「うはぁーっ、寒い…!!」
朝晩の冷え込みがだんだんと厳しくなって来るこの季節が、俺は大嫌いだった。
こうして玄関を出れば別世界のように、身体の芯まで冷やしてしまう気温がとにかく苦手だ。
これで雪なんか降ろうものなら、学校だって休んでしまいたいぐらいだ。
「しょうがないかぁ、冬だもんなぁ…。」
それが今では、仕方がないと思えるようになった。
出来れば冬なんてなくなって欲しいぐらいだったけれど、そうも思わなくなった。
そんな風に俺が変わったのは、ちょうど2年前のことだった。
俺とは違ってこの季節が大好きな、ある人のせい…いや、お陰でだ。
「おぉ~、柊、もう学校行くのか?」
「見ればわかるじゃん…。」
「学生は大変だよなぁ、まぁ頑張れよー?」
「一也はいいよね、暖房の効いたあったか~い部屋で仕事だもんね。」
隣の家に住んでいる一也は、俺より7歳年上で、俺の恋人でもある。
普通のサラリーマンなんかと違って、通勤途中の寒さも、ラッシュの厳しさも知らない。
「ははっ、じゃあ柊もなるか?サンタクロース。」
「え……。」
そう、一也の職業は、サンタクロースなのだ。
サンタクロースなんて絵本の中の話だけだと思っていた俺は、最初は信じられるわけがなかった。
それが今では、日常会話に出て来たところで不思議にも思わなくなったのも、一也のお陰だ。
「そんで一緒にプレゼント配ったり…なんてな、冗談だって。柊は寒いの嫌いだもんな?」」
「そ、そうだよっ。こんな寒い中できるわけ…。」
「今日は雪降るかもって言ってたから、風邪ひかないようにな?」
「うん…。」
本当はもう、嫌いじゃないんだ。
ただ寒いのがちょっと苦手なだけなんだ。
一也が大好きなこの季節を、一也が一番活躍するこの季節を、嫌いだなんて思いたくない。
出来るなら一也みたいに、雪が降ったと喜んで、もうすぐクリスマスが来ると、走り回りたい。
一也はそんな俺の気持ちを、まだわかっていないのだと思う。
だから冗談でそんなことを…。
「あっ、そうだ柊…。今日暇か?勉強忙しいか?」
「何?何かあるの?」
「ん~、ラッピング、柊結構センスあるから手伝って欲しいなーと思ってな。無理にとは言わないから…。」
「や、やるっ!勉強なんか一日ぐらいやらなくたって大丈夫だし!」
「ぶ…、勉強なんかってな…受験生の台詞じゃねぇな。」
「ふ、普段ちゃんとやってるから大丈夫って意味!とにかく帰ったら行くからっ!」
俺が今年高校3年生…いわゆる受験生というものになってから、最近の一也はいつもこんな感じだ。。
そんな気なんか遣わなくてもいいのに。
一也とのことなら、何が何でも優先させるのに。
俺がこんな風に思うことは、一也にとっては重荷なんだろうか…?
