バレンタインデー当日、虎太郎はケーキ屋での準備があるからと、いつもよりも早く家を出て行った。
そして僕はと言うとこの日は授業が休みで、隣の家の玄関の前にいた。
「………。」
もうこうしてずっと突っ立ったまま、30分は過ぎている。
いつまでもこうしていても、何も始まらないことはわかっている。
だけどどうしても自分のこの性格が邪魔をして、インターフォンのボタンを押せずにいた。
「んしょ…っと。」
「うわっ!!い、痛……っ!!」
「わあぁっ!!し、志季っ?!ご、ごめんね痛かったっ?!」
「い、痛いに決まってるでしょ…!志摩のバカ…!!」
何十回目かは忘れてしまったけれど、ボタンの辺りで指をウロウロさせていた僕に、突然大きな衝撃が走った。
重たそうなゴミ袋を持った志摩が出て来たと同時に、玄関のドアが僕の額を直撃したのだ。
「ご、ごめんねっ?!こんなところにいるなんて思わなくて…あっ、ちょっとだけ待ってて…!」
「志摩…?」
志摩はそう言うと、慌ててゴミ袋を持って走って行ってしまった。
おそらくゴミ収集車が来る時間でも迫っているのだろう。
フリフリのエプロンなんかして、どこの新妻なんだ!と突っ込みたい気分だった。
置き去りにされた僕はどうしていいかわからずに、志摩の言った通りその場で待っていた。
「し、志季~ごめんね?お、お待たせです…っ!」
「べ、別に待ってなんか…。」
「でも用があったんじゃないの…っ?」
「よ、用って言うか…その…。」
別に志摩のことなんか待ってない。
用なんかないし、たまたまここを通っただけ。
そしたらドアがいきなり開くから、おでこをぶつけてしまったじゃないか。
戻って来たらいつものように怒ってやろうと思っていたけれど、息を切らせるほど急いで来た志摩に対して、それは出来なかった。
「えっとー、ここじゃ寒いから中入ろー?」
「う、うん…。」
珍しく志摩の誘いに素直に乗った僕は、暖かな部屋の中へと進んだ。
キッチンやダイニングは、さっき食べたばかりの朝ご飯の匂いがまだ残っていた。
「うんと、今日はどうしたの?」
僕と志摩はテーブルに向かい合わせになって、椅子に座った。
志摩はポットのお湯を出してお茶を淹れようとしているけれど、そんなことよりも僕が気になっているのは、そのポットの近くに置いてあるお菓子作りの道具や材料達だった。
今にも甘い香りが漂ってきそうな美味しそうなチョコレートに、飾り付けの小さな製菓材料、固める時のハートのチョコレート型…。
どれも僕には縁のないものばかりだ。
「そ、それ…。」
「ほぇ?それって?」
「そ、それって…、チョコ作るやつ…?」
「あ、これ?そだよー♪これからゆっくり作ろうと思ってたの!」
「ふ、ふぅん…。」
「おっきいハート型で~、アイラブ隼人って書くのー!やぁー、照れるー!」
バカじゃないの?!
ハート型はまだ許せるとして、何がアイラブ隼人なの、恥ずかしい!!
どうせメッセージを入れるならもっと難しい単語でも使ってみれば?!
っていうか照れるぐらいならそんなこと言わないでよねっ!!
キャアキャア盛り上がって、女の子じゃあるまいし、ホントにバカみたいっ!!
いつもの僕なら、そう言って志摩をいじめていただろう。
だけどそんなんじゃいけない、このままじゃダメだ、今日だけでも素直になろう、そう思ったから…。
「て、手伝ってあげてもいいよ…。」
「へ…?」
「だ、だから…チョコ作るんでしょ…?手伝ってあげるって言ってるの!」
「え?大丈夫だよー!俺毎年作ってるもん!一人でできるよー?」
「何それっ?せっかく僕がわざわざ手伝ってあげるって言ってるのに、志摩はいらないって言うの?!」
「そ、そんな…!でもホントに自分で作れるから…。」
志摩の返事は、僕にとって予想外だった。
てっきり「ありがとう」と言って、ヘラヘラしながら受け入れるかと思ったのに…。
だけどよく考えてみたら志摩は僕と違って料理も出来るし、お菓子作りだって出来る。
それに毎年あげているのなら、僕じゃなくても、他人の助けなんて必要なかったのだ。
「あっ、もしかして志季、一緒に作りたいの?こないだはあんなこと言ってたけど、ちゃんと考えてたんだねーえへへ♪」
「な、ななっ、何言って…!そ、そんなわけないでしょ…!!」
「えぇっ?!違うのっ?でもあげたら虎太郎も喜ぶよー、絶対!」
「ぼ、僕はそんなのやらないって言ったでしょっ!た、ただチョコが食べたいから手伝うって言っただけ!!」
どうして僕ってこうなんだろう…。
一緒に作りたいの?なんて本心を突かれたら、急に恥ずかしくなってしまった。
せめて志摩が、一緒に作ろうよーと強引に誘ってくれたら、仕方ないなぁって言えたかもしれないのに…。
志摩の言い方を責めても、どうしようもないのはわかっているのだけれど。
「あっ、志季…!」
「か、帰るっ!志摩はせいぜいその趣味の悪いチョコ作りでも頑張れば?!」
「が、がぁーん…!趣味の悪いチョコ…!!」
「ふんっ!!じゃあねっ、お邪魔しましたっ!!」
結局僕の一大決心は、30分以上も外で待っていたのに、水の泡になってしまった。
それもこれも全部、自分のこの性格のせいだ。
今日はそれを少しでも変えられるチャンスだったのに…。
普段の日には出来そうにもないから、イベントというものを利用しようと思ったのに…。
バレンタインデーは一年に一回で、今日を逃したらあと365日も待たなければいけないんだよ?
「うぅ…、どうしよ…。」
僕ははっきり言って、ほとんど料理が出来ない。
パンをトースターで焼いたりおかずを電子レンジで温めたりは出来るけれど、志摩のように材料を買って来て一から作るなんて、やったことがない。
そんなことも出来ない僕が、お菓子なんて作れるわけがなかった。
かと言ってデパートで買って来ようにも僕はどう見ても男だ、バレンタイン当日女の子で溢れるチョコレート売り場に行くなんて、そんな恥ずかしいことは到底出来そうにもない。
僕はどうすればいいんだろう…。
どうすれば僕の気持ちは、虎太郎に伝わるんだろう…?