「あの…、なんかあったの…?」
自分からは何も言いそうにない葵に向かって、蒼はおそるおそる口を開いた。
言葉を発する唇が、不安で震える。
改めて決意をしてぎゅっと握った掌に汗が滲む。
「いや、別に。」
「じゃあどうして本城さん来てたの?」
「なんでもねぇ、別に何もねぇよ。」
「なんでもないって…。」
なんでもない、適当な言葉で誤魔化す葵は目線を合わそうともしなかった。
絶対に何かあって、気まずい空気がこんなに漂っているのに、そんな言葉で誤魔化されるなんて。
それはお前には関係ない、という意味と同じ。
そしてこっちには来るな、という拒絶と同じ。
あんなに身体を繋げてもやはり心は繋がってはいなかった。
葵にとってはあんなに、と言う程の回数でもないかもしれない。
それでも蒼はその一回一回を大事に、深く考えていた。
快感に溺れながら、葵のことだけを感じて、葵のことだけを思って。
同じ学校で、同じ寮で、同じ部屋で、こんなに傍にいるのに、葵は遠い人だ。
好きな人が自分に心を開いてくれないということがとても悲しくてとても辛いことだと、蒼は初めて知った。
自分はこんなにも好きで好きで堪らないのに…。
「葵ちゃん…。」
「あ?」
蒼は俯いたままぽつりと葵の名前を呼んだ。
そしてそのまま葵の腕の中に静かに滑り込んだ。
「好き…。」
「なんだよいきなり。」
いきなりなんかじゃない。
今まで何度も伝えて来たはずだった。
言葉にならなくても、態度で、それこそセックスの最中の反応で。
全身を使って、思いを伝えて来たのだ。
それなのに、何も通じていなかったなんて。
「好きだよ…、僕は葵ちゃんが好きなんだ…、好きなんだ…!」
バカみたいに告白を繰り返していると、涙まで溢れそうになった。
何度言っても言い足りないぐらい、好きだ。
どうすればそれが葵に伝わるのか、わからなくてもどかしくて。
「好きだよ…っ。」
葵ちゃんは僕のこと好き?
それとも嫌い?どうでもいい?
ただの身体だけだって、遊び相手ぐらいに思ってる?
もしかして僕が一人で可哀想だから同情で抱いてくれていたの?
聞きたいことは山程あって、ちゃんと決めていたのに、やっぱりはっきりと聞くことが出来なかった。
聞けない代わりに、蒼は葵の頬を引き寄せて、唇に触れる。
答えの代わりに、キスでもなんでもいいから態度で見せて欲しくて。
「ん…ふ…っ、ん…。」
拙く舌を絡ませながら、キスは深いものへと変化してゆく。
零れ落ちた唾液は、顎を通り越して首筋まで流れる。
だけど葵はいつものようなキスをしてはくれなかった。
目を閉じていても、まだまだ慣れていなくとも、それぐらいはもうわかる。
「しようよ…。」
もう言ってくれなくてもいいと思った。
身体で感じることが出来るなら、それでいいと。
いつかは好きになってくれるかもしれないし、それまでの慰めでもいい。
そこまで覚悟を決めて、蒼は誘ったのだ。
「今日も課題やって疲れただろ。」
「え…?」
背中に葵の手が回されて、一瞬期待をしてしまった。
それは淡く脆い、叶わない期待。
すぐに葵の手は蒼の頭へと伸びて、髪をくしゃくしゃと撫でた。
「もう寝ろよ。」
「え……?し、しないの…?」
「いいから寝ろって。」
「葵ちゃ……。」
始めは何が起きたのかわからなかった。
会話の途中で葵が身体を離して、誘いを拒否されたということだとわかった。
今も、初めての時も、勇気を振り絞って誘った。
あの時はやっぱり、同情の意味で応えたということなのだろうか。
ズルズルとその後も続けていたけれど、そこに恋愛なんかはなくて。
「そうだね…、おやすみ…。」
これが葵の答えだ。
好きでもないけれどセックスしてやった。
お前は身体だけだ。
はっきり言われるよりはよかったかもしれない。
だけど残酷な葵の態度が、蒼の心を容赦なく突き刺した。
その痛みに、その日は眠ることなど出来るわけがなかった。
布団に潜っても目を閉じても、いつまでも葵の唇の感触と温度が残っていたから。
新学期が始まっても、葵が蒼に触れてくることはなかった。
もちろんキスもしないし、その話に触れることさえなかった。
自分がこんなにも弱い人間だとは思ってもみなかった。
母親が亡くなった時が、人生で一番悲しいと思っていた。
だけどそれと同じぐらい、葵とのことは悲しかった。
いや、もしかしたらそれ以上に悲しいかもしれない。
たった一人の人に思ってもらえないことが、この世の終わりみたいな絶望感を与えた。
もう二度と触れてもらえないと思うと、この場からいなくなりたくなった。
それぐらい、蒼にとっては重大なことだったのだ。
それは多分、生まれて初めての恋だったから。
「バカみたいだ…。」
部屋で一人でいると、溜め息と共にそんな言葉ばかりが漏れる。
たかが数回セックスをしたから舞い上がって調子に乗っていた。
しかもこの場合、したから、ではなくて、してもらった、と言った方が正しいのだ。
そもそも葵というのは、初めて会った人間に絡んで来るような人間だ。
それは誰でもよかったということなのかもしれない。
同室になったのがたまたま蒼だったから。
そしてたまたま抱いてくれと言って来たから抱いた。
ただ、それだけだ。
「………っ。」
こんなことで泣くだなんて、それでも自分は男だろうか。
自分を責めてみても泣きたいものは仕方がない。
葵のことを考えると勝手に涙が出て来てしまうのだ。
それでも本人の前で泣くわけにはいかなかった。
見られてまた同情されて抱かれても、何にもならないことは知っているから。
それは蒼の僅かに残ったプライドだったかもしれない。
そのプライドを捨てたところで、葵が手に入るわけでもない。
もうこの先、何をしていいのかわからなかった。
それこそ隠れて布団の中で泣くことしか出来ない、そんな日々が続いていた。
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