「そらいろ-2nd period」-9





普段休みの取れない義兄だったけれど、空のために二日前に迎えに来てくれた。
最初はホテルに泊まると言ったけれど、さすがにそれも悪いと思って、狭いこの家に泊めることにした。
何か怪しまれていたら、という心配もあった。


「パパー、今日空あきちゃんと一緒に寝るの。」

本当に最後の夜、空は俺と寝ると言い出した時は一瞬焦ってしまった。
わざわざ布団を別々に敷いて義兄にはいつもこんな風に寝ていますと見せるような真似までしたのに…。
枕を持って俺の布団に潜り込もうとする空を横目に、俺の額には冷や汗が滲み出していた。


「そうか、今日で最後だもんなぁ。」
「うん…。」
「寝てる時秋生くんを蹴ったりしちゃダメだぞー?」
「えー?空そんなことしないよー。」
「空は寝相がよくないからなぁ…。」
「空お行儀よく寝れるようになったよー。」

しかし焦っていたのは俺だけで、義兄は特に気にしていないようだった。
疚しいことがある俺だけがそう思い込んでしまっただけだった。
そもそもそこで疚しいと思うのいも空に対しては失礼な話だった。
悪いことなんかしてないと、自分で言っておきながら逆に空に怒られたことを思い出す。
最後だから今まで一緒にいた叔父と一緒に寝たい、それだけのこと。
こういう時は空の叔父でよかったと、また不謹慎なことを考えてしまった。


「秋生くん、すまないね空が我儘ばっかり言って。」
「いえ、あの…、そんなことないです。空、おいで。」
「はーい。じゃあパパ、おやすみなさーい。」

リビングと寝室の間のドアを閉めて、俺は空を布団へ入れた。
義兄は昨日からの疲れがまだ取れていないようで、すぐに微かに鼾が聞こえてきた。


「えへへ、あきちゃーん。」

声を潜めて、空が俺の耳元で囁く。
その唇が時々耳朶に触れてくすぐったい。
体温の高い空の身体をぎゅっと抱き締めると、空は幸せそうな顔をして俺の胸に顔を埋めている。


「空、ちゅーしよっか。」
「うん、んー。」

空の頬を両手で挟むように支えて、ゆっくりと唇を重ね合わせる。
柔らかい空の唇の端から端まで丁寧に舐めて、舌を口内に滑り込ませる。


「あきちゃんー…。」

たった一度のキスで、空は驚くほど表情を変える。
蕩けそうな目や濡れた唇が、俺にとっては世界一色っぽくていやらしい。
注ぎ込む俺の唾液と空から溢れ出す唾液で、お互い唇の周りはぐちゃぐちゃだ。


「空…、えっちもしよっか…。」
「でもパパがいるよ…?」
「じゃあこっそりお風呂場に行こう?」
「うんー…。」

ドア一枚隔ててするのはさすがの俺も躊躇った。
だからと言って同じ屋根の下で、しかも義兄にとっては大事な息子に手を出すなんてやめようとは思った。
思っていたけれど、一度キスをしてしまったらその先を考えてしまって止まらなくなった。


「空…、好きだよ…。」
「あきちゃん…っ、くーも…っ。」
「空…、空…っ。」
「くーもすきっ、あきちゃんだいすき…ぃっ!」

それならせめて一番声が聞こえないような場所でと、バスルームまで移動してから続きをした。
湿気を帯びたその室内で聞いた、空の喘ぐ声と肌の擦れる音を、俺は一生忘れないだろう。
二人が繋がった箇所の熱い温度も、泣きながらしがみ付く空の指の感触も。









「空、そろそろ行こうか。」
「うん…。」

翌日になって、俺は空港まで行くか迷ったけれど結局見送ることにした。
空港まで行って別れる寂しさを味わいたくないという思いと、空と一分一秒でもいいから一緒にいたいという思いが、ギリギリまで喧嘩していた。
朝になって隣で眠る空の顔を見て、結局後者の方が勝ったのだ。
大きな荷物は向こうへ送って、身の回りの物を詰めたバッグだけを義兄と空が持っている。
俺の部屋にあった空の荷物がなくなったのだから、部屋はがらんとしていた。
それでもあのきょうりゅうだけが残っていたから、寂しくなんかないと思った。


