「Love Master.3」-5
遠野が俺の家にいる?
そりゃ一体どういうことだよ?!
しかも姉ちゃんには怒られるわ…、俺が何したって言うんだよ…いや、まぁしたけど…。
それにしたってこの状況はなんなんだよ…、もうわけわかんねぇ。
俺は、混乱した状態のまま、駅へ向かって電車に飛び乗った。
滅多に帰らない実家に、こんなことで帰るとは思ってもみなかった。
その滅多に帰らないのも、帰らなくてもいいぐらい、遠野との日々が充実していたからだ。
「くそー…。」
これほどまでに電車という乗り物が遅いと思ったことはない。
こんなに乗っているのが長く感じるなんて、俺は相当遠野に会いたいらしい。
早く会って、早くこの問題を解決しなければ…。
そうしないと俺は、本当に大事なものを失ってしまう。
電車が駅に停車することにさえ苛立ちを覚えながら、やっとのことで実家の近くの駅に着いた。
「ミワちゃん!」
「…あ、義兄さん。もしかして迎えに来て…ってミワってのやめてくれよ…。」
駅のロータリーに、見覚えのある車が停まっているのを見つけると、向こうも俺を見つけたらしく、すぐにドアが開いた。
俺の姉ちゃんの旦那、つまりは俺にとっては義理の兄が、わざわざ迎えに来てくれていたのだ。
しかも旦那も姉ちゃん同様、同人をやっているらしい。
らしいと言うか、何度か見せてもらったこともある。
姉ちゃんはホモエロ、義兄さんは美少女エロ、一体どんな夫婦だよ…、と思ったけれど、それはそれで案外、むしろかなり上手くやっているようだった。
「うん、美樹ちゃんに頼まれてね。君は大事な美樹ちゃんの弟さんだし。」
「はは…、そりゃどうも…。」
「それに君は遠野くんの大事な婚約者なんだから。」
「はは…、そりゃどうも…。」
「今日は泊まって行くんだろう?お義母さんも楽しみにしているみたいだったよ。」
「うーん…、多分戻るのは無理だろうなぁ時間的に…。」
この人も姉ちゃんの言いなりなんだよな…。
姉ちゃんより二つ年下ということもあり、亭主としての貫禄はまるでない。
最初に同人やってるとか言うから一体どんだけオタクっぽいのかと思ったら全然そうでもないし
。
見掛けは気の優しそうなお兄さんという感じで、だからこそ言いなりになりそうな気もする。
しかも俺と遠野のことも、結婚前に姉ちゃんから教え込まれたらしい。
「さ、旦那さんが待ってるよ、行こうか。」
「ちょ…、旦那って…、あいつが嫁なんだけど!」
「ははっ、まぁいいじゃないの、どっちでも。」
「どっちでもって…。」
全然よかねぇよ!!
俺にとっちゃ大事な問題なんだよ、そこはよ!!
そんなだから姉ちゃんの尻に敷かれるんだぞ!
…と、ここで怒っても仕方がない、とりあえずは遠野に会うことを考えよう。
会って話し合いをして、仲良くあの家に戻ることを考えよう。
俺がさほど考える暇もなく、車は実家に着いてしまった。
さっきの電車の中ではあんなに時間が経つのが長く感じたのに、今度は逆だった。
姉ちゃんの結婚を機に、小さいけれど俺の実家は二世帯住宅になった。
それまでは、狭いファミリー向けの賃貸住宅だったのだ。
まだ新しい玄関のドアを開けて、皆がいるであろうリビングへと進む。
心臓はドキドキバクバク、緊張して手が小刻みに震えてしまっていた。
「と、遠野っ、いるのかっ?!」
意を決して、リビングのドアを開けた。
実家に帰って第一声が遠野ってのもおかしい話だが。
「あぁ名取、おかえり。」
「お、おう、ただいま……って違ーう!!」
「?何も違わないぞ、ここはお前の実家なんだから。」
「そうじゃなくてなんで俺の実家にいるんだよっ!!」
ど、どうしよう…、三日振りに会ったってのに相変わらず会話が成り立たない…!
