今、俺はとても激しく後悔している。
それは4月の高校入学式の次の日の出来事だった。
あの優しそうな笑顔と色っぽい声に一発でやられてしまったんだ。
『君、うちの部に入らない?』
穏やかに笑ったその人は、ネクタイの色から3年生ということがわかった。
やや茶色い髪が日射しに透けてキラキラ光っていた。
決して鋭くはないけれど強い瞳が自分だけを見つめていた。
掴まれてもいないのに触れるぐらいのところにあった
その人の腕から体温まで伝わってくるみたいだった。
『…は、はい…!』
これはいわゆる一目惚れというやつだ。
相手はまぎれもなく男なんだけど、そんなのも忘れてしまうぐらいその人のすべてに夢中になっていた。
たった一瞬で、恋に落ちてしまったのだった。
これからの高校生活はそんな恋に悩みながらも、その人と両思いになることを夢見る、薔薇色になるハズだった。
…ハズ、だったのだ…。
***
「佐藤、遅いよ、それに形も悪いな。」
「…す、すいません先輩…、あの…。」
この片思いの相手、綾小路先輩がストップウォッチを手に俺の手元を真剣に見つめる。
見つめられてるのは手であって自分じゃないのに、ドキドキする。
「部長と呼んでくれ。何か言い訳でもあるのか?」
「はいあの…部長、俺の名前、伊藤です…。」
もう入部から四ヶ月も経ってるのに…。
しかも学校がある日は毎日のように顔合わせてるっていうのに。
これは俺に興味がないっていう意味なんだろうか…。
なんだろうな…だって先輩の頭の中って、この部活のことばっかりなんだ。
「いいか、見てろ、こう左手は優しく軽く添えて。愛しい人を愛撫するように。」
「愛…、さすがせんぱ…部長です!」
「料理は愛が大事だぞ、覚えておけ。」
「はいっ!ありがとうございますっ!」
そう、俺が先輩に勧誘されてうっかり入部してしまったのは、料理、裁縫、その他家庭的なことを極めようという、『家庭科部』だったのだ。
後になって取り消しそようと思ったんだ。
だけど先輩はちゃっかり俺の入部届を偽造して目の前に差し出した。
最初に『アットホーム研究部』って時点で気付けよ、俺。
っていうかそれもそれで怪しいと思えよな…。
てっきり建築かなんかだと思ったんだよ、我ながら自分の頭の悪さには呆れてしまう。
「佐藤、キュウリの後は玉ねぎだ。」
「伊藤ですってばぁ…。」
しかも部員はたった二人だっていうのに。
俺が入って廃部を免れたらしい。
先輩にとっちゃ俺なんて部を存続させるための道具だったんだ。
あぁ…玉ねぎ切る前に泣きそうかも…。
涙を堪えながらまな板に散らばった不格好なキュウリの輪切りをボウルに移した。
「先輩ぃ~…まだですかぁ?」
「待て、気合を入れてるんだ、あ、部長な。」
玉ねぎの前で何分こうしてるんだよ~…。
自分のことは部長って呼べって言って呼ばせるクセに。
俺のこと、いつになったらちゃんと呼んでくれんの?
なんかもうこの恋は絶対叶わない気がしてきたよ…。
もういいや、いじけた気分で包丁を握って、先輩の目を盗んで玉ねぎを切り始めた。
「…ったくもう……いてっ!」
しまった、よそ見してその上考えごとしながらやってたからだ。
左手の人差し指から鮮血が滲んでいた。
…っていうかこんな声出してんだから気付けよ先輩!
あまりにも苛々してしまって、勢いよく先輩に近付いた。
「先輩っ!指!これ!!」
「…ん?バカっ、なんで早く言わないっ!」
「今デカい声で叫びましたよ!」
「いいから貸せっ!」
まったく勝手ばっかり言うんだからなこの人は。
それで貸せって人に指……えええっ!!
「ちょ…せんぱ…、何…っ?」
「お前が死んだら困るからな。」
いや、これで死んだらすごいって。
っていうか俺の指…先輩の口の中にある…。
生温かい唾液が指の傷から滲みてくるみたいだ。
そこから熱が一気に上がって…。
バカ、俺何こんな時に興奮して…!
