「柊、入るわよ~?」
どうぞと言う前に入って来たのは、一也ではなくて母さんだった。
今日はご飯はいらないと言って部屋へ上がって来てしまったから、変に思ったのかもしれない。
「これ、一也くんが届けてくれたわよ。」
「え……?」
「鞄忘れるなんて間抜けな子ねぇ。受験生だって言うのに。」
「あぁ…、ごめん…。」
もう受験なんてどうでもよくなってしまった。
一也にあんな風に言われてから、大学に…工学部に行こうという熱い思いがなくなってしまった。
どうせ勉強自体が好きではないし、早いところ自立するために就職したっていい。
自分で生活が出来るようになったら、この家を出て行くのもいいかもしれない。
そうすればもう、一也と会うこともなくなるのだから…。
「風邪かしらねぇ、こんな大事な時期なのに…。風邪薬まだあったかしら…。」
「風邪なんかひいてないよ…。」
「そう?それならいいけど、今日はもう休んだ方がいいんじゃない?」
「うん、そうする…。」
風邪なんかじゃないんだ。
薬を飲んだり、ゆっくり休んだりしても、絶対に治らないんだ。
一也を思うこの気持ちは、そんなに簡単に治まることなんかない。
だって俺は、そんなに簡単な気持ちで、恋の相手に同性を選んだわけじゃないんだから。
「あ、これ一也くんから柊にって。」
「何…?」
「柊のことが心配なのねぇ~、わざわざもらいに行ってくれたみたいよぉ?」
「ふぅん…。」
「会ったらお礼言っときないさいよ?」
「うん、わかった。おやすみなさい…。」
もう会うこともなくなったら、どうするのだろう。
隣に住んでいればそのうち絶対会うとは思うけれど、俺はこの時、自分から会うことを避けようと決めていた。
あんな風に言われて、あんな風に出て来てしまって、合わせる顔がないというのもある。
だけど会いたくない、話したくない、そんな思いもある。
「意味わかんない…。」
追い掛けて来なかった一也の気持ちがわからない。
鞄だけ持って来ればいいのに、こんな物を置いて行った一也の気持ちがわからないんだ。
あんな反対をしておきながら、合格祈願のお守りを置いて行くなんて…。
それから俺は、予定通り一也と会うのを避けた。
ご飯を食べる時間をずらして、朝出かける時も帰って来る時も、見つからないようにした。
一也も一也でクリスマスまで一週間を切れば、忙しさでそんなことを気にしている暇もないのは知っていた。
隣に住んでいても、会わないようにすることは簡単だった。
「一也…。」
だけど俺の心は、ますます深いところへ落ちて行くだけだった。
このまま会わなければいつか、一也に対する思いも薄れて行くかもしれないなんて、甘い考えだったのだ。
日が経つに連れて一也への思いは強くなって、会いたくて堪らなくなった。
あの時ちゃんと話をすればよかったと、後悔でいっぱいになった。
「一也、ごめん…。」
結局俺は一度も一也と顔を合わせることなく、クリスマス・イブの日を迎えた。
母さんの話では、今年も相変わらず忙しいらしく、ご飯を食べる暇もないみたいだった。
俺に代わって母さんがご飯を届けると、疲れた笑顔でお礼を言っていたそうだ。
俺が手伝っていれば、少しは楽になって、そんな顔をさせなくても済んだかもしれないのに…。
「ごめんね…。」
クリスマス・イブは、一也にとって特別な日だ。
一年で一番、一也が輝いている日。
小さなトナカイマシーンに乗って、街中の子供達にクリスマスプレゼントを配る。
そんな一也が大好きな日が、このまま終わってしまうのが嫌になった。
「うぅ~…寒い…。」
俺は一大決心をして、一也の家の前で座り込んでいた。
きっと今頃一也は、眠る子供達の顔を見て、プレゼントを置いて回っているのだろう。
朝目覚めた時の顔を想像して、子供達よりも幸せそうな笑顔を浮かべながら…。
「…うっ、柊っ、しゅーうっ!!」
「ん……?」
「柊っ、起きろ!何やってるんだこんなところでっ!」
「あ……、一…也…?」
一也が怒鳴るのも無理はない。
俺はいつの間にか、玄関の前で寝てしまっていたのだ。
雪が降っていないからまだいいようなものの、一歩間違えば大変なことになりかねない。
「と、とにかく中に入って…。」
「ご、ごめん…!一也、ごめん…!」
「柊…?」
「この間は本当にごめんっ!俺、ホントにごめん…!!」
家の中に連れて行こうとする一也の腕を、俺は座ったまま強く引っ張った。
謝罪の言葉を色々と考えていたけれど、いざその時が来ると、「ごめん」という言葉しか出て来なかった。
一也は一瞬びっくりしたような表情を浮かべたけれど、すぐに優しい笑顔を見せてくれた。
「柊はあれだろ、俺が初恋だろ?」
「か、一也…!いきなり何言って…!」
「そうだろ?」
「う……、そ、そうだけど…。」
