「そらいろ」-5
二週間。
空が来る前は、面倒だ、長いなぁと思っていた。
なのに自分の気持ちに気付いてからは、異常な程早かったような気がする。
今日も、空は元気にはしゃぎ回っている。
明日ここからいなくなるってこと、わかってるのかな…。
わかってないよな…多分。
「あきちゃん、きょうくーね、すぱっげってぃーがいいの!」
「スパゲッティー…、作れるかな…。」
「れすとらんはだめなの…?」
「ダメじゃないけど…、それぐらいなら俺が作るから。」
相変わらず俺はバカなことばかりしていた。
作れるかどうかわからないから、美味しいかどうかもわからないのに…。
ファミレスに行った方が早いのに、なんとかして自分で作ることにした。
空と何時間、何分でもいい、少しでも長く二人きりで過ごしたいから。
その行動がまるで小学生か中学生の初恋みたいで、時々自分でも可笑しくなる。
「わーい、やったぁー、あきちゃんだいすき!」
まただ…。
だいすき。
その言葉を聞く度に、胸の辺りがちくちくする。
いい叔父になろうと決めても、すぐには切り替えられない、そういうことだろう。
空が何の意図もないとわかっているから、余計にだ。
その笑顔を真っ直ぐに見ることが出来ない。
「美味いか?空。」
「うんっ、おいしいっ!」
「そうか、よかった…。ほら、またいっぱいついてる。」
「ぷあー…。ありがと。」
結局その夜のご飯は、一番簡単そうなナポリタンを作った。
空はケチャップをべっとり口の周りにつけて、一生懸命食べてくれた。
あのチョコアイスの時と同じだ。
ティッシュで何度も綺麗に拭ってやっても頬張る度についてしまう。
その色が空の唇の色を一層濃く艶めかせて、触れたくて仕方なかった。
「あきちゃん、あしたのよるごはんはね、くーおこさまらんちがいい。」
「明日…?」
「うんっ、れすとらん、だめ?」
「明日は…。」
明日はダメなんだ。
明日の夕方、お前はおばあちゃんのところに行くんだから。
だから俺とはもう一緒にご飯は食べれないんだ。
今言わなければ、そう思うのに言葉は上手く出て来ない。
きょとんとして見上げる空の澄んだ瞳が、俺の心に突き刺さる。
「ごめんなさい、くーわがままいっちゃった…。」
「違うんだ…。」
「ちがうの?くーわがままじゃない?」
「うん、我儘じゃないから。そうじゃなくて…。」
空が泣きそうになっている。
早く本当のことを言ってやらないといけない。
でも本当のことを知ったら、俺の方が泣きたくなってしまいそうだ。
「あきちゃんー……。」
空が泣いてしまう。
眉毛をいっぱいいっぱいまで垂らして、眉間に皺が寄っている。
下瞼に涙を溜めているのがもう見える。
空はやっぱり笑っていた顔がいい。
俯きかけた空のピンク色の頬を、両手で優しく挟んで口を開いた。
「空、明日はもう俺とご飯は一緒じゃないんだ。ごめんな?」
「…どうして?」
「ママに聞いてないか?二週間したら空はおばあちゃんとおじいちゃんのところに行くって。」
「わかんない、くーしらないよ…?」
事実を告げると、空の顔が余計雲ってしまった。
溜まった涙は、今か今かと出るのを待っているみたいだ。
ぎっくり腰だとか二週間だけだとか、姉は言ったかもしれないけれど、全部の事情はまだわかっていなかったみたいだった。
それでもその空の表情に、安心さえしてしまう自分がいる。
こんな時に、それはとても卑怯な考えだ。
あっさり笑顔にならなくてよかった、だなんて。
「だから空…。」
「やだ。くーいかないもん。おばあちゃんのとこいかないっ。」
「空…?」
「ぜったいいかないもんっ。」
今度は俺に挟まれた頬がぷっくり膨らんだ。
眉毛はキッと上がって、喧嘩する時みたいな強い顔だ。
そういう顔も、あんまり見せないで欲しい。
これ以上の期待をしてしまうから。
「ダメ。ママと俺、約束したんだから。」
「やだったらやだっ!」
「空っ、それこそ我儘だぞ。」
「やだっ!だっておばあちゃんところいってもあきちゃんいないんでしょ?!」
「空……。」
「あきちゃんいっしょじゃなきゃやだもん…、くーやだぁ……えっ、ふえぇー…ん…。」
とうとう空は声を上げて泣き出してしまった。
そこに行っても俺がいないから、俺と一緒じゃないのが嫌だから。
涙と一緒に鼻水まで垂らして、顔をしわくちゃにして。
せっかくの可愛い顔が台無しだ。
だけど泣かせているのはこの俺なんだよな…。
「空…。」
「うっうっ、うえぇーん…。えーん…。」
「くー…?」
「あきちゃ……、ふぇ…?」
甘えるようにして、初めて空の呼び名を呼んだ。
堪らなくなって、空の小さな身体を抱き締めた。
空が流している涙は、俺の溢れる気持ちだ。
ぐちゃぐちゃになった顔を服の袖で拭いて、空の顔を真っ直ぐに見つめた。
もう我慢なんか出来なくなっていて、空の柔らかい唇に、自分の唇で触れた。
「こういうことになるからダメなんだ…。」
「あきちゃん…、ふぅ…んっ。」
一度理性を失ってしまうと、止まらなくなるから。
そこまでわかっていても、どうしてもキスしたかった。
その唇に食らい付くと、夢中で深く激しいキスを繰り返した。
「あきちゃん…、ちゅーしちゃいけないんじゃないの?」
「うん…。」
「ママにおこられちゃう…?」
「うん…、怒られるだろうな…。」
味わい尽くした後、空の涙は止まっていた。
『ちゅーはママとパパができるんだ、俺はしちゃいけないんだよ。』
そんなことだけは覚えているんだ。
俺が言ったことだけって自惚れてもいいんだろうか。
『んー、くーいいこだからあきらめる!』
キスしたら、空はいい子じゃなくなるんだろうか。
色んな思いで、空のことだけを考えていた。
当然空はこんなキスは初めてで、何が起こったのかもわかっていないのかもしれない。
何かが抜けたような表情で、瞳がとろんと空ろになっている。
「あきちゃん、くーにちゅーしたのなんで…?」
「それはな、空、内緒だからな?」
熱くなっている空の耳元を掌で隠した。
他に誰もいない部屋で、誰も聞いているはずなんかないけれど。
ママにもパパにも友達にも、絶対内緒の話なんだ。
二人だけの秘密なんだ。
「あきちゃんはくーのことがだいすきなんだよ。」
「あきちゃん…、ほんと?くーのことだいすき?」
「うん、だいすきだよ。」
「あきちゃんっ!」
途端に笑顔になった空を、思い切り抱き締めた。
柔らかくて温かくて気持ちのいい感触に酔ってしまいそうだ。
俺の可愛い甥っ子で、俺の好きな人に。
バカでもいい、俺は空が大好きなんだと、改めて実感することが出来た。
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