「おー!どうしたんだよ、二人揃って。」
5月5日子供の日、俺はケーキ屋のアルバイトを終えたシロと一緒に、洋平の自宅を訪ねた。
シロはちょくちょく遊びに行っているようだが、俺はなかなか時間を取ることができず、久し振りに二人揃っての訪問となった。
「シロが子供の日のケーキ持って帰って来たんだけどよ、二人じゃ食い切れねぇからよ。な?シロ。」
「うん!すっごい美味しいから、猫神様と洋平にもあげようと思ったんだ~。ちょっとクリームが変だけど…。」
シロは相変わらず、柴崎兄の経営するケーキ屋で、アルバイトに励んでいた。
店では何か行事があると、それに合わせたケーキやお菓子を作っている。
シロもだいぶ仕事に慣れて、今では作る過程でも手伝いをさせてもらえるまでになった。
だけどまだ失敗することがよくあって、売り物にならないと持ち帰って来るのだ。
この日のケーキはこいのぼりをテーマにしたものだったが、デコレーションを失敗したらしい。
「わざわざ悪いな、ありがとう。まぁまぁ上がってくれよ。」
「へへっ、お邪魔します!」
「おぅ、邪魔するぜ。」
洋平はこの日、夜明け前から仕事に出かけたらしいが、残業もなかったのか、俺達が訪ねた夕方には家にいた。
俺達が二人揃って来るのが珍しいと洋平は言うけれど、俺にしれみればこの時間に二人揃っているのを見るのも珍しかった。
「猫神様~!ケーキ持って来ました!」
「あぁ、聞こえていた。いつもありがとうな、シロ。」
「へっへー。」
「こちらへ座ると良い。」
猫神が「神様」ではなくなってからもう随分と経つのに、シロはいまだにそう呼んでいる。
猫神本人も暫くは「もう神ではない」と言っていたが、最近では言わなくなった。
神様だろうがなかろうがシロが自分のことを慕っている気持ちを、汲み取ってくれているのだろう。
「すっげぇ!こいのぼりじゃん!」
「うん!やねよーりーたーかいーこいのーぼりーっていうやつだ!」
「へぇー、ホントすげぇ凝ってんなぁ…。あんまり失敗したってわかんないぞ?」
「でも目玉とうろこが…こことここ、あとここもよれよれになっちゃったんだ…。」
こいのぼりの形をしたケーキを見て、シロと洋平は本当の子供のようにはしゃいでいた。
シロが覚えたての下手くそな歌を口ずさんだ時、俺はふとあることを思い出してしまった。
「ぶ………。」
「??何だよ兄貴、気持ち悪いな…何一人で笑ってんだよ?」
「だってよ、こいのぼりって言えばお前…くくっ。」
「は?意味わかんねー。何だよもう…。」
「いやぁ、まだこいのぼりにはなってねぇのかなーと思ってよ…。」
「あ………!!」
***
あれは忘れもしない、俺達兄弟が幼稚園児の頃の話だ。
5月5日の子供の日、その日は雲がほとんど見えないくらい、空が青く澄み切っていた。
俺達兄弟は日の当たる縁側で遊んでいたのだが、屋根の上で気持ちよさそうに泳ぐこいのぼりを見て、洋平がまたバカなことを言い出した。
「にいちゃーあのね、ようへもこいのぼりになりたい!」
「……は?」
「ようへもあんなふーにそらおよぎたい!」
「えー…、むりだよそんなの、なれないよ。」
いくら弟の頼みだからと言って、こいのぼりにしてやるなんてことはできっこなかった。
まだ幼稚園児とはいえ、それぐらいは知っていた。
だけど洋平は昔からバカみたいに真っ直ぐで、変に頑固で、一度口にしたことを諦めるということがなかった。
「どして?どしてようへはなれないの?」
「だって…。」
「まだちっちゃいから?おっきくなったらなれる?こいのぼりとおなじぐらいになったらなれる?」
「うーん…たぶん。おっきくなったらなれるとおもうけど。」
「でもようへ、いまなりたい。いまなるにはどうしたらいい?」
「えー、だからむりだって…。」
「にいちゃはなれるほーほーしらないの?」
「それはー…。」
たとえ大きくなっても、こいのぼりになることはできない。
ましてうちで飾っていたような何メートルもあるこいのぼりと同じぐらいになんて、なれるわけがない。
そう説明してやるべきだったのかもしれないけれど、洋平にその手が通用しないことはわかっていた。
それと多分、俺は兄としての威厳みたいなものを保ちたかったのだと思う。
「や、やってみればできるかもしれないけど…。」
「え!ほんと?!にいちゃできるの?ようへこいのぼりにしてくれるの?」
「お、おれはようへいのにいちゃんだからなっ!」
「へー!すごいね!さすがにいちゃ!すごいやー!」
「でもまだやったことないから、もしできなくてももんくいうんじゃないぞ?」
