窮屈な体勢に暫くは眠りに就けなかったものの、数時間経つと俺は眠りに落ちていた。
その間遠野はもちろん目を覚ますことなんてなくて、俺のことなんかお構いなしに眠り続けていたのだった。
その遠野の自由奔放さや自分勝手さに惹かれている俺は、この体勢と同じようにこいつに縛られているのかもしれないと思った。
縛られて喜ぶなんて、なんだかマゾみたいだけど。
「…とり、名取…。」
「ん…。」
「朝だ、起きた方がいいぞ。」
「んー…、もうちょ…うっ!!」
今まで毎日聞いていた遠野の起こす声に心地良さを覚えながら目を覚ました。
言われた通り起きようと思って身体を動かすと、激痛が走った。
「どうした?」
「か…、身体が痛…、痛い…!!」
「あぁ、これか。」
「は、早く解いてくれ…!!」
縛られたところはやっぱり赤くなっていて、僅かに腫れてしまっている気がする。
こんな体勢で寝ていたせいで全身が筋肉痛になっていて思わず顔を歪めた。
なんで俺がこんな目に…。
なんでって、確実に遠野のせいだけど、遠野本人に悪気がないもんだから文句も言えない。
自分で解くことが出来たならよかったのに…。
俺は仕方なく傍らにいる遠野に頼むしかなかった。
「名取、すまない…。」
「あ、あぁ…、いいよ(あんまよくねーけど)、とにかく解いてくれ…。」
「俺が寝てしまったばっかりに…。喧嘩のことでずっと悩んでいて眠れなくてそれは名取を愛しているからで…ブツブツブツ…。」
「わ、わかった!わかったから!もういいから解いてくれって!」
「こんな俺を許してくれるのか?」
「あ、あぁ、許す!許すから!」
しゅんとなって落ち込んでいる遠野ほど厄介なものはない。
生まれて初めて泣いたのが、高校生の時俺が遠野との関係を公言して感動した時だった。
相手が誰であれ、涙というものに人間は弱い。
特に好きな奴の涙には、理由がどうであれ弱いのが男というものだと俺は思っている。
それが今度は悲しくて泣いたりなんかされたら困る。
「俺のことをこれからも愛してくれるのか?」
「あ、あぁ、当たり前だろ!ほら、俺達は夫婦になるんだから!な?」
「そうか…それはよかった…。」
「お、俺もよかっ…、と、遠野?!」
俺はやっぱり、遠野のことを甘くみていたのかもしれない。
どさくさに紛れて夫婦宣言までして…バカか俺は。
遠野が愛しているかと聞く時は決まって何か悪いことが起きる予兆のようなものだ。
普通のカップルだったら愛が深まって、というところだろう。
いや、俺達も俺達で愛が深まるのだろうけれど、遠野の場合はそのやり方に問題があるのだ。
そしてその予兆通り、遠野は俺の上に乗って迫って来た。
「昨日はすまなかった。」
「そ、それはわかったけどお前今何しようと…?!」
「昨日出来なかったからお詫びに今しようと思って。」
「!!いいっ、いいって!もういいから…っ、ぎゃーやめろー!!」
恋人や婚約者に向かってこんなお叫びを上げるなんて奴いるんだろうか。
おまけにやめろ、だなんて言う奴がいるんだろうか。
だけど遠野も遠野だ、昨日出来なかった代わりに今日なんて遠足か運動会じゃあるまいし。
夜ならまだわかるけど、朝っぱらから。
それにこの場合、俺は別の重大な心配をしなければならなかったのだ。
「大丈夫、初めては優しくするから。」
「バ、バカっ、やめろっ、そんな甘ったるい台詞なんかいらねーし!」
「フフ、初めてか…可愛がってやろうじゃないか。」
「言い方変えるとかの問題じゃねーよ!!」
せっかく昨晩はギリギリで間に合ったっていうのに…。
俺の後ろは、きっちり8時間眠ってすっきりした遠野によって再び狙われることとなった。
しかしこの体勢で逃げようとしたってどうすることも出来ない。
いよいよ後ろと夫の座とのの別離が来たと目を閉じた瞬間、勢いよく部屋のドアが開いた。
「遠野くーん、美和ーご飯出来たわよー?…あら。」
「ね、姉ちゃんっ!!」
「あらあら、昨日しなかったのぉー?それともずっとしっ放し?まぁいいわごゆっくり。」
「た、助けろー!!見りゃわかるだろ俺が襲われてんの!それでも姉かよ!!」
ご飯だと知らせに来た姉ちゃんがこの現場を見てニヤリと笑った。
もう見られたとかそういう問題はこの際抜きだ。
辛うじて遠野が掛けてくれた毛布で隠れていたし、仮に毛布がなくても乗っている遠野によってなんとか見えない角度だったと思うし。
とにかく俺はこの状況を脱出したいだけなんだ。
「美樹さん…、ありがとうございます。」
「って言ってるし。」
「実の弟より遠野を信じるのかよ?!頼むから助けてくれ!」
あぁ────…!!
