それは10月の終わり、ある晴れた朝のことだった。
広いマンションで一人暮らしを始めた僕は、隣の家にご飯を食べに行くのが日課だ。
隣に住んでいるのは僕より一つ下の志摩と、その恋人の隼人だ。
二人は一応このマンションの管理人で、表向きでは親子だと言っている。
だけど本当は男同士だけどそういう関係だということは、僕はすぐにわかった。
もちろん戸籍上は親子だし、兄弟と言われれば見えなくもないけれど、傍で見ていたら恋人以外の何にも見えない。
それぐらいいつも二人はベタベタしている。
その日も僕は志摩のところに行き、ご飯を食べていつも通りに家を出ようと思っていた。
「旅行?」
「うん、そうなの…来週なんだけど、それで虎太郎を預かって欲しいんだけど…。」
志摩のところには猫が一匹いる。
トラ模様の、志摩曰くカッコいい猫だ。
僕にはその猫の魅力はわからないし、実はその猫があまり好きではなかった。
僕が志摩に突っ掛かっているのを見ると向かって来るし、何度か引っかかれたこともある。
志摩や隼人には懐いているみたいだけれど、とにかく僕に対しては凶暴な猫なんだ。
「ふぅーん、新婚旅行ってこと。」
「え…!ち、違うよー!新婚旅行はもうしたっていうかー…なんて、は、恥ずかしいー!」
「何自分で言って照れてんの。」
「う…。ご、ごめん…!」
志摩ははっきり言って馬鹿だ。
頭も悪そうだし、鈍感だし、言ってることもわけがわからない時がよくある。
確かに顔は可愛いかもしれないけれど、性別はあくまで男なんだ。
僕にはそんな志摩を恋愛感情で見れる隼人の気持ちはわからない。
それでも多分、いいところがあるから好きになったのだとは思うけど…。
ううん、僕も本当は志摩のいいところをいっぱい知っているんだ。
だけどそれを口にするのが悔しいし、恥ずかしいだけで…。
「志季ー…ダメ…?」
「はっきり言ってやだ。」
「そ、そっかぁ…。わ、わかった…。」
「やだけど…誰もいないんでしょ?」
そうやってしゅんとすればいいみたいに落ち込んで、馬鹿みたい。
でも志摩がわざとじゃないのはわかっている。
わかっているけど、僕が意地悪したくなるだけなんだ。
「志季…!」
「どうしてもって言うなら仕方ないから預かってあげてもいいよ。」
僕は志摩が、僕以外に頼める人がいないことを知っていた。
志摩は隼人に会うまで一人ぼっちだった。
生まれてすぐに捨てられて、おまけに学校ではいじめられていた。
これは僕が志摩を訪ねる前に勝手に調べたことだ。
そしてあんなに意地悪をしたのに、志摩は僕のことを友達だと思っている。
和解した後も僕は志摩に意地悪ばかりで、全然いい友達なんかじゃないのに。
「えへへー、お土産いっぱい買ってくるからね!」
「べ、別にいらないよそんなの…。」
志摩はたちまち笑顔になって、僕におかずを足してくれた。
それにお土産まで買ってくるなんて、物で釣るみたいなことに引っ掛かる僕じゃないのに。
でもそれもわざとじゃないことも、僕は知っているんだ。
「これがエサでー、これがトイレでー。」
「うん…。」
その次の週になって、志摩は隼人と一緒に僕の家にやって来た。
志摩の腕には虎太郎、隼人の腕にはトイレやらエサやらが沢山載っていた。
「虎太郎、いい子にしててね?」
「にゃう~ん。」
「………。」
僕にはわからない。
この猫を可愛がる志摩や隼人の気持ちも、二人に対してはいい子でいるこの猫の気持ちも。
それこそまるで親子みたいに溺愛したりして。
僕は半分呆れながら、志摩と隼人から虎太郎を受け取った。
「じゃあ志季、よろしくね。」
「悪いけど頼むな。」
「別にいいけど。」
その日は金曜日で、僕は学校があった。
虎太郎は小さい猫でもなかったから、家に置きっ放しにしても大丈夫だろうと思った。
志摩もそれでいいと言っていたし、隼人も僕に無理はしなくてもいいと言ってくれた。
だから僕は安心して学校に出掛けた。
「な、何これ…!!」
しかし家に帰った僕は、唖然とした。
きちんと整頓していたはずの部屋の中がめちゃめちゃに荒らされていたのだ。
布団やシーツはぐちゃぐちゃになっているし、色んな食べ物まで散乱している。
それを気にもしない様子で、虎太郎は走り回って遊んでいる。
「ちょっとっ!何てことしてくれたの?!」
「にゃう~?」
「あーもう!こんなところでトイレしてー!!トイレはこれでしょ?!こっち!いつもしてるでしょこれに!!」
「うにゃ~。」
猫に文句を言っても僕の言葉なんかがわかるわけがないのはわかっている。
だけどこの怒りをぶつけなければ気が治まらないんだ。
「何知らない振りしてんのっ!」
「にゃ~。」
「もーう!何言ってるかわかんないよ!もういいからあっち行って!!」
「み~。」
志摩に同情して言うことを聞いたばっかりに、どうして僕がこんなこと…!
おまけに寂しそうな声なんか出して、あれじゃあなんだか僕が悪いことをしているみたいじゃないか。
悪いのは虎太郎なのに、どうして僕がこんな目に遭わなきゃいけないの…?
志摩に意地悪したから?
それともいつも素直になれないから?
ご飯を食べに行くのが図々しいってこと?
「もうやだ…。」
だからってこんな仕打ちをしなくてもいいのに。
今頃志摩も隼人も旅行を楽しんでいると思うと、なんだか自分が惨めに思えた。
僕は虎太郎を部屋から追い出すと、半分泣きながら掃除をした。