「春陽ー…?」
「…え?」
幾日か経った放課後、帰宅しようとしていたところ、明るい声に止められた。
振り向くと、部活に行こうとしている中尾が不思議そうにしていた。
「一人か?」
「うん。」
「恒星は?」
まただ。
今度は他人によって抉られる。
友人の少ない春陽でも、あと数回はこんな思いをしなければならない、と思うと溜め息が落ちた。
「恒星は、彼女と一緒だと思う。」
自らの言葉でも心臓が痛い。
「え?またできたのかよ?」
「そうみたい…。」
「みたいって、いいのかよ?」
いいのか、なんて聞かれても、仕方がない。
別に恋人でもなんでもないのに。
「俺に聞くなよ…。」
「だってさ…。」
仕方ないじゃないか。
恒星は女の子が好きだし、そんなの当たり前だし。
自分の気持ちは言えないし。
嫌なのは、当然だけど、どうすることも出来ないじゃないか。
あとは諦めるぐらいしか。
「春陽はそれでいいのかよ?」
よくなんかない。
なんとか出来るものなら、もうしている。
「仕方ないだろっ!」
苛立って、大きな声をあげてしまった。
普段おとなしい春陽がそんな声をあげたからか、中尾はビクリ、と肩を揺らして驚いた。
「俺がどうにか出来るもんなら、してるって!でももうしょうがないだろ!」
違う。
苛立っているのは、自分に対してだ。
何も出来ずに、泣いている自分が。
痛がっているのが。
そう思うと急に自己嫌悪に陥ってしまった。
「ごめん…、中尾のせいじゃないのに…、ごめん。」
なんだか子供みたいだ。
自分が出来ないことを指摘されて、怒るなんて。
春陽は恥ずかしくなって、下を向いて謝った。
「じゃあさ、ホントに俺に乗り換えない?」
下から中尾が覗き込んできた。
いつも明るい中尾が、笑わずに。
まるで初めて見たような、真剣そのものの表情。
「だから何バカなこと言って…。」
見つめられて、その真剣さが恐くて、目線を逸らした。
肩を掴まれて、身体が硬直した。
「本気なんだけど。」
「お前彼女いるだろ…。」
「うん、でも春陽のこと好きになった。」
「何言って…。」
周りに人はいない。
いや、こんな表情で言われて、無視することも、逃げることも出来なかった。
ふいに、その言葉を放った唇が、近付いた。
「春陽が好きなんだけど。」
熱い吐息が自分の唇にもかかって、触れようとした。
春陽は夢中で中尾の身体を突き飛ばした。
「何考えて…!」
恥ずかしくて、恐くて、涙が出そうだった。
「何って、キスしようとした。」
「だからなんで!俺を好きだとかなんとかって…。」
信じられなかった。いつもの中尾ではなかった。
「恒星のこと追いかけてる春陽見てたら、好きになった。」
でも、ドキドキはしない。嬉しいとも思わない。
恐いけど、心臓が破裂するようなあの思いは、ない。
「でも俺やっぱりそんなの無理だよ…っ。」
言い放って、その場を後にした。
どうしよう…。
自分が思うのに夢中で、自分が思われることなんて、考えたこともなかった。
しかも同じ男に、友達だと思っていた人間に。
触れてもいないのに、唇を腫れるぐらい強く擦った。
走りながら、恒星のことを考えていた。
あんまり考えていたせいか、無意識に足は恒星のクラスの教室へと向かっていた。
誰も残っていない、教室。
夕日が窓から差し込んで、机の表面がキラキラ反射していた。
その中の一つに、迷わず歩み寄った。
窓際の、恒星の席。
廊下からいつも見ていた。
教科書を忘れて借りに来ると、恒星は笑って差し出した。
「…あ。」
あの頃と同じ色の空に、キラリと何かが瞬いた。
そうか…。
あの頃から、一人よがりだったのか。
自分が恒星ばっかり見ていたから、あんなに見付けられたのか。
誰もいない隣を見て、心の中でだけ、見付けたことを呟いた。
「……っ。」
唐突に寂しさやら虚しさやらが襲って来て、あっという間に支配した。
涙腺が緩んで、立っていることも出来なくて、その机に崩れ落ちた。
「好きだ…、好きだよ…っ。」
本人の前では決して言うことの出来ない言葉を、机に伏せながら、告げる。
「恒星…っ。」
一度口から出てしまうと溢れて止まらなくて、何度も名前と思いを言う。
カッコ悪いとか、そんなことは考える余裕もなくて、泣きながら言い続ける。
「春陽…?」
教室のドアに、影が見えた。
その姿に気付いて、春陽は顔を上げた。
正確には、その声が誰だかすぐにわかって。
「今の…、ホント?」
「あ…、違…っ。」
聞かれた…!
