「今日はありがとう。最後までよろしく!」
大歓声の中に現れた紫堂さんは、スポットライトを浴びて、いつもよりも輝いて見えた。
そこにいたのは俺の知っている「紫堂さん」ではなくて、ミュージシャンの「ミヅキ」だったのだと思う。
俺なんかが手を伸ばしても届きそうもない人だと思うと、なぜだか急に寂しさを覚えた。
「キャアァ───…ッ、ミヅキ───…ッ!」
周りにいる女の子達は、声が枯れるほどミヅキの名前を叫んでいた。
どうにかして近付きたい、自分の気持ちを伝えたい…そんな思いを声にしているのだろう。
普段は忘れてしまうこともあるけれど、やっぱり紫堂さんは凄い人なんだ。
恋人同士になるなんて、奇跡なのかもしれない。
俺は何だか女の子達の気持ちが痛いほどわかって、一緒になって名前を呼びたい気分だった。
それから早く紫堂さんに会いたくて、堪らなかった。
「悠真くん、こっち。」
「あ、はい…。」
3時間に及ぶライブが終わって、俺はまた若林さんに連れられて、バックステージへと向かった。
「ミヅキ様」と書かれた紫堂さんの楽屋は、思ったよりも荷物が少なくて、殺風景な感じだった。
「ここで待ってて下さい。もうすぐ来ると思うんで。」
「い、いいんですか…?」
「いいも何も、悠真くんがいなかったら怒られますから。」
「え…、そ、そうなんですか…?」
「はい、本番前に話してたんですよ。終わったら必ず楽屋に連れて来い、連れて来なきゃクビだーなんて言われたんですよ?」
「うわ…そうだったんですか…?じゃ、じゃあ失礼します…。」
紫堂さんは、俺が来てるって聞いて喜んでくれたのかな…?
俺が来てるから頑張ろうって思ってくれた…?
そんな風に思うのって、さすがに図々しいかな…。
「ごめんなさい、まだ仕事が残ってるんで…。後でまた迎えに来ますね。」
「はい、ありがとうございます。」
若林さんはすぐに楽屋を後にして、仕事へと戻って行った。
俺はどういう風に待っていていいのかわからなくて、椅子に座ることもしないで、ただ部屋の中をウロウロしていた。
「あ…。」
ハンガーに掛けられていたのは、今朝紫堂さんが着て行った服だ。
煌びやかなステージ衣装とは違う、控え目なモノトーンの服。
時々マンションの中でも着ていることもあるから、お気に入りなのかもしれない。
「紫堂さん…。」
俺は思わずその服を手に取って、柔らかな生地に顔を埋めた。
いつも紫堂さんがつけている香水のふんわりとした香りが、心地良い。
まるで紫堂さんの肌の温もりまで残っているみたいで、心臓がドキドキしてくる。
「悠真ぁー、お疲れー。悪ぃな、待たせちまって。」
「あ…、し、紫堂さん…!」
ガチャリとドアが開いて、聞き慣れた声が俺の名前を呼んだ。
その声の持ち主はさっきの「ミヅキ」ではなくて、俺の知っている「紫堂さん」だ。
「何してたんだ?そんなとこに突っ立って。」
「あ…な、何でもないですっ!えっとあの…、お、お疲れ様でしたっ!」
「?変な奴だな…。」
「あはは…。」
服に顔なんか埋めてうっとりしているところを、見付からなくて良かったと思う。
俺の知っているいつもの紫堂さんなら、絶対にからかって笑ったに違いない。
「今日はありがとな、来てくれて。」
「し、紫堂さんが言ったんじゃないですか…来いって。」
「何だよ可愛くねぇなぁ?もっとこう、カッコ良かったーとか惚れ直したーとかねぇのかよ?」
「な、何言ってるんですかもう…。」
いくら恥ずかしさを誤魔化すためだからといって、こんな時に限って憎まれ口を叩くなんて…。
俺が素直に思ったことを言っていれば、紫堂さんだって喜んだかもしれないのに…。
「来年もやるかな、ホワイトデーライブ。いつもと違う盛り上がり方ですっげぇ楽しかったし。」
「そうですね…。」
「悠真?何だ?どうした?」
「別に…何でもないです…。」
「何でもねぇ奴がそんな顔すんのか?」
「す、すみませんね、変な顔で…。」
「変な顔だなんて言ってねぇだろ?」
「お、俺…っ、そろそろ失礼しますね…!」
俺は自分がすごく我儘になってしまっていることに、気が付いてしまった。
みんなの紫堂さんなのに、恋人同士になれただけでも凄いことなのに…。
そんなことを忘れて、もっと独り占めしたいと思ってしまった。
みんなのものになる瞬間を見るのが、嫌だと思ってしまったんだ…。
「おい、ちょっと待てよ。」
「わ…っ!な、何…?」
「まだ来たばっかりだろうが。」
「で、でも俺…っ、い、一般人だし…!ここにいたら邪魔だし…!」
一度ひねくれてしまったものは、なかなか戻ることが出来なかった。
こんなことを言うつもりなんてなかったのに、言いたくない言葉ばかりが溢れてしまう。
いい加減にしないと紫堂さんが本気で怒ってしまう。
若林さんが「別れろ」と言わなかったとしても、紫堂さん本人に「別れたい」と言われたら、もう終わりじゃないか…!
「ぶ……!ははっ、ぶはは!」
「へ?」
俺の腕を引っ張った紫堂さんは、突然吹き出して大笑いしてしまった。
俺は何が何だかわからなくなって、目をぱちぱちさせるだけだった。
「何?それで拗ねてたのかよ?」
「拗ねるって…!」
「あれだろ?やっぱり紫堂さんは凄いんだー、俺なんかが付き合っちゃいけないんだー、なぁんて思ったんだろ?」
「な、何でわかったんですか…?」
「単純な奴の考えることなんてすぐわかるんだよ。顔にも出るしな。時々そんなこと言ってる時あったろ。」
「う……。」
紫堂さんは若林さんに、そう言ったんだろうか。
単純ですぐに顔に出る、バカな奴だって…。
何だかますます俺という人間は、紫堂さんには似合わないんじゃないかと思えて悲しくなってくる。
「あのなぁ、俺はミヅキだけど、紫堂なんだからな?」
「え……?」
「別にライブ中にミヅキって別の奴に変わってるわけじゃねぇんだよ。」
「紫堂さん…。」
「ミヅキになってる時だって、お前のこと考えてるんだからな。惚気過ぎだって若に怒られる時もあるんだからよ。」
「はい…。」
若林さんが言っていたことは、嘘なんかじゃなかった。
俺のことをどんな風に言っているのかは、もうどうだっていい。
ただ俺のことをちゃんと恋人として見てくれて、その思いを全面に出していることは確かなんだから。
「紫堂さん、あの…今更なんですけど、カッコ良かったです…。」
「悠真…。」
「ホントにすっごいカッコ良くて…俺、惚れ直しました…。やっぱり紫堂さんのこと好きだって思って、すっごく会いたくなって……わぁっ!な、何…?」
「ホントか?」
「う、嘘でこんな恥ずかしいこと言いませんよ…。」
「そっか…。」
やっと素直になれた俺は、ライブ中に思っていたことを全部口にした。
俺の言葉を聞いて穏やかに笑った紫堂さんに抱き寄せられて、どちらからともなくキスをした。