「そらいろ-2nd period」-5
それから数日間、俺は何も出来ずに悩み続けた。
それでも答えは出なくて、空を抱き締めることしか出来なくて。
そんなある日久し振りにアメリカに住む姉から電話がかかって来た。
俺と空を繋げたきっかけが姉の電話なら、その終わりのきっかけも姉の電話ということなのだろう。
「え…?子供が出来た…?」
『そうなの、くーちゃんの弟か妹になるのよー。』
「へぇ…、おめでとう。」
『それでね、秋生…。』
幸せそうに妊娠を告げる姉に対して、素直に喜べない自分がいた。
おめでとう、を言う前から、この先を予測していたからからだ。
11歳離れた空の弟か妹が生まれるにあたって、姉が言おうとしていることぐらいすぐに想像がつく。
新しい家族が出来るのに、空一人だけ離れたところに置いておくわけにはいかない。
空ももう小学生だし、外国に来てもやっていけるだろう。
ママとパパが一緒についているなら…。
だから空も一緒に皆でアメリカで暮らしたいのだと。
「うん、そうだよな…。」
姉の言葉に、俺はそんな曖昧な言葉でしか返すことが出来なかった。
姉の言っていることは家族として当然のことだった。
いつまでも俺と一緒にいる方が不自然なことぐらい、自分でもわかっていたし。
「わかった…、俺から話しておくから。」
頼んだわよ、といつものように姉に強く念押しされて、電話を切った。
これ以上反抗しても、無駄だと思ったから。
反論出来るようなことでもないとわかっていたから。
ただ問題なのは、空にどう説明するかということだけだった。
あきちゃんと一緒にいたい、きっとそう言って行くのを拒むだろう。
それは自惚れなんかじゃなくて、五年前から空が言っていたことなんだ。
「あきちゃん、電話終わったの?」
「空…。」
電話が鳴った時はちょうど夕ご飯の支度をしている時だった。
空に鍋の火を見ているように言いつけたのだ。
その電話が終わったのを見計らって、空はキッチンから顔を覗かせて、右手にはおたまを持っている。
ただ火を見ていてくれと言っただけなのに、わざわざエプロンまでして。
「早くご飯にしようよー、空お腹減っちゃった。」
「空…、あのな…その…。」
「あきちゃん?」
「電話…、電話、ママからだったんだ。」
今言わなければ、俺はずっと言えない気がした。
ずっと空に隠して、ギリギリになって言えたところで空が納得してくれなかったら。
ずっと隠していたと空に責められたりしたら。
空の笑顔には負けそうになったけれど、俺はなんとか話を始めた。
「ママから?えー、空も喋りたかったなぁー。」
「空はママのことが好きなんだな。」
「うんっ、ママは優しいからだいすきだよ。あっ、パパも!」
「じゃあママとパパと一緒にいたいだろ?」
「あきちゃん…?」
「空、俺が今から言うこと…、聞いてくれるか?」
始めることが出来れば、後はスラスラと言葉が出るものだと思っていた。
だけど実際は言葉に詰まったり、どもったりして、なかなか上手く説明が出来なかった。
ただ、俺の言っていることは理解出来ているみたいだった。
空ももう五年生で、俺の説明が下手でも何を言いたいのかはわかるのだろう。
そうじゃなければ、空の笑顔がこんなにも崩れることなんて…。
「あきちゃんは…、空がいると迷惑なの?空がいるとやなの?」
失われた笑顔は、泣き顔へと変わる。
瞼に涙を溜めて、眉をぐっと下げて。
おたまを握る手に力が込められて、震えている。
そうさせているのは俺なのに勝手だけれど、こんな空の表情なんて見たくなかった。
「そうじゃないんだ…。そうじゃなくて…。」
「じゃあどうして?空、我儘言わないから!あきちゃんの言うことなんでも聞くから!」
「空、あのな…。」
「いい子にしてるから…、なんでもするから…、ここにおいて!」
空は我儘なんか言っていない。
それどころか我儘を言っているのは俺の方なんだ。
俺の言うことも聞いてくれるし、空はいい子なんだ。
俺には勿体ないぐらい、いい子なのに…。
俺はどうしたら…、どうしたら空にうまく伝わるんだろう。
「空のことは、俺も大好きなんだ。一緒にいたいと思ってるよ。」
「あきちゃん…、空もあきちゃんがすきだよ、だいすきなの…。」
「でも空にはママもパパも…。」
「違うもん!あきちゃんは特別なの!」
あきちゃんは特別。
それは俺が、ずっと望んでいたことだったのかもしれない。
いつかはと願っていた、空の俺へ対する気持ち。
空が初めて知る、恋というもの。
罪悪感に苛まれながらも、俺はずっとこの時を待っていたんだ。
「空…。」
「あきちゃんは特別なの…、ママもパパもだいすきだけど違うの…、っく、ふぇ…。」
「空…、空…。」
「あきちゃんがだいすきなの…、空はあきちゃんが…ふえぇー、うぇーん…。」
声を上げて泣いてしまった空を、ぎゅっと抱き締める。
こんなに小さな身体で、全身で空は気持ちを伝えようとしている。
もどかしくて、戸惑いながらも一生懸命に。
そんな空が堪らなく愛しくなって俺も伝えようとするけれど、言葉が出て来ない。
ただ空の名前を呼びながら、濡れた頬にキスをした。
「あきちゃんも、空が大好きだよ。」
「っく…、ホント…?」
「ホントだよ。あきちゃんはずーっと空のことが大好きだったんだ。」
「あきちゃん…!あきちゃん…!」
俺のところに来た時から。
あの時玄関を開けて入って来て、俺のことを「あきちゃん」と呼んだ時から。
あの時からずっと、俺は空に恋をしていたんだ。
そして空が俺に恋してくれるのを、ずっと待っていたんだ。
「これからも俺は、空が大好きだよ。」
「えっえっ…、あきちゃんー…。」
「だからもう泣かないでくれよ…な?」
「でもー…、空行きたくない…、ずっとあきちゃんと一緒にいたいよー…ふえぇ…。」
離れても変わらない気持ちなんて、絶対にないと思っていた。
そんな綺麗事、世の中にはないんだって。
だけど今は信じていたい。
俺のこの気持ちも、空の気持ちも変わらないものであると。
空が生まれた日の透き通るような青い空の色みたいに、真っ直ぐな気持ちでいられるようにと。
「大丈夫、ずっと好きだって約束する。」
「あきちゃんー…。」
「だから空に、約束のしるしにいいものあげるよ。」
「いいもの…?」
俺がどれぐらい空を好きか、覚えていて欲しい。
離れても温もりを思い出せるぐらい、その心と身体に俺を焼きつけたい。
俺はガスの火が消えているのを確かめて、空を抱えて寝室へ向かった。
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