「ウェルカム!マンション」-2







「あ、あのう〜…‥。」

4号室、と、これまたボロい札のかかった部屋で、俺は引き取られた後に残った荷物を解く。
多分迎えに来た住民が、一緒に運んでくれたんだろう。
しかもなんか4、なんて不吉な数字だよなぁ。
それに相応しいような紫堂、という、口の悪そうな同室の奴に話し掛けた。


「あ?なんだよ?」
「な、なんでもないです…。」
「なんでもないなら言うなよ。」
「すいません…。」

そんな冷たい言い方しなくても…。
手伝ってくれてもいいじゃんか。
ふん…、やな奴。 顔はまぁいいけど…。
多分俺よりは年上だろうな。
あ…れ…。 この顔どっかで…。
眼鏡でちょっと隠れてるけどこの人…。


「だからなんだよ、人の顔ジロジロ見て…。」
「あの、もしかして…。」

そのキラリと光った銀縁の眼鏡を、俺は近付いて、瞬時に取ってしまった。


「なにすんだよ!」
「あの、ミヅキ…に似てるって言われ…。」
「似てるも何も本人なんだ、当たり前だろ。」
「え、えぇっ!」

ミヅキ、というのは、音楽に詳しくない俺でも時々テレビで見掛ける、
なんて言うんだろ、ロックミュージシャンって言うんだろうか、今人気上昇中のいわゆる芸能人、ってやつだ。


「ほ、本物…!」
「だったらなんだって言うんだよ。」

だったらなんだ、って、そんな人がなんでこんなとこにいるんだ、なんて誰でも思うだろ。
金だって一般人よりはあるハズだし。
俺はびくびくしながら、その疑問を口にした。


「翠さんのメシが美味いから。」
「へ…。」
「お前も食えばわかるよ。」
「は、はぁ…。」

なんとも間抜けな返事だけど、
俺はそんな風にしか答えられなかった。
訂正。
意地悪じゃなくて、意地悪プラス変な人。
メシが美味いって、それだけでこんなとこに好んで住んでるか普通。
絶対変だよこの人!


「あ…じゃあミヅキってやっぱり芸名…。」
「本名。ミヅキは名字、観るに月、紫堂が下の名前。」
「えっ、そうなんだ…でも紫堂、でもいいのに…。」
「カタカナにした時変だから名字にしたんだよ。」

いや、それで芸名決める方が変だって!
シドウ…う〜ん、確かにミヅキの方がいいかもしれないなぁ。


「なんか両方とも名字みたいな名前ですね…。」
「喧嘩売ってんのかよ?」

ちょっと仲良くしてやろうと冗談のつもりだったのにこれだもんなぁ。
なんか物凄い合わなそう…。
俺はホケッとしながら、その横顔を見ていた。
さすがは芸能人、顔ちっちゃいなー。
睫毛も長く見えるし。


「何、人の顔ジロジロ…あ、時間だ。」

いつの間にかその顔をまじまじと見つめてしまっていて、また文句を言うかな、なんて構えていたら、
時計を見上げて紫堂(とりあえず胸ん中でも紫堂さん)、は言った。
どうやらその、美味い、らしいメシの時間らしい。


「ホラ行くぞ。」
「あ…鍵は…。」
「そんなもんねぇよ、別に盗まれて困るもんもないし、盗む奴もいないからな。」

古いのは建物だけじゃないのか…。
なんだかタイムトリップしたみたいだ、俺。
俺は溜め息を吐いて、部屋を出た。









「う…まい…‥!」

一口食べた瞬間に、美味いらしい、 は、美味いという決定的なものになった。


「でしょ〜?翠さんのコロッケは絶品なんだよ! 僕と遥也くんも手伝ったんだよ。」

一階にあるリビングダイニング…いや、 食堂って言った方がいいというような場所で、
俺はここに来て初めての食事をした。
座敷じゃなくてテーブルだったのがせめてもの救いってところかな。


「褒め過ぎだ、裕巳。」
「あ、いや、ホントに、美味しい…です。」

褒め過ぎでもお世辞でもなくて、これは美味いかも。
中身がホクホクしてちゃんとじゃがいもの味がして、衣もサクサクしてて…。
なんだか実家にいた時のこと思い出しちゃ…。