今更それはどうしようもないんだけど、それにしたって遠野は意味不明な行動し過ぎなんだよ。
俺が息を乱しながら叫んでいるのに、遠野は涼しい顔をして呑気に饅頭片手に茶なんか啜っている。
「名取、置き手紙は読んだのか?」
「読んだに決まってるだろ!お前が実家に帰るって………ま、まさか…。」
あぁ、俺、バカだ…!!
俺はまんまと遠野の罠に嵌ってしまっていたのだ。
いや、遠野自身は罠だなんて狙いはこれっぽっちもない。
言ってみれば俺の勘違いとか早とちりとか。
俺は、脳内にあの手紙の文面を鮮明に思い出しながら、床に崩れ落ちた。
「だから帰ってるんだけど、名取の実家に。」
「あはは…、そうだよな…!自分の実家って書いてなかったもんな!」
「結婚するわけだし、お前の実家は俺の実家も同じだ。」
「うん、そうだと思ったんだよ、俺も!あははははは!!」
ま、紛らわしい手紙なんか書くな─────!!!!
俺がどれだけ心配したと思ってるんだ!
俺がどれだけ悩んだと思ってるんだ!
寂しくてちょっとだけ泣いちゃったじゃねーか恥ずかしい!!
遠野本人に向かって言えない代わりに、床をドンドン叩きながら、胸の中で叫んだ。
「名取、どうした?腹でも痛いのか?」
あぁそうかよ…そうやってすっとぼけたこと言うんだな…。
くっそー、俺の今までの苦悩はなんだったんだ!
勝手に誤解して勝手に悩んだだけなんて言われたら返す言葉なんかないけど。
だけどあんな手紙置いて出て行ったら誰だって……。
「それとも何か可笑しいのか?」
「あぁ可笑しいよ自分がな!」
「そうでもないと思うけど。」
「う、うるせーよはっきり言うなよそんなの!つーかお前怒ってたんじゃないのかよ?!」
そうだよ、俺のことを捨てて出て行ったことには違いないんだ。
行き先がちょっとだけ(あくまでちょっとだけだ)違っただけで…。
「怒ってたのは名取、お前じゃないのか?」
「あ…、そっか…、そうだった…。いや、でもお前はそれに対して怒ったんじゃないのか?」
「俺はただ、お前と喧嘩になって相談しに来たんだけど。」
「は?相談?なんのだよ?!」
いつものことだけど、話がお互い一方通行だ。
俺達、よくこんなんで今まで付き合って来たよな…。
うまくやって来たかどうかは別として、よく別れずにいたと今頃感心してしまった。
「だから、このまま別れることになったらどうしようかと思って…。」
「そ、そんな飛躍するなよ…。」
「実家に相談しに行くのは普通じゃないのか?」
「それは普通は自分の実家に行くだろうが!」
遠野の口から「普通」という単語が出て来ることほど矛盾していることはない。
そんなに普通だって言うなら普通に自分の実家に帰るっての。
やっぱりこいつ、どこか変なんだよな…。
どこかって言うか、全部だけど。
「名取、悪かった。」
「え……?」
俺の肩を叩く遠野の口から、しおらしい言葉が零れ落ちる。
耳元がくすぐったくなるような、小さな声で、ぼそりと呟く遠野がいじらしく見えた。
いじらしいっていうか…、か、可愛いんだけど…!!
そんな風に謝られたら、怒ってたことなんかなかったことにしてしまいたくなる。
「裏口入学のこと、黙ってて悪かった。」
「い、いや、まぁ…、あー、そんな反省してるならいいけどな。」
なんて、ちょっとここで俺も夫の座を見せ付けてやらないとな。
俺は素直に謝る遠野に対して、調子に乗って強気な態度で出てしまった。
それも結局、俺の空回りだったりしたんだけど。
「でも結局裏じゃなかったから、言わなくていいと思っていたんだ。」
「は?!う、裏じゃないって…?」
続いて聞かされる遠野の言葉に、俺の強気な態度が一変する。
冷や汗がダラダラ零れて、握った掌も汗でびっしょりだ。
もしかしなくても、俺の誤解のせい…?