一也は俺の隣に座って、冷えた手を握り締めた。
俺もごめん、そんな仲直りを待っていたら、何て話をするのだろう。
どうせ俺は一也みたいに大人じゃないから、恋愛経験もないけれど、何もそんな話を今しなくても…。
「それで熱くなってるだけかと思ったんだよな。よくあるだろ、初めてのことに夢中になっちゃってその時は気付かないけど、後から考えたらなんであんなことしたんだ?っていう。」
「そんな…!俺はそんな…。」
やっぱり一也は、一時のものだと思っていたんだ。
いや、俺がそうだと思っていたんだ。
初めての恋に夢中になっているけれど、いずれは終わるものだと俺が思っていると。
確かに俺は一也が初恋の相手で、初めて付き合った人だ。
身体を繋げたのも初めてだし、一也の言うことが全部間違いだとは思わない。
だけど俺は、それがいつか終わるなんて、考えたこともなかった。
「うん、柊は真剣なんだよな?」
「一也…?」
「今朝おばさんに聞いちゃったんだ。柊が俺の手伝いをしたがってるって。聞いたんだって?おじさんのことも。」
「う…、うん……。」
俺の決意は、母さんに自分の夢を話すことだった。
父さんと同じように、一也と同じように、クリスマスの仕事をしたいということ。
きちんと言っていなかった工学部志望の理由や、卒業したその後のことも。
「カエルの子はカエルって言うけどサンタクロースの子もサンタクロースの子ねぇ、なんて言ってたぞ。」
「ぶ…、何それ…。俺はサンタクロースになりたいわけじゃないのに。」
「嬉しかったんだろ?お前がおじさんの仕事をわかってくれたってのが。今まで言えなかったのもスッキリしただろうし。」
「確かにスッキリしたーって言ってたけどね。」
サンタクロースには、たくさん決まり事があるそうだ。
奥さん以外に自分がサンタクロースだと言ってはいけないだとか、子供には成人するまで言ってはいけないだとか。
一也はそれを破って、自分がサンタクロースだと打ち明けてくれた。
そのお陰で父さんがサンタクロースだということを知ったし、クリスマスがどんなに素晴らしい日なのかも知った。
父さんはサンタクロースなんだよねと言った時、母さんはびっくりしていたけれど、すぐに本当のことを話してくれた。
柊から言われたからバラしちゃったけど成人するまでは内緒ね、なんてサンタクロースの妻らしからぬことも言っていた。
そして頑張りなさい、と励ましてくれた。
「柊、いつか俺にすっげぇトナカイマシーン作ってくれよ。」
「本物のトナカイはいいの?」
「柊の作ったトナカイマシーンがいいんだよ。相変わらずトナカイ不足だし、俺はまだまだひよっこだしな。」
「じゃあ俺、トナカイマシーンウルトラデラックスよりすごいの作るね。」
俺が想像するトナカイマシーンは、カタログの中よりもずっと立派なやつだ。
雪が降っても大丈夫なように屋根付きで、横も透明な素材で覆われていて、中はエアコンだって付いている。
プレゼントを置いたり乗り降りしやすいように、ドアは簡単にスイッチ一つで開かないとダメだ。
それからいつでもメンテナンス出来るように、修理道具は座席の下に入っているようにしないといけない。
そしてもちろん二人乗りで…いつでも俺が乗れるようにするなんて、個人的過ぎてダメだろうか。
俺はまだ形もないトナカイマシーンを頭の中で描きながら、一也の手をぎゅっと握り返した。
「そろそろ本気で風邪ひくな。家ん中に入ろう、な?」
「うん、そうだね。二人して風邪ひいたら大変だもんね。」
「おばさんはおじさんのところに行ったんだって?」
「うん、急に恋しくなったんじゃない?父さんの話なんかしたから。帰って来るの夜中なのにね。」
久し振りに父さんと二人きりのクリスマスを過ごしたいと言って、母さんは朝から出かけてしまった。
父さんの大好きなおかずをたくさん詰めた弁当を持って、仕事中に食べてもらうんだと言っていた。
俺は何だかそんな母さんが、可愛い女の人だなぁなんて思ってしまった。
俺と同じように、サンタクロースに恋している姿が。
「泊まって行けるだろ?」
「うん…。」
「よし、じゃあまず風呂だな。いやーもう寒くて寒くて!やっぱ屋根付きじゃねぇと堪えるわ。」
「やっぱりサンタクロースでも寒いんだね、冬は。」
「そりゃそうだろ、サンタクロースだって人間なんだぞ?」
「そっか、そうだよね…。」
絵本の中だけだったサンタクロースが、今はこんなにも近くにいる。
自分の恋人がサンタクロースだなんて、なんて素敵なことなんだろう。
クリスマスという日は、なんて素敵な日なんだろう。
一也と出会うまで、そんなことも思わなかった。
俺は一也への愛しさと感謝の気持ちでいっぱいになりながら、手を引かれて温かい家の中へと入った。