「わかった。ありがとう、待ってる。気を付けてな。」
「うん、行って来ます!」
そんなことはないはずだ。
俺が手伝うと言って、こんなに眩しい笑顔を見せてくれるんだから。
クリスマスに何の興味もなかった俺が、自分の仕事の手伝いをするんだから、嬉しくないことはないはずだ。
「一也…。」
これがずっと続けばいいと、思い始めたのは、いつ頃からだったろう。
ずっと一也の傍で、一也が喜ぶようなことをしたいと。
一也が大好きなクリスマスをもっともっと盛り上げるために、自分に何か出来ることがないかと。
真剣に考えるようになったのは、去年のクリスマスの後だったかもしれない。
プレゼントのラッピングを手伝って一緒にクリスマスの仕事が出来たことが、一也に褒められたことが、嬉しいと思ったから。
「よしっ、頑張るぞ!」
俺は教科書やら参考書やらで重たい鞄を肩に掛け直して、気合いを入れた。
受験まであと少し、ここで自分の道は決まると思っている。
あまり好きではなかった勉強を頑張るようになったのも、一也のお陰だ。
だからきっと、一也も賛成してくれるはずだ。
ありがとう嬉しいよ、そう言ってさっきみたいな笑顔を見せてくれるはずだ。
***
「え?工学部?!機械工学?!」
「そ、そうだけど…。」
「柊、そういうの得意だったのか?」
「得意って言うか…、プラモデル作るのとかは好きだったよ…。」
俺は学校が終わると鞄を持ったまま、制服も着替えずに、一也の元へ向かった。
これまで胸に秘めていた将来のことを、一也に打ち明けるためだ。
「おいおい、大学の勉強ってのはプラモデルとは全然違うだろ?」
「そんなのわかってるよ…。」
「まぁ柊がそう言うならなぁ…。けど結構意外だな、そういうのが好きだったなんて…。」
「…ナカイ……。」
一也の反応は、俺が抱いていたものとは違っていた。
今まであれがやりたいこれがやりたい、こういうことが好きだ、そんなことを話したことはなかった。
そのせいで驚いているのかもしれないと思ったけれど、何だか違うみたいだ。
「……え?」
「ト…トナカイ…。」
「柊…?」
「トナカイマシーン…作りたいんだ…。」
俺はまだまだひよっこだから、本物のトナカイには乗れないんだ。
そう言って見せてくれた、トナカイの形をした乗り物。
スクーターみたいな小ぶりなものから二人乗りのものまで様々なタイプがあって、一也が乗っているのはその中でも一番小さなやつだ。
最初は「何それ変なの」と笑っていた俺だったけれど、いつしか夢を見るようになった。
せめて本物のトナカイに乗れるまで、一也立派なトナカイマシーンに乗ってもらいたいと。
それを自分の手で作ることが出来るなら、とても素敵なことなんじゃないかと。
いつか本物のトナカイに乗る日が来ても、一也と同じ「クリスマス」という共通の仕事をして、近いところにいたいと…。
「しゅ、柊…?本気で言ってるのか?」
「一也じゃないんだから冗談なんか言わないよ…。」
「あのな、あれ作ってる人達ってのはサンタクロースよりも狭き門ってやつなんだぞ?」
「そうなんだ…。」
「そうなんだって…。あのなぁ柊、大学卒業してもその後専門の学校に通ってだな…その後試験があって…。」
「が、頑張るよ…。」
「仕事に就いたら就いたで大変なんだぞ?どこかで壊れたって言われたらすぐ出張だし…。」
「そ、それも頑張るから…。」
っていうか何これ…。
一也はどうして、素直に喜んでくれないの?
いつもみたいに笑って、ありがとうって言ってくれないの?
どうして言い訳みたいな言葉を並べて、俺の夢を拒もうとしているの?
「柊あのな、朝言ったのはホントに冗談で…。ごめん、まさかそんな考えるなんて…。」
「なんで?!なんでそんな…!!一也、なんで…?!」
「しゅ、柊っ、落ち着けって…!」
「俺は一也と一緒に、クリスマスの仕事をしたいって思っただけだよ!今朝言われる前からずっと考えてたんだよ!それがなんでいけないの?!なんでそんなに反対するのっ?!」
「いや、反対してるわけじゃ…。」
「してるじゃんっ!!迷惑なんでしょ?!それならハッキリ言えばいいのに!!」
一也のこんなに困った顔を見るのは、初めてだった。
そんなに俺の気持ちは迷惑だったんだろうか。
この先いつか、本物のトナカイに乗るまでに、俺達のこの関係は終わっていると思っているのだろうか。
俺のことなんて、一時の感情で、興味半分で、この恋は単なる遊びなんだろうか…。
狼狽え続ける一也のことが、わからなくなってしまった。
「もういい…、もうやめる!!」
「え?柊っ?!やめるって…おいっ、柊!待てって、鞄…!!」
鞄なんか、どうでもよかった。
ただひとこと「ごめん」と言って、ぎゅっと抱き締めてくれたら、冷静になることが出来たかもしれないのに。
一也には一也なりの考えがあって、それをこれから話そうとしていたかもしれなくて、冷静になればその話をきちんと聞くことだって出来たのに。
俺は一也の腕を振り切って、走って自分の部屋へ戻った。
すぐに追い掛けて来るかと思っていたけれど、一也が部屋を訪ねて来ることはなかった。
夜になると一也が言っていた通り雪が降って、寂しさや虚しさと重なって、いつもよりも一層冬を寒く感じた。