クリスマスにお正月、成人式…。
冬にはイベントと呼ばれるものが、なかなか多い。
僕はそんなことには今までまったく興味がなくて、楽しもうとも、参加しようとも思わなかった。
それどころか当日になってもそのイベント自体、忘れることだって多かった。
今でも興味がないのは変わらないのだけれど、環境というものは厄介なものだ。
周りにそういうことが好きな人間がいて騒ぎ出すと、嫌でも耳には入って来てしまうのだから。
「今日から限定のケーキってのが出たんだ!ハートでチョコのやつ。」
「わぁー、可愛い~!見たい見たいー!」
「それでー、ちっちゃい赤とピンクのハートの飾りが乗ってるんだ。」
「ラブラブなケーキだねぇ~んふんふ♪」
夕食時、僕と虎太郎はいつものように、隣の家の食卓にいた。
虎太郎と志摩が盛り上がっているのは、虎太郎がアルバイトをしているケーキ屋の話だ。
冬のイベントの一つでもあるバレンタインデーを一週間前に控えて、限定のケーキが発売になったらしい。
「シロと一緒に味見したけど、美味しかった~♪」
「いいないいなー!俺もケーキ屋さんになりたいー!」
「志摩ならなれると思うぞ!だってご飯も美味しいもんなー。今日のご飯も美味しいぞ!」
「そんなぁー、照れる~!あっ、おかわりいっぱいあるからね!」
バカみたい…。
味見ができるからってケーキ屋になりたい?
作るご飯が美味しいからってケーキ屋になれる?
相変わらず二人の会話はバカで単純で幼稚で、僕には理解できないし、入って行く気にもならない。
「志摩は隼人に手作りチョコってやつあげるのか?」
「え…えへへ、そうだよん♪」
「うわー、いいなぁ隼人、いつもそうなのか?」
「いや…まぁ…。」
同じように二人の会話に入っていかなかった隼人まで、満更でもないような表情を浮かべて、バカみたいだ。
普段はカッコつけてクールな振りをしているくせに、志摩のこととなると途端にこうなんだ。
結局何だかんだ言って、ラブラブバカップルじゃないか。
僕はこんな風にはならない、絶対にならないんだから…!
「志季は?どうするの?バレンタイン。」
「え…?ど、どうするって…。」
「虎太郎にあげるんでしょ?どういうのあげるの?」
「は……?!」
皆の会話をよそに黙々とご飯を食べ続けていた僕に突然、志摩がキラキラ目を輝かせながら、話しかけてきた。
当然のように僕が虎太郎にチョコレートをあげるという設定になっているのは、一体どういうことなんだ。
僕はそういう行事に興味がないってことを、今までも随分アピールしてきたつもりなのに。
「ねーねーどういうの?デパートで売ってる、ブランドの高いやつとか?」
「な、何で僕がそんなのあげなきゃいけないの…。」
「あっ、違うんだー!もしかして志季も手作り?じゃあ一緒に材料買いに行こー!」
「そうじゃないでしょっ!もうっ、何でそんなにバカなのっ?!」
「ひゃあぁっ!!ご、ごめんなさ…!!」
「ぼ、僕はそんな…バレンタインなんてやらないって言ってるの!!虎太郎にチョコなんてあげるわけないでしょっ!!」
キャアキャアと盛り上がる志摩を一喝するように、僕は立ち上がってハッキリと言い放った。
ブランドの高いチョコ?手作りチョコ?一緒に材料を買いに行く?
僕がそんなことをしたら、血迷ったなんて思われて終わりじゃないか…!!
