「そらいろ」-3
してはいけない、そう思うとしたくなる。
それは子供の頃、悪戯をして親や先生に怒られた時と同じようなものだ。
秘密の恋、たとえば不倫なんかが秘密にしていることで燃えてしまうのも、
周りには言えないその秘密を二人だけで共有することで、その恋が深まるからだ。
実際は思い込んでいるだけで、胸の奥では罪悪感に責められている。
あまりに夢中になっているから、気付かないだけで。
それでもその時の自分の気持ちを大事にするなら、それは仕方のないことだ。
むしろそれで幸せだと思えるなら、そちらを選んだ方がいい。
そんな自分なりの理論を立てても、してしまえばそれは言い訳でしかない。
「あきちゃん…、ん…ふ…。」
空の平たい胸元を、泡に塗れた手で撫で回した。
時々その泡が、勢いでシャボン玉みたいな小さな球体を作る。
蒸せる浴室と空の柔らかい肌の感触に、くらくらと眩暈がした。
「あきちゃ…、ふふ、くすぐったいー…。」
「気持ちいいか?」
「うんー…、きもちいー…。」
「じゃあもっとするぞ。」
撫で回す度に、大きな空の瞳が、とろんとした瞼で覆われていく。
長い睫毛が、湿気の多いこの場所で、黒く濡れて光っている。
呼吸が苦しいのか、時々言葉の端々が途切れて、異常な程の興奮を覚えてしまった。
高鳴る心臓の音が、この狭いバスルーム中に聞こえてしまったらどうしようかと思った。
それでもその手を止めることなどできなくて、気が付いた時には空の下半身へ移動していた。
「あきちゃん…?」
「ちゃんとここも洗わなきゃダメだろ。」
「うん…、んー…、んー…?」
「どうした?気持ち悪いか?」
小さなそれを掌で包みながら、泡で滑らせるようにして弄った。
初めてそこを執拗に触れられる感覚に、空は身を捩る。
不思議そうにこちらを見つめる瞳に薄っすら涙を浮かべて。
その表情が、余計この行為をする自分に、火を点けてしまう。
「きもちいーけど…、へんだよ…?あきちゃん、へん…っ。」
「何が?」
「くー、なんかへんなの…っ。あきちゃ…ぁんっ!」
「…………っ。」
確実に喘ぎだとわかる空の声で、はっとした。
酔っ払って、急に酔いが覚めたような感覚だ。
その瞬間と同時に手を離すと、空の表情も戻っている。
俺…、今何してた…?!
そんな自分を責める言葉ばかりが脳内を支配した。
「おもちゃ入れるなよ…。」
「くーのあひるー。あきちゃんにもいっこあげる。」
その後、自分を取り戻した俺は、空の身体についた泡を全部流してやった。
そして何事もなかったかのように、二人で湯船に浸かった。
空が持って来たバストーイのあひるが、何匹かぷかぷか浮いて、邪魔だったけれど、
自分と空との間に壁ができたみたいで、そういう意味では玩具に向かって感謝までしてしまった。
それなのに…。
「あきちゃーん、ざぶーん。」
「こら、暴れるなって。」
「つなみつなみー、うみみたーい。ねー?」
「溺れるぞお前。」
溺れるのは、今湯船で遊んでいる空か。
それともそんな空を見ている、俺がか。
もうそんなことを考えている時点で、まずいのかもしれない…。
「あきちゃん、なつになったらうみいきたいね。」
「うん…。」
「くーといっしょにいこ?」
「そうだな…。」
それまでここにいるわけなんかないのに。
空は嬉しそうに笑顔を浮かべて、抱き付いてくる。
湯船の中だから、裸だというのは入る前からわかっていた。
その身体に触れて、でも途中で気付いて、ちゃんと止めたはずだったのに…。
抱き付かれた肌が湯船の中で擦れ合うと、途端に反応してしまった。
「空、先に上がってろ。」
「あきちゃんは?」
「いいから先に身体拭いてろ。いい子ならできるだろ?」
「うんっ!くーいいこだからさきにあがるー!」
俺はなんてずるいんだろう。
空がいい子だと褒められるのを利用して。
それで自分は、その反応を起こしてしまった下半身の処理だなんて。
ずるくて、とても情けない…。
本当に情けないけれど、空に気付かれないように、浴室のドアを閉めて、その後は自慰行為に没頭した。
「空、パジャマは?」
風呂上り、パンツ一丁で走り回る空の腕を掴んで止めた。
