「約束」-11





まだまだ陽射しは暑かったが、あっという間に夏休みは終わりを迎えようとしていた。
残すのもあと数日、帰省していた生徒達も続々と寮へ戻り始めていた。


「うーん、やっぱり寮の方が落ち着くなぁ俺としては。」

久しく聞いていなかった柔らかな声が、後ろから聞こえて、蒼は振り向いた。
懐かしいような、ホッとするような声だ。


「本城さん、こんばんは。今帰って来たんですか?」
「こんばんは、殿村くん。君は帰らなかったの?」

声と同じように柔らかな笑顔が蒼に向けられた。
どこにあるかは知らないが、実家に帰省していた本城の肌は少し日に焼けたような気がした。
肩には荷物の入ったバッグをぶら下げているが、その量から言って他は宅急便か何かで送ったのだろう。


「あ、はい。僕はずっとここにいました。」
「何してた?」
「えっ?!」
「ここにいて何してたのかなーって思って。」

別に葵とのことを言われたわけでもないのに、一瞬ヒヤリとした。
本城という人間はは時々、心臓に悪い言い方をするのだ。
それも深い意味なんかまるでないぐらい、爽やかな口調で。


「それはその…。」

知っているわけがない。
ばれるわけもない。
そんなことはわかっているのに、なぜだか本城には見透かされている気がするのだ。
蒼はどもりながら、あの後のことを思い出してしまっていた。
あの後幾日も経っていないのに、また葵と身体を繋げてしまったことを。
それだけではない、その後も数回行為に及んでしまったことを。


「あぁ…、”何か”、したんだ?」
「えっ!!な、なんですかそれ?!へ、変なこと言わないで下さいっ!」

焦れば焦るほど、本城の言葉が槍みたいに突き刺さる。
心の中を抉られて何を考えているのか無理矢理見られているような気分だ。
”何か”、が何を意味することも本城ははっきりと言っていないのに全部わかっているみたいだ。


「うーん、なんだか色っぽくなったなーと思ってね。」
「そんなこと…。」

こうなると動揺は止まることを知らないみたいに、蒼の額に冷や汗まで流させた。
自分は何かばれるようなことを言っただろうか。
疑われるようなことをしただろうか。
怪しまれるようなところを見せただろうか。
覚えがないのに相手に覚えがあるみたいで、必死で自分の隙を探す。


「殿村くん、そこ。」
「え…?なんですか…?」
「ここだよ、ここに残ってるよ。ね?」
「───…!!」

本城の細い指先が、蒼の首筋の辺りをスッと指した。
何のことだかわからず、本城の顔を見上げると、彼はクスクスと微笑を浮かべている。
再び指されたそこを向かいにあった鏡でよく見ると、数日前の行為の跡が薄っすらと残っていた。


「こ、これはその…!!」

言い訳しようとして、目の前が真っ白になる。
やはり何もかもお見通しだったようで、本城は何も言わずに微笑むだけだった。
真っ赤になって首筋の辺りを押さえてみても、それさえも彼には見えているみたいだ。
あまり笑うのも悪いと思ったのか本城は指を引っ込めて、自室へ向かおうとする。


「まぁ、そうなるとは思ったけどね。」

一度振り向いた本城はぽつりとそう言い放って、本当に行ってしまった。
今度はからかうような笑いではなく、いつもの笑顔で。
いや、いつもとも違う…?穏やかだけど、目が笑っていない感じがした。


「なんで…?」

どうして本城にばれてしまったのかはわかった。
しかしそうなるとは思っていた、その予測は一体何なのだろう。

『うん、そう。それでここ入って、一年の時彼と同室になった子が、やめちゃったんだよね、西崎くんにやられた、って言ってた噂があって。』
『そうじゃなくて、ほら、別の意味で……犯されたって言うのかな…。』

転入して少し経った頃に聞かされた話を思い出した。
そんなのは嘘だ、葵がそんなことをするわけがない。
そう言って蒼は本城に楯突いた。
あれは一体、どういう意味で自分に言ったのだろう。
それなのに予測していたとは、どういうことなのだろう。
考えても、本城の意図がまったく見えて来ない。
それよりも気になるのはその内容だ。
犯された、という言い方だと、もちろん相手にその意思はなかったということになる 。
同意もなしに、セックスを強要された…。
仮にそうだとしたらそれは葵は何のためにそんなことをしたのだろう。
ただの性欲処理だとか、身体だけの関係だとか…。
そしてあの時も、あの後も一度も好きだと言ってもらえない自分も、身体だけの関係?
数々の疑問が浮かんでは脳内を漂っていた。


「やっぱりそうなのかな…。」

自分だけが好きで、好きで抱かれているだけ。
葵は自分のことなど見てもいない。
セックスというものはお互いが好きでないと出来ないものだと思っていた。
だけどそれも自分だけが思っていることなのだろうか?

確かめたい。

なぜだか今まで聞けなかった思いが強く胸の中を支配した。
この強く大きな不安に負けそうで、泣きたくなったのだ。
このままでは自分は、身体だけの関係になってしまうと思うと、悲しくて堪らなくなったのだ。
心を決めると、蒼は一目散に自分の部屋目指して走り出した。








「はぁ…、はぁ…。」

息を乱しながら、階段を上り、廊下を駆け抜ける。
ずらりと並ぶ部屋のドアの一つ、自分がいつもいる部屋の前まで来た。


「あの…僕聞きたい……えっ!!」
「あ……。」

決意の強さと同じぐらい勢いよくドアを開けた蒼は、一瞬動きが止まってしまった。
そして部屋の中でも、同じく動きが止まっている。
そこには葵だけがいると思っていたのだ。
だから葵だけを目指してここまで走って来たのに。


「ほ、本城さん…?」
「あ…、えっと、殿村くん?どうしたの?」

そこには先程別れたばかりの本城が立っていた。
葵はベッドに腰掛けていて、今までそうやって向き合って話をしていたとしか思えない体勢だ。


「どうしたのって…、ここ僕の部屋でもあるんですけど…。」
「あっ、そっか、そうだったよね。」
「それより本城さんは…。」
「ごめんごめん、疲れてボケてて忘れてたよ。邪魔したね、おやすみ。」

明らかに動揺している本城は、笑って誤魔化すように蒼の言葉を遮った。
言うことだけ言って、すぐに去って行ってしまったのだ。
いつも余裕たっぷりで、落ち着いた人間があんなにあからさまに動揺していた。
おかしいぐらいに慌てて行ってしまうなんて…。
そしてベッドに腰掛けている葵もまた、明らかに様子がいつもと違っていた。
この二人は、ただの寮長と寮生の関係なのだろうか。
それは違うのだと葵の態度が言っているようで、本当のことを聞かずにはいられなかった。






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