「えぇー!志季、俺にくれないのか?」
「あっ、当たり前でしょ、何で僕がそんなこと…。」
「でも、あげるのは交尾の時女の子の方ってシロの恋人が言ってたぞ?」
「バ…バカっ!な、何言って…!!そ、そういうこと言ってるんじゃないから!!」
「えー、んじゃあ何でだ?」
「何でも何もないのっ!だいたいっ、男同士で普通そんなのしないし…おかしいよっ!!」
そこまで言うつもりはなかった。
ムキになって怒鳴った後はいつも、そんな後悔ばかりが僕を支配する。
普通じゃないとかおかしいとか、前に志摩を傷付けたことを忘れたわけじゃないのに…。
その証拠に志摩はしゅんとしてしまっているし、虎太郎は次の言葉が出て来ないみたいで、口をぽかんと大きく開けたままになっている。
おまけにこういう時に限って隼人は怒らないしで、僕は完全に逃げ場を失ってしまった。
「と…とにかく僕はそんなの興味ないし…やらないったらやらないんだからっ!」
「あっ、志季まだご飯残って…。」
「もういらないっ、ご馳走様っ!!」
「志季っ!」
僕は箸を置いて、食べかけのご飯をそのままに、食卓を後にした。
慌てて志摩が引き止めようとしていたけれど、無駄だと隼人に止められたのだろう。
一度後ろを振り返ってみたけれど誰も追い掛けて来ることはなくて、走って自分の家に戻った。
「はぁ…、はぁ……っ。」
誰も追い掛けて来ないなら、こんなに走る必要なんかなかった。
息を切らしてドアを閉めて、深呼吸をする。
ドキドキとうるさい心臓は、すぐには落ち着きそうにもない。
「ごめ……っ。」
ごめんね、志摩、隼人。
あんなひどいことを言うつもりじゃなかったんだ。
志摩と隼人のお陰で虎太郎に出会えたのに、おかしいだなんて言ってごめん。
「ごめん…。」
ごめんね、虎太郎。
僕はいつまで経ってもこんな性格で、全然治らなくて。
自分でも何とかしなきゃいけないっていつも思っているのに、どうにもならなくて、本当にごめん。
「も…やだ……。」
本当は虎太郎がバレンタインの話を出すずっと前から、考えてたのに。
僕がチョコをあげたらきっと虎太郎は喜んでくれると思って、ちゃんと考えていたんだ。
ただ突然話を振られてどうしても恥ずかしくて、言えなかった。
仕方ないからあげるって、上から目線の嫌な言い方をしてでも、言えれば良かったのに…。
「志季ぃ~、志季ぃ…。」
「わ……!こ、虎太郎?!」
「うん。」
「な、何っ?!僕は戻らないからねっ、いくら迎えに来たって無駄だから…!」
僕は慌てて瞼をゴシゴシと擦り、両頬を掌で叩いた。
危うく零れるところだった涙は、寸前のところで抑えることができた。
こんなところを絶対見られるわけにはいかない。
見られたりしたら、一生からかわれるに決まっているんだから。
「ううん、俺、鍵忘れちゃって…。」
「は…?」
「えっとー、だから開けて?志季ぃ~。」
「………。」
拍子抜けしてしまった。
てっきりそんなに怒るなよーなんて言いながら、僕を連れ戻しに来たかと思ったのに。
さっきはごめん、なんて必要のない謝罪をして、ヘラヘラ笑ってくっ付いて来るかと思ったのに。
ドアの向こうに立っていた虎太郎は、あんな気まずい事なんてまるでなかったかのような、いつもの虎太郎だった。
「へへっ、だたいま。」
「ご、ご飯は…?」
「うん、ちゃんと食べて来た!」
「ふぅん…、あっそう…。」
虎太郎は嘘吐きだ。
僕が隣の家を出る時、まだお皿には結構残っていた。
いくら食い意地の張っている虎太郎だって、こんな短い時間に全部食べられるわけがないじゃないか。
それに志摩におかわりの話をされて、まだまだ食べる気満々だったじゃないか。
夜中に腹減ったーなんて騒いでも、何もあげないんだから…!!
「志季っ、テレビ見ていい?今日猫の番組があるんだ!」
「い…いいけど…。」
こんな気遣いなんて要らないのに。
志季なんて知らない、いつまでもひねくれていればいい、そう怒ってくれたら良かったのに。
そしたら僕も素直に謝ることができたかもしれない…なんて、余りにも他力本願過ぎる自分が、この時はさすがに嫌になった。
「うわー、ちっちゃい猫~!志季、可愛いなぁ!」
「そうだね…。」
僕は行き場のないモヤモヤした思いを抱きながら、はしゃぐ虎太郎にぼんやりと答えるだけだった。
虎太郎も虎太郎で、さっきのことに触れることは一切なかった。
そしてそれから一週間、当日になっても、バレンタインのバの字も出ることはなかった。