この歳っていうのは、何でも楽しいんだろう。
俺自身も、昔は風呂上りこんな風にパンツ一丁で走り回っていた記憶が微かにある。
パンツ一丁ならまだいい、何かを着るのが嫌で、素っ裸でいたのを親に怒られた。
それで言うことを聞かないで風邪をひいたりして。
この歳になって、その怒る気持ちがわかった。
ただし、俺の場合は色んな意味が含まれているけれど。
「ないよ。」
「持って来なかったのか?」
「うん、あきちゃんにかってもらうの。」
「はぁ?なんで?ママ入れてくれなかったのか?このバッグに何入れて来たんだよ?」
空と一緒に連れて来られた旅行用みたいなバッグを指差した。
パンツは持って来てなんでパジャマは持って来ないんだよ…。
半分呆れながらそのバッグを開けようとすると、空がその前に立った。
「くーじぶんでじゅんびしたの。このなかにないもん。」
「じゃあこの中は何が入ってるんだよ。見せろ。」
「だめ。くーのたからものだもん。」
「だめ、じゃなくて。いいからほら、貸せっ。」
子供相手にパジャマごときでムキになるなんて、俺は幾つだ。
全身でバッグを死守する空を無理矢理そこから剥がして、ジッパーに手を掛けた。
「いい子なら、隠し事はしちゃだめなんだからな。」
「うー…。」
空が俺を恨めしそうにじっと見つめている。
そんな透明な真っ直ぐな瞳で見られたら、物凄く悪いことをしている気分になる。
風呂に入るのは一人じゃうまくできないくせして、こういうところだけこだわるなんて、これも子供の面倒なところだ。
だけどやっぱりここは大人としての威厳を見せないといけない。
空の視線に背を向けながら、そのジッパーを端から端まで一気に滑らせた。
「なんだこれ?ぬいぐるみ?あとなんだ、玩具か?」
「くーのたからもの。」
「こんなもん持ってくるならパジャマぐらい…。なんだよこの汚いの…。」
「あー!!だめぇー!それくーのいちばんのなの!!」
ごちゃごちゃと色んなものが入っている中に、薄汚れた水色のぬいぐるみを見つけた。
多分何年も持っているもので、空のよだれやら何やらで汚れてしまったんだろう。
布地を引っ張って、バッグからその本体を出した瞬間、息を飲んだ。
「これ……。」
「えへへ、かわいーの、くーのきょうりゅう。」
「これ…、持ってたのか…?」
「うんとね、あきちゃんならさわってもいいよ。でもあげない。」
それは、空が生まれた頃だった。
出産を終えた姉ちゃんのところに行く時、お祝いに何をあげていいのかわからなかった。
男の子だと聞いて、病院に向かう途中で適当に入った玩具屋で見つけたぬいぐるみ。
その日の空と生まれた子供の名前と同じ、鮮やかな水色のぬいぐるみだ。
「取らないよ…。空の宝物なんだろ?」
「うんっ!これね、くーいちばんすきなの。」
「そうか…。」
「へへー、かわいーでしょ?」
俺があげたことなんて、知らないんだろうな。
無邪気な顔して、パンツ一丁で薄汚れたぬいぐるみ抱き締めて。
なんだかもう…、パジャマのことなんかどうでもよくなった。
空が嬉しそうに笑って俺がやったぬいぐるみを見ただけで、全部許せる。
「今日はこれで我慢しろ。」
「…わぷっ!」
「明日パジャマ買いに行こうな。」
「わーい♪あきちゃんとおそろいだー。」
来ていたパジャマの上を脱いで、寒そうな空の身体にずぼりと被せた。
袖が長くて間抜けだけれど、丈はちょうどいいかもしれない。
ちらちらとピンク色の膝小僧が、見え隠れする。
お揃いだと喜んでまたはしゃぎ回る空と、明日になったらパジャマを買いに行こうと思った。
「ふふ、あきちゃんのいいにおいするねー。」
ぶかぶかのパジャマを着て、空はご機嫌だ。
そんな機嫌のいい時だから、あのことは黙っていることにした。
恐竜だと言ったぬいぐるみが、本当はトカゲだってこと。
たった半日なのに、空の存在の大きさを感じた日だった。
これから俺は、二週間、この甥っ子とどんな日を過ごすのだろう。
不安と期待が入り混じる中、どうしてもと言う空の我儘で、一つの布団で眠りに就いた。
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