「確かに頼んだけど、名取はちゃんと試験で合格していたんだ。だから金は渡していない。」
「は…、は…、早く言えよそういうことは…!!」
「言おうとしたらお前が怒って行ってしまった。」
「あはは!俺か?!俺のせいかそれ?!うん俺のせいだな!!」
ああ言えばこう言う…。
いや違う、この場合、遠野はただ単に説明をしているだけで…。
とにかく、すべては俺の早とちりと誤解から始まったということだけは事実だった。
ここまで自分のせいだと、なんだか笑えてきてしまった。
「でもダメだったら裏口入学させようとしてたのは本当だから、やっぱり俺が悪い。」
「あはは、もういいんだけどな…。」
「でも俺は、どうしてもお前と同じ大学に行きたかったんだ。」
「う…っ!と、遠野…!」
な、なんつー情熱的な目で見やがる!
つーかまずい、こいつのこういう一途なところ、俺めちゃめちゃ弱いんだよな…。
裏口入学だなんて世間から見ればとんでもないことなのに、俺のために考えてくれたことだと思うと、感動までしそうになってしまうんだ。
「名取、すまない、お前を愛し過ぎる俺を許してくれ。」
「許す!許します!はいっ、俺許しまーす!」
「本当か?」
「当たり前だろ、そんなことで俺が怒るわけないだろ…フフ。」
「でも怒っていたよな?」
「いや、だからそれは一時的な感情ってやつで…。」
せっかく決まったと思いきや、俺の言葉の端々を遠野が揚げ足を引っ張る。
愛し過ぎるだなんて、最高の愛の言葉じゃないか!
こんなに一人の人に思われて、俺は幸せもんだ……多分だけど。
「そうか。じゃあ今夜は謝罪ということで奉仕するからな。」
「ほほほ奉仕って…!」
「奉仕は奉仕だ、セックスに決まっているだろう。」
「セ…!」
やった────…!!
神様ありがとう、俺は幸せです!
生きててよかったってのはこういうことを言うんだろうな…。
「何ニヤニヤしてんのよっ!」
「痛ぇ!!な、何すんだよ姉ちゃんっ!」
「美樹さん、お陰で名取との誤解が解けました。」
「そ、そう、そうなんだ!姉ちゃんが俺に電話してくれたから…。」
「わかってるわよ、全部聞いてたし。」
俺が振り向くと、そこには姉ちゃん、義兄さん、キッチンには母さん、庭から戻った父さんまで一家勢揃いで俺達を見守っていたのだった。
気づけよ俺!アホかこんなところ全部聞かれてたのに!!
「フッフッフッ…、今夜が楽しみねぇ〜。」
「はい、楽しみです。」
「な…!姉ちゃん…!遠野まで何言ってんだ!」
「やーん!喧嘩の後のエッチ!最高!激萌えなんだけど!!」
「今度の美樹さんの新作にどうですか?」
「バカっ!そんなこと言ったらホントに描くぞこの人!」
「あらいいじゃない、美樹の本面白かったわよ。なんて言うかこう、エロティックで。」
「か、母さん…!何言ってるんだよ!」
「僕も美樹ちゃんの本は好きだなー。描写が素晴らしいと思うんだよねー。」
「ちょ…、義兄さんまで…!」
実の弟のエッチ話で盛り上がるなよ!しかもホモなんだぞ!
母さんいいのかあんたの息子ホモなんだぞ!
一体どんな家だよこの家は!
遠野家のことなんか言えないぐらい変だぞ?!
「と、父さん…、なんとか言ってくれよ…。」
「いやーわしは母さんと同じ意見でいいから…。」
「な…、無責任なこと言うなよ!」
「おっと、また庭の手入れでもして来ようかな…。」
このバカ親父!!
お前がそんなだからうちの女は調子に乗るし、俺もこんなに小心者になったんだぞ!
俺は、自分がどうしてこんな奴になったのか、今のこの家の中を見てやっと理解出来た。
「名取は楽しみじゃないのか?」
「いや、あの…それはその…。」
楽しみだけど!
だけどここでハッキリ言ってしまったら、今夜はエッチします的発言になってしまうじゃないか。
発言しなくても、行為に及んだらそれは皆の思う壷ってことになる。
でも遠野のご奉仕…ご奉仕…!!
皆にバレても、ご奉仕してもらうべきか。
もう絶対に電車に乗っても家までは辿り着けないから、今夜は我慢して明日家に戻るまで待つべ
きか。
あぁ、俺は一体今夜、どうしたらいいんだ?!
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