「…‥っ、く…。」
「悠真くん!どうしたのっ?」

母さん、母さんは大丈夫なのか…?
親父、ごめん、親父のせいにして。
今頃大変なんだろうな。 ちゃんとメシ食えてるかな…。
そう思うと、自然に涙が零れてしまっていた。










「だらしねぇなあ、あんな泣くなんて。」
「し、仕方ないじゃないですか…っ。」

部屋に戻って、またしても紫堂さんにバカにされて、俺は鼻を啜りながら答えた。
ホントに仕方ないだろ…。
俺はなんかこんなボロっちいところだけど、 ちゃんと雨も凌げるけど。
どっかで行き倒れとかになってないだろうか。
俺を産んで育ててくれた親だ、心配もするし。


「ホラ。」
「あ、ありがとうございま…、ぶーっ。」

紫堂さんに差し出されたティッシュで、思い切り鼻をかんだ。
なんだ、結構優しい…?


「今度返せよ。」
「何をですか?」
「ティッシュ2枚。」
「はあぁ?くれたんじゃないんですかっ?」

おかしい。おかしいよここ!
ティッシュぐらいくれるもんじゃないのか?

話によると、ここでは自分の使う消耗品は自分で買うか、室長、という人が集金して買うらしい。
室長って言っても、部屋には二人なわけだから、どちらかで、先に入居した方だそうだ。
つまりこの部屋の場合、紫堂さんということだ。


「じゃあ俺、ちょっと出てくるから。」

時代倒錯もいいところだ、なんて俺が呆れ返っていると、紫堂さんは立ち上がって、黒のジャケットを羽織った。
うあ…、なんかやっぱり芸能人っぽいかも。
服も高そうだし、着たら着たで決まってんなぁ。
もしかしてこういうのに金かけてるとか??


「あ、仕事ですか?これから。」
「違う。」
「あ…じゃあデート…とか…。」
「違うよ。」

あ…しまった…。
こういうプライベートって隠すもんだよな。
一応顔も知られてることだし。
気まずく感じていると、紫堂さんは口の端を僅かに上げた。


「下半身の処理しに行くんだよ。」
「え…え…??」
「セックスフレンドってやつに会いに行くんだって。」
「え…ええぇっ?」

な、な、何言ってんだこの人っ!
今日会った人間にそんなこと言うか───?!
セ、セックスフレンドって…。
だって、だってさ、そういうのって…。


「あ、あのっ!そ、そういうのってあんまりよくないんじゃ…。」
「何ィ?」

ひえ───っ!!
睨まれた!この人眼力がすごいんですけど。
い、言わなきゃよかったかも。


「偉そうに言うなよ、童貞のクセに。」
「…っ!!な、な、なんでわか…っ!」

うわっ、俺墓穴掘った!
動揺してわけわかんなくなって自分のことまで。
俺が口を押さえた時にはもう遅くて、自分の手の代わりに、別の皮膚が触れていた。


「……んんっ───…っ?!」

お、俺っ。
俺もしかして、この人にキスされてないかっ?
なんか口の中に熱いものまで入って来てる───?
く、苦しい…っ、っていうかなんでこんなこと…っ?


「な、な、何考えてるんですかぁっ!!」

俺は力いっぱい紫堂さんを払い退けた。
まだ息が苦しくて、唇が熱い。
口の中まで熱くて、溶けてしまいそうな…。
いや、そんな浸ってる場合じゃないし。
俺、男だし、紫堂さんだって…。


「なんだ、キスもしたことないのか。」
「ち、違…っ。」
「それも図星か。真っ赤だぜ?」
「違います…っ。」

俺はきっと、紫堂さんの言う通り、真っ赤だっただろう。
身体中が熱くて、心臓が飛び出そうだ。
もう一つ、紫堂さんの言う通り、 この歳でキスもしたことなかったからだ。


「じゃあな、お子様はさっさと寝ろよ。」

そんな意地悪なことを言われたのに、俺は今の出来事に驚きを隠せなくて、何も言えなかった。
俺、やだよこの人と同じ部屋なんて…。
バカにされるわ、意地悪されるわ、 こんな嫌がらせまで…。
そんなことを延々と考えていたから、さっさと寝ることなんかできなかった。









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