よりによって、本人に。
何か言い訳をしなくては。
驚いて自分を見つめる恒星に言葉が詰まる。
先程の中尾とのやりとりを思い出した。
何も感じないどころか、嫌悪感さえあったと言っても嘘ではない。
同性で、なんとも思っていない人間にそんなことを言われると、どう思うか、味わったのだ。
「俺…、あの…。」
冷や汗が滲んでいるのに、身体も顔も熱い。
頭の中は真っ白で、何も思いつかない。
「ごめん、忘れて!」
結局何も言い訳らしいことは言えず、もう一方のドアから、逃げるように飛び出した。
聞かれた…!
もう、終わりだ。
友達にも、幼馴染みにも、戻れない。
こんなんなら、自分の中で隠し通せばよかった…。
なんであの教室であんな弱ってしまったんだろう…。
後悔ばかりが胸を支配して、その痛みに耐えながら、家路をフラフラ歩いた。
***
自宅に着くと、思いがけない人が待っていた。
思いがけない、というか、今一番会いたくない人に。
「春陽…。」
「……っ!」
考えても無駄な今後のことでグルグルしていたせいか、いつもより自宅へ着くのが遅くなってしまった。
まさかさっきあんなことを聞かれた本人が待ってるなんて。
返事もせずに、目線も合わせずに、恒星を振り切るようにして二階の自室へ向かって階段を駆け上る。
「待って春陽…!」
恒星はそんな春陽を必死で追いかけてきて、でも後ろを向くことはできなくて、そのまま自室のドアを大きな音をたてて閉めた。
息が切れて、苦しい。思いが溢れて、苦しい。
もうどうしていいかわからない…。
膝から崩れるようにして床に落ちた。
これ以上動くこともできなくて、背にしたドアが簡単に開けられ、そこから恒星がゆっくりと入ってきた。
「春陽、さっきの、ホント…?あれ、俺に言ってた…??」
「……‥。」
入ってきた恒星も息が切れていて、真剣な眼差しが刺すように自分に向けられた。
このままでは、心臓が本当に破裂してしまう。
掴まれた腕が、熱くて、まるで火傷したみたいに痛い。
「春陽…、ちゃんと言ってくれないか?」
どうして、そんなに一生懸命になるんだ。
どうでもいい奴のために。どうしてそんなに眩しいんだ、どうして…。
「そうだよっ、気持ち悪いだろっ、俺は恒星をそういう目で見てた、だからもう…、もう出て行って…。」
想いの全部を口にして、知らない間に涙まで零れる。
どうせ終わるなら、綺麗さっぱり終わったほうがいいのかもしれない。
そう思ったらなんだか自棄のように言葉が勝手に出てきた。
これで全部終わりだ、自嘲さえ洩れそうになったその瞬間、自分のものではない皮膚が、身体を包んでいた。
「俺も、好きだよ、春陽…。」
「…な…に言って…お前は…。」
彼女がいるじゃないか。
今までも、今だって、女の子が好きで、人気があって。
自分のことは幼馴染みとしか見てなくて。
それは一般的には当たり前のことで。
また、頭の中が真っ白になる。
恒星は、何を言ってる…??
「俺のほうが気持ち悪がられると思って、女の子と付き合ったけど、ダメだった。春陽に避けられてると思ってたし。」
「嘘ばっかり…そんなの信じない…。」
「うん、わかってる、誤魔化すためでも春陽を傷付けちゃったから。信じてもらえないのはわかってるけど、好きなんだ。」
「恒星…、俺は、俺は…。」
抱き締められた目の前にある恒星の胸から、自分と同じ心音が、一定のリズムとなって同期する。
このドキドキ感は、嘘じゃない気がした。
ここで、言ってしまおうか。
さっきの言葉を、目を見て本人にちゃんと。
「春陽…、好きだよ。」
「お…れも…、好き…。」
震えながら、その言葉を吐き出した。
巧くは言えてない気がする。
でも心からの想いを、春陽は告げる。
「よかった、ありがとう、春陽。嬉しいよ。」
「俺も…、ありがとう…。嬉しい……。」
何年もの想いを込めて、初めてのキスをした。
本当に触れるぐらいの軽いもので、でもそこから体温が一気に上がるような、優しく激しいキスだった。
「とりあえず帰るわ、俺、鞄もあるし。」
「うん…。」
窓から夕日が差し込んで、玄関から行けばいいのに、恒星はそこから自分の部屋へ戻っていく。
昔よくそうやってお互いの部屋を行き来した。
いつからかしなくなってたけど、またできるんだろうか。
楽しい予感に胸を弾ませながら、窓際に寄った。
「また後で来る。」
「うん、待ってる。」
その夕日に照らされた恒星の笑顔はやっぱり輝いていて、そんな恒星の傍にいられることが嬉しく思う。
今までとは同じ二人が、違った関係で。
それはまるで夕空に最初の星を見つけたかのように。
一番星、見つけた。
END.