はそのまま固まってしまった。


「まぁそういうことにしとくよ。」

にっこりと満面の笑みを零して、 手を挙げて本城はカウンターへと消えて行った。
よくわからない人だな…。
さっきの感じからすると全部悟ってたりするんだろうか。
ここではああいうのは普通で、別に大したことじゃなくて。
もしかしてあの人もそういう嗜好の人とか…。
あんな顔して、あんな性格で、女の子にモテそうな感じなのに。
やっぱり、そんなもん、なんだろうか…。
ぐるぐると先程の葵の言葉が脳内を巡っていた。


「食えば?」
「あ、ありがとう、いただきます。」

考え込みながらも、やはりこの空腹には勝てなかった。
葵が持って来てくれた食事を、一気に口に放り込んだ。
食事が済んだら、まずは荷物を片付けよう。
そういう問題は、後からゆっくり考えることにして。

────ごめんね、ごめんね蒼…。
僕は大丈夫だよ、お母さん。

心の中で呟きながら、初めてのここでの食事を平らげた。








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