そうだよ、先輩にとって俺は都合のいい部員で、俺が死んだらこの部がなくなるから。
たったそれだけのことなのに、一人で興奮なんかして…バカみたいだ。
「…うっぐ…、う…っ。」
「どうした佐藤っ、そんなに痛いのか?」
「違います…っ。」
「すまない、伊藤だったな、大丈夫か?」
違うんだよ、先輩。
名前もだけど、そうじゃなくて。
そんな気がないなら俺の指なんか咥えないでくれよ…。
そんな、人に期待させて…意地悪だ…。
「綾小路先輩……きです、好きです~…。」
「…え?」
無意識にその思いを口に出してしまっていた。
こんな場面で告白なんかしたくなかったけど。
もうこれで終わりにするんだ。
きっぱり諦めて部活もやめて、先輩とのことも…。
俺がいなくなってこの部がなくなるのは、せめてもの仕返しだ、そうじゃなきゃ俺ばっかりバカみたいで悔しくて気が済まない。
「一目惚れだったのに…。」
「本当かそれ?」
「…嘘吐いてどうすんですかぁ~…。」
「そうか…。」
ホラ、先輩は困ったような顔してる。
俺の指ももうその唇から離れてしまっていて、これで終わりだ。
「…む…っ、せんぱっ、はぁ…んぅっ。」
お、お、俺、なんかキスとかされてないか??
いや、とかじゃなくて、これってキス…だよな??
先輩の唇が俺の唇と重なって、舌と唾液まで絡んで、すっげーーー激しいんですけど!!
な、な、何が起こってるんだーーー!!
「好きだ。」
「えっ!」
「俺もお前に一目惚れだったんだ、好きだから死なれたら困る。」
「え、え、えぇ───…!!!!」
***
先輩が俺に一目惚れっていう話は本当だった。
あの入学式の次の日、俺を見た先輩は俺と同じようにして、俺に恋をしてしまったのだった。
この部は将来いい嫁さんになるための修業をする部だから、先輩は好きな人と一緒にやって、教えたかったのだ。
そこで普通は女子を選ぶものをわざわざ同性っていうのはどうかと思うけど。
結果的に俺の恋は叶ったことになるから、それはそれでいいことに?しよう。
でも俺なんてどこがいいんだ…?
先輩みたいに顔もそんな美形でもないし、女子みたいに可愛くもないし、一目惚れって普通顔見てするもんじゃないの…?
「ちょっと先輩っ、どこ触ってんですかっ!」
「ん?お前のここ、一目惚れなんだよ。愛撫するのが夢だった。」
「な、な、な…!」
「いいケツしてるよな、伊藤は。」
ケツって!!ケツって何…!!
そういやあの時先輩は後ろから声を掛けて来たような…。
もしかして俺の名前よりケツに夢中でそれで覚えてないとか…??
俺、なんかすごい変な人好きになった気がする!
多分気だけじゃないよな、これは…。
「俺がこういうことするから部員いなくなったんだよな。」
「ちょっとだからもうやめ…っ!」
ひ、人のケツ揉んで何満足そうな顔してんのこの人!
変っていうかもう変態っぽいって…。
そりゃ誰もこんな部長について行こうなんて思わないよ。
「お前はいなくならないよな?な?佐藤。」
「そ、そんな勝手な…!」
「俺と一緒に楽しい家庭を作ろう。」
「ちょ…、離して…!」
俺、もしやこのまま行ったらいずれ先輩にやられ…!
う、嘘だろ、両思いになること諦めてたからそんなことまで考えてなかった…。
「じゃあまず身体で確かめ合おうか、愛撫だ、佐藤。」
俺の制服のボタンが外されて、ズボンまで下げられそうになる。
ここで屈してやられるわけにはいかない。
だって恋には段階が必要だろ??
名前だってまともに呼んでもらってないのに…。
俺は両思いになって嬉しい気持ちを抑えながら先輩の胸を思い切り押し退けた。
「伊藤です!!」
俺たちは、楽しい家庭を本当に築いていけるのだろうか??
END.
■カウント1111番…K様リクエスト
コメディで、ということだったんですが…。
何やら中途半端なギャグ寄りになってしまいました…(泣)
ケツケツってうるさいし…まるで私がケツ好きみたいに…。
K様、すいません、よければまた挑戦させて下さい。
しかもこんな遅くなってこれかよ…あぁ。
そしてどうして私の書く小説ってまともな人がいないんだろうか…。