意識が朦朧とした中、奴は毎朝やってくる。
俺はというと、毎日傷だらけになって帰って来るから、身体中痛いし、夜は夜で仲間との集まりで朝まで眠らない日もある。
だから俺にとってはそれは迷惑でしかないものだった。
「純ちゃーん、朝ですよ、おはようございまーす。」
そんなのわかってるっつぅの。朝だから寝るんだろうが。
耳元で陽気な声が聞こえて、せっかくの眠りの時間が台無しだ。
それでも奴は諦めるとか止めるとか言う言葉を知らないらしい。
「おーい、聞こえてる?じゃあ仕方ない、おはようのキスで…。」
「うるっせぇな!!聞こえてるどころの騒ぎじゃねぇよ!」
「お、起きた!今日は30分か、今月第3位の記録だ。」
「いちいちつけてんじゃねぇ!誰でも起きるだろうがあんな耳元で言われたらよ!」
俺の貴重な時間を邪魔しやがってよくもそんな呑気でいられるな。
時計なんか見て毎日チェックしやがってよ。
「あ、つけてない、俺、覚えてるから。」
「あっそう、さすが秀才は違うよな。」
学年で1、2を争うぐらい頭がいいってのに、なんだって俺の言う日本語が通じねぇんだこいつは。
あぁ言えばこう言うで会話が成り立ってねぇんだよいつも。
「んじゃハイ、んーーっ。」
「何がんーー、だ、寄るな!俺に触るんじゃねぇ。俺を誰だと思って…。」
「わかってるよー、ウチの総番の純ちゃん。」
「総番を純ちゃん、なんて腑抜けた呼び方するな!」
そう、俺は通っている学校の総番と言うやつで、世で言う不良、だとか、ヤンキーと呼ばれる類なんだ。
世間じゃ生きた化石だのなんだの言うけど、俺は誰よりも強くなって上に立ちたい。
バカにする奴なんて一発殴ってやる。
それがなんでこんな奴に付きまとわれてるかと言うと、ただ単にこいつが俺んちの向かいに住んでるからだ。
それだけの理由だ…と思っていたのが履がえされたのが約半年前。
朝起きると突然こいつの顔が目の前にあって、ビックリする間もなくキスされそうになった。
だけど俺は喧嘩で鍛えた持ち前の神経で、なんとかかわした。
そしてこいつに思い切り右ストレートをかましてやったというのに…。
「まぁそう言わずに、そろそろ落ちなよ。」
「誰がてめぇみたいなビン底に落ちるかよ。」
「ひどいなぁ、もう俺ビン底じゃないって。今って薄いのたくさんあるんだから。」
「てめぇはホントにあぁ言えばこう…。」
幼い頃から向かいに住む賢一は頭が良かった。
勉強のし過ぎで牛乳ビンの底みたいな眼鏡をかけていた。
そんな賢一をまわりの奴らはよくからかっていじめていた。
泣きながら俺のところに来た賢一の仕返しにいじめた奴らと喧嘩した。
そんなことをしているうちに、どうやらこいつは俺に恋してしまったらしい。
そのキス未遂があったというのに、次の日もこいつは俺の部屋にやって来た。
右の頬に青痣を作って、眼鏡は別のものになって。
「おい、学校で、その名前で絶対呼ぶんじゃねぇぞ。」
「なんで?純ちゃんは純ちゃんじゃん。」
「だから気持ち悪ぃっつってんだろ、せめて純太にしろっつってんだよ!」
「えー、ちっちゃい頃は純ちゃん賢ちゃんって呼び合った仲じゃ~ん。」
それはどこかのお笑いコンビか。
仲って、別に俺はお前と仲良しなつもりは…あったかもしれないけど、お前みたいな愛だの恋だのいう仲なつもりはない。
お前がそんなこと言い出さなきゃまだよかった。
それでも俺はお前と仲良くお友達、でいるつもりはなかったけど。
だって俺とこいつじゃあまりにも違い過ぎる。
「呼び合いだけじゃない、見せ合いもしたじゃん、お風呂とかベッドでさぁ。」
「!!し、知らねぇなっ!なんのことだ?」
「忘れちゃった?んじゃあ思い出させてあげるよ。どれどれ…。」
「…バカっ!触るなっつってんだろ…っ!こんのやろ…っ!!」
寝ていた俺の布団の中、あろうことにジャージの中に賢一の手が忍び込んで、大事な股間の危機を感じた俺は、思わず賢一をぶっ飛ばしていた。