もうダメだ、もう終わりだ!!
遠野はやる気満々、姉ちゃんはそんな遠野の味方。
だって姉ちゃんの奴、さっき部屋に入って来る時何気なく俺より遠野を先に呼んだもんな…。
もう俺は逃げられない。
この一回で遠野ははまってしまって、俺は今後嫁(女)役として遠野の相手をすることになるんだ!!
きっとそうに違いない!!
だけど俺は遠野の変なところに危険な目にもあったが、助かったこともある。
その遠野の常識外れに可能性に賭けてみようと、心の中でお経を唱えた。
「今すぐ行きます。」
「と、遠野…?」
「あら、いいの?」
「せっかくのご飯が冷めてしまったら大変だ。名取急ごう。」
「と、遠野…!!」
「なぁーんだ、残念。せっかく隣の部屋で聞いてようと思ったのにぃ。」
や、やった───!!
人生一生懸命生きてりゃいいこともあるもんだ!
姉ちゃんが何かまた余計なことを言っているけれど、俺は逃れられた喜びでいっぱいだった。
遠野がすぐに紐を解いてくれて、俺は晴れて自由の身となったのだった。
「いただきます、お母さん。」
「いっただきまーす!」
俺達は揃って食卓に着いた。
俺はそれこそウキウキステップで、それが話す言葉にまで出てしまう。
家族全員がそんな俺を変な目で見ていたけれど、そんなことはどうでもいい。
変な目で見られるのも、注目されるのももう慣れた。
あんまり慣れたくはないけれど、ホモとして生きていくんだからそれはそれで耐えるべきことなのだ。
「あ、そうそうそのハムとソーセージ、遠野くんから頂いたのよ。」
「手ぶらで来るわけにはいきませんので。」
「喧嘩して実家帰って手土産って…。」
「なかなか買えないのよ?これ。デパートで見るけど値段が…ってごめんなさいね。」
「いえ、いいんです、実際高いと俺も思います。」
「…?」
俺はこの母さんと遠野の会話に違和感を覚えた。
どうして母さんは苦笑いしながら遠野に謝ったんだろう、遠野も遠野でそんな答え…。
疑問に思いながらハムとソーセージを味わっていると、母さんがわざわざ箱を出して見せた。
「そ、その詰め合わせって…。そのブランドロゴって…。」
「名取、このブランド名を訳してみたらどうだ。」
「ドラゴンハム…ドラゴン…りゅ、龍…!!」
「名取が賄賂として渡したのもこれだったか?うちの父の会社のハムセット。」
や、やられた───!!
それも遠野グループかよ!!
遠野が指摘した通り、俺が賄賂として元同級生達に渡したのはここの物だったのだ。
もちろん俺が買ったのは一番安いセットだったけれど、相当奮発して買ったのだ。
デパートに行くのだって遠野にばれないように行った。
だけど遠野の奴、全部知ってたって言うのか───?
知っててもしかしてその仕返しにこんなことを…?!
俺の頭の中は、パニックによって暴走を始めていた。
「皆が教えてくれたんだ、名取からもらったって。」
「そりゃ親切な奴等だなぁ…はっはっはっ!」
「そんなに面白いか?そうでもないと思うけど。」
「面白くて笑ってんじゃねーよ!つーかお前知ってて黙ってただろ?!そんで俺のこと笑ってただろ?!」
「笑ってなんかない。名取の行為も皆の行為も裏切りたくなかっただけだ。」
「と、遠野…。そうだったのか…、ごめん。」
変だろうが常識外れだろうが、こういうところだけは普通なんだ。
俺が黙っていて欲しいと言ったことを皆から聞いて、きちんと遠野は黙っていた。
あの日たまたまばれてしまったけれど、それまで遠野は言わなかった。
そもそもばれたのだって俺が調子に乗ってキスしようとしたからだ。
俺は感動で涙が溢れそうになってしまった。
「まぁまぁまぁもういいじゃないのー、そんなしんみりしなくても!」
「姉ちゃん…。」
「仲直りもしたことだし、楽しく頂きましょうよ。」
「そうだな…。」
姉ちゃんがこの場をまた盛り上げてくれた。
姉ちゃんも姉ちゃんなりに心配だったんだろう。
話の内容はわからないけれど、遠野が相談しにこんなところまでわざわざ来るぐらいだから。
俺は言葉にはしないけれど家族に感謝しながら、再び箸を持った。
「遠野くん、昨日は美和のソーセージも楽しく頂いたの?」
「ぶっ!!何言ってんだよ!!」
「えーだってぇ気になるじゃない、弟がどういうエッチしてんのか。今度の新作の参考に…。」
「あ、朝からそんな話すんな───!!」
前言撤回。
姉ちゃんはやっぱりこういう女だった。
俺はその質問に答えようとする遠野を止めるのに必死だった。
こうして俺と遠野の実家での二日間は終わって、再び二人の家に戻ったのだった。
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