『お久し振りです。
桜の季節がやって来ましたね。
僕は今、桜の開花に向けて大忙しです。
もうすぐ、会いに行きます。』
「よしっと。おいで、ルー。」
窓際に止まっていた鳥を呼ぶ。
信頼のできる、僕の相棒、ルーだ。
ルーの細い脚に書いたばかりの短い手紙を巻き付けて、羽を撫でた。
「よろしくね。頼んだよ?」
ルーはピィピィと高い声で鳴いて、僕の前から飛んで行く。
あの人に、僕の手紙と思いが、ちゃんと届くといい。
両手を合わせて、無事に届くことを祈った。
「さて、やるか。」
急がないと、間に合わなくなってしまう。
本当は今すぐ会いに行きたかったけれど、もう少しだけ我慢しなければいけない。
そうして僕は、自分の仕事と旅の支度に取り掛かった。
ちょうど1年前のことを思い出しながら。
***
それは、去年のこと。
3月も後半に入った頃だった。
南の方から、日本地図のちょうど真ん中ぐらいまで来たところだった。
自分の担当のところを、一つずつ仕上げていった。
だけど僕は作業が遅くて、本当は夜にする作業を昼間にしていた。
お花見シーズンと言っても、まだ下っ端の僕が担当しているところは、名所というようなところはない。
昼間もほとんど人が集まらないような、公園がほとんどだった。
その公園の一つで、毎日見かける人がいた。
まだ若い、男の人で、決まったベンチに座って一日を過ごす。
何か時々雑誌を見たり携帯電話をいじっていたりする。
太陽が空の真ん中に来るぐらいには、ご飯を食べたりしていた。
僕はそんな彼が、気になって仕方がなくなっていた。
初めて見かけてから、3日が経ったとある日のことだった。
指定席のベンチの後ろで僕はこっそり仕事をしていた。
ベンチの後ろには、その公園で一番大きい桜の木があった。
見つからないように、注意していたつもりだった。
だけどその日は開花予想日の前日で、焦ってしまったんだろう。
「ん……?」
ガサガサと大きな音がその人に聞こえてしまった。
猫の物真似でもすればよかったけれど、慌ててしまってそんなことまで考えつかなかった。
それどころか、僕は木の上から落ちてしまったのだ。
「わ、わあぁ……っ!」
「うわっ!危な…っ!」
あんなところから落ちて、打ち所が悪ければ死んでしまう可能性もある。
その人がぎゅっと目を閉じていたから、危ない瞬間を見られずに済んだ。
僕が、宙に浮いてから着地したところをだ。
「あ…、あの…。」
「大丈夫かっ?」
「はい、すみません!僕…。」
「あー、びっくりしたー…。よかった、無事で…。」
普段はほとんど表情が変わらないその人の、初めて見る顔だった。
ホッとして大きな溜め息と共に、微笑がもれた顔。
なぜだか心臓がドキン、と大きく跳ねた。
「あの、いつもここにいますよね…?」
「ん?あー…、まぁな…。」
「何をしているんですか?」
「すっげ、ストレートな聞き方だな…。わかんないか?」
僕が失礼な聞き方をしたのを、明るく笑い飛ばした。
それと同時に、疲れたような表情を見せた。
少しの時間で、こんなにもその人の色んな顔を見ることが出来た。
僕の失敗が原因だけど、話すことが出来てよかったかもしれない。
「よく見ないか?公園で一日過ごすスーツ姿のオヤジとか。」
「…あ!リストラとかっていうやつですか?」
「うーん、まぁ会社員じゃなくてバイトみたいな感じだけど。」
「そうなんですか…。」
その人が言う通り、そんな中年男性を見たことがある。
数えるぐらいしかないけれど。
この世の中については、ちゃんと知っているんだ。
こんなに若いのに気の毒だなぁ、なんてぼうっと考えていた。
「それで?」
「…はい?」
「それで、そっちは何してたんだ?木登り?珍しいな。」
「あ、僕はその…、し、仕事…です…。」
別に素直に言う必要なんてなかったのに。
でもこの人に嘘を吐くことが出来なかった。
正直に話してくれたのに対して、嘘で返すなんてこと、僕には出来ない。
先輩や上の人に言ったら、お前は甘い、だとか怒られそうだけど…。
「仕事?木登りがか?それとも植木屋か何かか?高校生ぐらいかと思ったけど。」
「あ…えっと、えっと…。」
「……あ、悪い、なんか突っ込んじゃって。」
「いえ、いいんです、ただあの…。」
話したら信じてくれるだろうか。
僕の胸の中に不安が過ぎった。
それでも僕は、この人に話したい、本当のことを言いたいと思った。
「僕は…、僕の仕事は、桜の花を咲かせることなんです。」
「花を咲かせる…?」
「つまりその、桜の精なんです…。」
「桜の精…?本当に?」
ダメだ、きっと笑われる。
それか嘘だと思わるか、どこかおかしい人だと思われる。
やっぱり本当のことを言うべきじゃなかったのかもしれない。
そう思いかけて、俯いてしまった。
「あの、今のは…。」
「へぇ…、すげぇ…。」
「…え……。」
「花咲かじいさんみたいなもんだよな?」
「えっと…、多分…?そのようなものです…。」
「じゃあすげぇじゃん。」
初めてだったんだ。
そんな風に言ってくれた人は。
今までにもおっちょこちょいな僕は何度かこの世の人に見つかったことがある。
桜の近くにいるんだから、みんなきっと桜が好きなんだ。
だから話したら信じてくれると思って本当のことを言ったけれど、信じてくれた人なんかいなかった。
それどころか変なこと言って、だとか嘘ばっかり、なんて笑われたりバカにされたりした。
笑顔のその人に、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「聞かせてくれよ。」
「えっと、何を…?」
「その話、詳しく聞きたい。そういうの、好きなんだ。」
「本当ですか…!」
僕は嬉しくなって、それからその人の隣に腰掛けて、話し始めた。
僕の仕事のこと、僕が住む世界のこと。
僕の相棒のルーが普段は木の天辺に隠れていること。
その人も嬉しそうに僕の話を聞いてくれた。
時々自分の話もしてくれた。
時間が経つのなんて忘れてしまうぐらい、夢中になっていた。
「もうこんな時間か…。」
「ご、ごめんなさい僕、一人で喋っちゃって…。」
気付いた時には、辺りは薄暗くなっていた。
夕日はあと少しで完全に沈んで、もうすぐ夜がやって来る。
もっともっと、たくさん話したかったなぁ…。
「明日。また明日、聞かせてくれるか?」
「…はいっ!僕、ここで待ってます。」
手を振りながら、その人は公園から去って行った。