「……った…、いたた…。」
「あ…悪ぃ!手加減できなかった、おい、賢一大丈夫か?」
つぅかなんで俺が謝んなきゃなんねぇんだ。
悪いことしたのは賢一のほうだろうが。朝っぱらからセクハラしようとするから。
でも賢一の言ったことは事実で、俺たちは昔よく一緒に風呂に入っていた。
ベッドでもその…確かに見せ合ったり、も、もしかしたら時々触ったりしてたかもしれない。
それはあれだ、興味半分ってやつだ、誰でもそうだろ、小学生とかの頃って。
その頃の俺は今みたいにひねくれてなかったと思う。
いつから俺ってこんなふうに…。
「キスしてくれたら治ると思う。」
「いっぺん死んで来い。」
100パーセントこいつのせいだな。
好きだとか言い出したせいだ。
俺はヘラヘラ笑ったその顔を、もう一度床に沈めてやった。
「純ちゃーん、まだぁ?」
「うるっせぇなぁ、だったらてめぇだけで行けよ。今一番大事な時間なんだよっ。」
一階の洗面所での朝の日課をしていると必ず賢一は茶々を入れてくる。
そんなに文句あるならなんで待ってるんだよ。
毎日毎日よく飽きないよな。いっそ飽きてくれれば解放されるんだろうに。
「また今時リーゼントにでもするつもり?」
「バッカお前ありゃ流行らねぇよ、次はあれだ、茶髪のロン毛だな。」
やっぱり色男っぽいの狙うならそれしかないだろ。
そしたら女にもモテるかもだろうしな。
女ってのは顔がよくて強ければ多少性格がひねくれててもなんとかなるもんだ。
…っていうのは前の総番から聞いた話だけど。
総番の女なんて周りにも自慢できる…と思うし。
「似合わないと思うよ。」
「余計なお世話だ。」
「純ちゃんさぁ、中学ん時の剃り込みとか、高校入ってからの変な色とか全部似合わなかった。」
「…ハッキリ言ってくれるじゃねぇかよ…。」
この俺に向かってそこまで言えるお前は何者なんだよ。
でもこいつのは言えるだけの理由がある。
わざわざ俺と同じ学校に入りやがって、見せ付けるつもりだったんだろうか。
こんなヘラヘラしてるクセにモテんだよな。
でも俺は御免だ、女にまであんなヘラヘラすんのは。
優しくて頭がよくて、なんて同じ学年の女共が騒いでるのを俺は何度も目撃した。
俺にはまったくもって理解できねぇよ。
「あ、ホラ、遅刻だ、急いで!」
「放せって!いいんだよ別に遅刻でよ!」
「俺が嫌なんだって。いいから。」
「よくねぇよ!放せっつってんだろ…!」
まだメシも食ってないというのに、俺は賢一に引き摺られて家を出て、学校へと向かった。
こういう時だけ強気に出やがって…。
「純ちゃーん、後ろ乗ればいいじゃん。」
「い・や・だ!!んなこっ恥ずかしいこと…っ、できるか…っ!」
賢一が一人自転車を漕ぐ隣で、俺は息を切らしながら走る。
まだ少しだけ残暑の名残りがあって、朝といえども走ったりなんかしたら暑くて仕方ない。
「自転車乗れないほうが恥ずかしいと思うけど。」
「てめぇ…っ、んなこと、絶対っ、デカい声で言うなよ!!」
ちくしょう!!なんで俺こんな奴に弱み握られっ放しなんだよ。
中学生の時、暴走族に憧れていた俺は、先輩の真似をして家の前でバイクに乗ろうとした。
その跨った瞬間に見事に落ちて、額まで切ってしまった。
その情けない姿まで賢一は目撃していた。
本当に、いつの間に見てやがったんだよこの野郎…。
ストーカーかてめぇはよ。
「不思議だよねぇ、バイクから落ちて自転車まで乗れなくなるっていうのも。」
「前向けよ、てめぇも転ぶぞ。」
どうせなら転んで俺みたいに乗れなくなればいいのに。
そしたら俺のこと笑えなくなる。今度わざと話しかけまくって落としてやろうか。
…いや、さすがの俺もそこまで非道なことはできねぇよな。
なんとかして賢一から逃れる術を、酸素不足でクラクラする頭で考えながら、学校まで走った。