「空、秋生くんに挨拶しなさい。」
「うん…。」

義兄に手をひかれて、空は俯いている。
あれほど笑顔だった数日間も、別れの時になるとやっぱり消えてしまった。
瞼に涙を溜めて、今にも大声を上げて泣いてしまいそうな表情を浮かべて。


「あきちゃん、ばいばい…。」
「うん、ばいばい…。元気でな、空。」

ぼそりと呟く空の頭を優しく撫でる。
これじゃあ空じゃなくて俺の方が泣いてしまいそうだ。
いい歳になった大人が泣くだなんて恥ずかしい。
だから出来るなら早く行って欲しいとまで思った。
最後に握手をした後、空は義兄と歩いて行く。
その後ろ姿を見ていると、今までの五年間がスライドフィルムのショーみたいに俺の頭の中に映し出された。
だんだん見えなくなっていく空を、本当に見えなくなる前にここから立ち去ろうと思った。
そうしないと俺は追い掛けて行ってしまう…。


「あきちゃん…っ!」
「え…?」

振り向いて、俺も歩き出そうとした時、背中を物凄い力で抱き締められる。
ボロボロ涙を零しながら、空が大きな声で俺の名前を呼んでいるのだ。


「あきちゃんー…、ふぇ…、ふえぇ、あきちゃんー…。」
「空…、パパが待ってるよ…。」
「うん…、うん…、あのね、あきちゃん…。」
「ほらもう泣くな…。」

指先で、空の頬を流れる大粒の涙を拭ってやる。
鼻水まで垂らして、顔がぐちゃぐちゃだ。
寂しいのに、悲しいのに、なぜだか俺は可笑しくなってしまった。


「空はよっぽど秋生くんが大好きなんだなぁ。」

義兄はその場で呆れたように笑って、空のことを見守っていた。
あと少しだけ、俺と一緒にいたいという空の我儘を許してくれたのだ。


「……ます…。」
「え…?聞こえない…。」

俺は空の目線までしゃがんで、抱き締めるその腕に応える。
ここが空港で周りに人がいることなんてどうでもよかった。
だいたい、普通の目で見たら、俺達は仲のいい家族か親類か知り合いぐらいにしか見えないんだから。
二人が恋人同士ということは、二人でいる時だけの秘密なんだ。


「行って来ます…!」

まだ空は涙を零していたけれど、俺の腕の中で最高の笑顔を見せてくれた。
ばいばい、じゃなくて行って来ます。
だってこれは、一生の別れでも何でもないんだから。


「うん、いってらっしゃい。」

俺に向かって大きく手を振った空は、もう泣き止んでいた。




駅からの帰り道を、俺は一人でゆっくりと歩いて帰った。
今日からはベッドの中にも、バスルームにも、キッチンにも、俺がどこにいても隣に空はいない。
でも俺の心の中では、いつも一緒にいると思っている。
こんなにも俺の中に空は深く刻み込まれているんだから。


「空…。」

それでも俺は、いつだって矛盾している奴だと思った。
今頃になって涙が込み上げてしまったのだ。
歩きながら、大人のくせに泣いて、空の名前をぶつぶつと呟くように呼んで。
これを誰かが見ていたら、俺は完璧に危ない人に見えるだろう。


「空…、いってらっしゃい…。」

ようやく涙がおさまった頃、瞼を擦りながら呟く。
今度会える時には、空はどれぐらい大きくなっているだろうか。
三年後か、五年後か…そう遠くはない未来の空を脳内に描きながら、空を見上げた。
そこには行って来ますと言った空の笑顔と同じぐらい、眩しい夏の空が広がっていた。







END.





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