「そらいろ-2nd period」-8
義兄が空を迎えに帰国するまでは、夢のような日々だった。
空の荷物をまとめるのを手伝うために、俺は連休まで取った。
会社をなんだと思っているんだ、と当然上司に文句は言われまくった。
だけどこの機会は一度きりだと思ったし、決められた有給休暇の範囲内で取ったのだから俺としてはほとんど気にはしていなかった。
気にしたって仕方がない、それよりも空と一緒にいる時間を選びたかった。
「空ー、もうすぐご飯だからな。」
「あきちゃん、あのね…。」
「準備進んでるか?今日はハンバーグ…。」
「あきちゃんー…。」
部屋で荷物をまとめている空がとことこ歩いてキッチンまでやって来た。
ご飯の匂いにつられて来たのだろうと思ったけれど、どうやら違うようだ。
「どうした?手伝って欲しいこととか…。」
「あのね、これあきちゃんにあげる。」
「え…?」
「いっぱい汚れてるけど…。」
背中の方でもじもじしていた空が差し出したのは、あのぬいぐるみだった。
空が生まれた日に、俺が買ってもって行った、空色のとかげ。
長い間気に入って持っていたから、空のよだれやらほこりやらで汚れてくたくたになっている。
俺のところへやって来た日、くーのおきにいりなの、と言って見せてくれた。
「でもそれは空のお気に入りなんだろ?」
「空にはあきちゃんがあるもん。空のこと忘れそうになったらこれ見て思い出して欲しいの。」
「あれは似てないって…。」
「だからこっちは空だと思って持ってて欲しいの。」
俺が空のことを忘れるわけなんてないのに。
こんなに好きな空のことを忘れたりなんかするもんか。
だけどきっと空は、何か形として残したかったのだろう。
ずっと好きでいるという約束を、自分の名前と同じ色のこのぬいぐるみに託したかったんだ。
あの白い方が俺に似ているかどうかは別として。
「もう11年も経ったんだもんな…、くたびれて当然だよな。」
「あきちゃん…?」
「これ、俺があげたんだよ、空。」
「えぇっ?!そうなの?!空覚えてないよー!」
「そりゃあそうだろ、空は生まれたばっかりだったんだから。」
「そうだったんだー…。そっかー、あきちゃんがくれたんだー。」
あの時はあんたの甥っ子よ、なんて言われても何とも思わなかったけれど。
今こうして傍にいる空は、世界中で誰よりも愛しい人だ。
「これ持って待ってる、空のこと。」
「うんっ!大事にしてね。空のきょうりゅう!」
「大事にするよ。」
「えへへ、あきちゃーん。」
初めて聞かされる事実に、あんまり空が嬉しそうだから。
だからやっぱり、本当はとかげだってことは黙っていることにした。
よだれだらけの「くーのきょうりゅう」を持って俺は待っていることにする。
「空、ご飯にしよう?な?」
「うんっ、ハンバーグ♪」
この数日間は空の好きなものばかりを作ってやった。
あの時行きたくないと泣いたのが嘘みたいに、空は毎日笑ってくれた。
本当はそれだけでも十分だったのだけれど…。
「ご飯食べて、お風呂入って、それでまたえっちなことしよう…。」
「あきちゃん……。うん…、する…。」
あんなに負担をかけさせるようなことは、もうしないようにしよう。
初めてのセックスの後はそう思っていた。
空も絶対にもうしたくないと言うと思っていた。
でも溢れ出す思いと欲望を抑え切れなくて、空もしたいと言ってくれたから。
この数日間は、二人で毎日のように抱き合った。
忘れることなんて絶対にないぐらい、空の身体を味わっては快感に溺れた。
「空、久し振りだなーおっきくなって。元気だったか?」
「パパー!」
二人で過ごす最後の日も、同じように抱き合って朝を迎えた。
午前中のうちに義兄はやって来て、空も久し振りの再会に喜んでいるみたいだった。
「秋生くんも、久し振りだな。元気だったかい?」
「はい、義兄さんも元気そうでよかったです。」
「空が長いことお世話になって…。悪かったね、迷惑かけちゃって。」
「そんな…、迷惑なんてこと…ないです…。」
後ろめたさを感じたけれど、俺はこの人に感謝せずにはいられなかった。
義兄が転勤にならなかったら、空は俺のところに来ることはなかった。
姉もついて行くと言わなかったら、空が行くのを嫌がらなかったら、母親が腰を痛めていなかったら。
色んな偶然が重なって、俺と空は恋に落ちた。
それも義兄の転勤が元で、もっと考えると義兄がいたから空が生まれたわけだから。
「空ー、いい子にしてたのか?秋生くんに我儘言ってたんじゃないか?」
「えー?空我儘なんか言ってないもん。」
「ホントかー?空は甘えんぼさんだからなぁ。」
「ホントだよー、ねー?あきちゃん?」
普段はバリバリのビジネスマンの義兄も、この時は空の父親の顔だ。
姉の結婚相手として初めて紹介された時も、固そうな人だなぁと言うのが印象だったし。
目がいつもより優しくて、よっぽど空が可愛いんだろうというのがわかる。
「うん、空はいい子だったよ。」
「秋生くん、空に何か賄賂でも渡されたんじゃないね?」
「本当ですよ、空はとってもいい子にしてました。」
「パパー、だから言ったでしょー?」
素直で、純粋で、とてもいい子にしていた。
俺を好きだと言ってくれて、俺のためならなんでもすると言ってくれて。
寂しいのに寂しいと言わないで、我慢をして。
料理を手伝ったり、時々作ってくれたりした。
俺にとっては出来すぎるぐらい、本当にいい子だったと思う。
「秋生くんには感謝しなきゃな。空がいい子に育ってくれてよかった。」
「そんな…、俺は別に…。」
感謝だなんて、本当は恨まれてもいいことをしていたのに。
そんな風に言われてまた罪悪感に苛まれそうになると、やっぱり助けてくれるのは空だった。
「いやいや、秋生くんのお陰だよ。なぁ空?空はいっぱい可愛がってもらったんだよな?」
「うんっ、あきちゃんは空のだいすきなおじさんなの!」
「空ー、パパよりも好きなのか?」
「えっへへー、パパとあきちゃんは別なのー。」
空が笑顔で言ってくれると、俺は安心するんだ。
今まで面倒を見て来てよかった、一緒にいてよかったと。
秘密の関係じゃなく、普通の叔父と甥としてそう言ってもらえたら、俺がしてきたことが少しは許される気がした。
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