「うんっ!ゆわないっ!」
「んじゃーあそこのもうふとってきて。いまからやってみるから。」
「うんっ!わかった!もーふ、もーふ♪」
その頃俺達が昼寝の時に使っていた毛布は、本当は花の模様か何かだったと思う。
俺はいつもそれが魚のうろこみたいに見えていて、この時すぐに頭に浮かんだのだ。
「これをぐるぐるまいてー…。」
「にいちゃ、なんかほんとにこいのぼりみたいだねー!」
俺はその毛布を洋平の身体にぐるぐるに巻き付けた。
まだ小さい洋平の身体には毛布は大き過ぎて、最後まで巻き切った頃には、こいのぼりと言うよりは、太巻きみたいになってしまった。
「よしっ!んじゃーやってみるぞ。」
「お、おー!」
「ぷーるでおよぐときみたいに、やるんだぞ?にいちゃんがてつだってやるから。」
「う、うん…!」
「じゅんびはいいか?いくぞー!」
「いーよ!ようへ、こいのぼりになるっ!」
俺は縁側から飛び立とうとする洋平の下半身を、ぎゅっと抱き締めるように支えた。
毛布の厚みがかなり邪魔したけれど、洋平は一生懸命になって泳ごうと、手と足をばたつかせた。
「あっ!にいちゃ、とべ……!!」
だけどもちろん、そんなことをしてもこいのぼりになれるはずなんかなかった。
勢いを増した洋平が笑顔で毛布からスポンと抜け出した直後、ドーンという大きな音が庭中に響いた。
「な、何やってんのあんた達はっ!!」
その次に聞こえて来たのは、休日で家にいた母親の怒鳴り声だった。
こういう時大抵怒られるのは兄である俺の方で、怒鳴り声とほぼ同時に、俺の頭にはげんこつが飛んで来た。
そして母親は、頭から思い切り庭に落ちた洋平の救出に向かった。
「にいちゃ…、やっぱりにいちゃのゆったことほんとだったね…!」
洋平は母親の手を借りずに自分で起き上がり、目を見開いたまま呆然としながらそう言った。
顔や手を擦り剥いて、絶対に痛いはずなのに、泣くこともせずにだ。
「ようへ、まだちっちゃいからこいのぼりなれなかったよ…!もっとおっきくならないとだめなんだね…!」
これには母親も呆れてしまい、何も言えずに一緒になって目を見開いていた。
もちろんその後は「何てことをしたんだ」と、俺は説教を食らったのだけれど。
それから人間がこいのぼりになれることはないと知るまで、洋平は毎年のように挑戦をすると言ってきかなかった。
最初から教えてやればよかったのだけれど、兄というプライドが邪魔してしまった俺が起こした、藤代家の毎年恒例の事件となった。
***
「そろそろなれるんじゃねぇのか?デカくなったことだしなぁ?」
「も…もうその話はやめてくれよ…!」
「ほら、あそこの家の屋根の上にあるぞ?一緒に泳いで来いよ…くくっ。」
「だ、だからもうやめてくれって…!銀華とシロの前で恥ずかしいだろ…!二人とも呆れて……ぎ、銀華っ?!」
てっきり俺も呆れて溜め息でも吐いているのかと思ったが、そこには肩を震わせて笑いを堪える猫神がいた。
洋平のバカな話はこれまでにもたくさんあったけれど、こんな表情を見せるのは珍しいことだった。
「いや…すまぬ…、大きな夢を持った子供だったのだと思ってだな…感動を覚えただけで…。」
「嘘吐くなよ、思い切り笑いたくてしょうがない感じにしか見えないっつーの…!」
「洋平はこいのぼりになるのが夢なのか~!頑張れよ、洋平っ!」
「シロまで何言ってんだよ…!ったくもう、兄貴のせいでとんだ笑い者じゃねーかよー!」
どうやらシロは本気で信じていたみたいで、洋平は必死になって弁解をしていた。
俺は二人の会話を聞いてずっと笑い続け、猫神はしばらくするとケーキを切って俺達にも出してくれた。
「亮平~、なんで洋平はこいのぼりになりたかったんだ?」
「さぁ…?あれだろ、子供の頃は空飛びたいってよく思うことだし…。」
すっかり日も暮れた帰り道、辺りに誰もいないのを見計らって、俺とシロは手を繋いで歩いていた。
シロは暗闇を泳ぐこいのぼりを眺めながら、ぼそりと呟く。
「ふーん…でも魚は食べた方が美味しいのにな~。」
「ぶ……!シロはあれか、やっぱり食い気が大事なんだな。」
「そ、そうじゃなくて…!そろそろご飯の時間だと思っ…お、俺やっぱり食べることしか考えてないのかも…!」
「いいよ、俺も腹減ったからな。じゃあ今日は魚にするか?」
「うんっ!魚~!」
「よし、んじゃあ買い物してさっさと帰るぞ。」
俺はもう一度シロの手を握り直して、少しだけ急ぎ足でスーパーを目指した。
シロがご飯を目の前にして大きな目をキラキラと輝かせるのを、頭の中で描きながら。
END.