「悠真ぁー。」
「ごっ、ごめんなさいっ!あのっ、別にこれは…っ!」
「用意してたなら早く渡せよなー?ったく…。」
「え……?」
きっとまた笑われる。
男のくせに何をやっているんだ、そうやってバカにされる。
一般市民の俺が紫堂さんみたいな人相手に何をしているんだって…。
そんな俺の予感は見事に覆され、振り向くと不満そうに頬を膨らます、子供みたいな紫堂さんがいた。
「ほら、早く寄越せよ。」
「あ、あの…紫堂さん…。」
「何だよ?」
「お、俺…男ですよ…。」
「は?んなのとっくに知ってるっつぅの。今更何言ってんだ?」
「でもその…、ファンの子もいるし…俺なんかが…。紫堂さんが食べるの大変になるし…。」
いつまでもチョコレートを渡さずにいる俺を、紫堂さんは訝しげに見ていた。
まるで俺の言っていることがおかしいみたいに言うけれど、これが普通で、当たり前のことなんだ。
「大変って…それ1個だけだろ?」
「でも…。」
「つーかお前のは特別だろうが!何言ってるんだよ?」
「と、特別…?」
「そういうつもりで作ったんじゃねぇのかよ?」
「そ…そういうつもり…ですけど…。」
そうだろう?と得意気な顔をした紫堂さんが、俺の手からチョコレートを奪った。
そしてすぐに包み紙を剥がし、翠さんが作ってくれたコロッケを食べるのを途中で放棄して、チョコレートを食べ始めてしまった。
「ならいいだろ。お、うめぇ!悠真、これマジで美味いぞ!」
「紫堂さん…。」
「お前料理の才能あるんじゃねぇ?翠さんに修業してもらえよ。」
「紫堂さん…あの…。」
俺が作ったトリュフを次々に口に運ぶ紫堂さんの表情に、偽りはないように見えた。
チョコレートなんて初めて作ったけれど、思ったよりは上手く出来たかもしれない、その程度だったのに、紫堂さんがそんなに褒めるから…。
「あ?お前も食うか?一緒に…。」
「俺、紫堂さんが好きです…。」
「……は?」
「そ、そう思いながら作りました…。」
これを渡したら、紫堂さんは何て言ってくれるかな?
ありがとうって言って、笑顔を浮かべてくれるだろうか。
俺が紫堂さんを好きな気持ちが、このチョコレートに詰め込まれますように。
そう思いながら、慣れない手つきで完成させたものだった。
「ちょっと来い…。」
「え…?あ、あの…、でもご飯まだ途中…っ!」
「いいから。」
「し、紫堂さん……っ?!」
一瞬ピタリと動きを止めた紫堂さんが、突然立ち上がって俺の腕を引っ張った。
翠さんの作ってくれた食事を途中でやめてまで、一体どこへ行くつもりなんだろうか。
「お返し渡すから。」
「え…で、でもお返しって普通ホワイトデーなんじゃ…?」
「その日はライブなんだよ。だから今やる。」
「ちょ、ちょっと紫堂さんってば…!」
相変わらず紫堂さんは強引で勝手だ。
だけどそういうところも好きなんだよな…なんて言ったら、からかわれるのがオチだ。
からかわれるのも好きだって言ったら、紫堂さんは何て言うんだろう?
「そこ座ってろよ。」
「あの…お返しって…。」
俺の言うことに耳も貸さない紫堂さんに引っ張られて連れて来られたのは、建物内にある音楽室だ。
ミュージシャンを目指す紫堂さんのために翠さんが改装したもので、今でもここに籠ることがある。
そして俺と紫堂さんが恋人になって、初めてエッチをした場所でもある。
そんなことを思い出してしまって、俺はまた恥ずかしくなってしまった。
「今度出る新曲、特別だからな?」
「紫堂さ…。」
紫堂さんは悪戯っぽく口元に人差し指を立てて、ピアノの椅子に腰かけた。
俺はそれ以上何も言わずに、言われた通り床に座って紫堂さんの歌を聴いていた。
それは紫堂さんにしてはあまりない、どこまでも甘いチョコレートみたいなラブソングだった。
耳に入ってくる歌声は蕩けるようで、その甘さに酔ってしまいそうだった。
「悠真、どうだった…あーあ、なんて顔してんだよ…。」
「へ……?顔…?」
「ムラムラする顔だなって言ってんだよ。」
「ム…ムラムラって…!」
椅子から降りた紫堂さんは俺の顎を掴み、頬を挟むようにして手で包み込んだ。
真面目な顔をして何を言うのかと思えば、セクハラみたいなことを言っている。
だけど俺はこんな紫堂さんのことが、誰よりも好きだ。
バレンタインだから特別なわけではなくて、いつでもそう思っている。
それが紫堂さんにも伝わっているといい…。
「もう1個お返ししてやるよ。」
「あ、あの…紫堂さ……ん…っ!ダメで……あ…!」
「ダメ?そんな顔しておいてか…?」
「こ…れは……っ、ん…っ、ん……!」
紫堂さんの「お返し」は、一晩中続いた。
最初は恥ずかしくて逃げていた俺も夢中にさせるぐらい、二人だけの甘い時間だった。
それは俺が作ったチョコレートよりも、ずっと甘い…。
***
「それで?飯も食わずに食器も片付けずにやってたのか。」
「う……。す、すみません…。」
「しょうがねぇだろ?悠真がムラムラさせるから。」
「紫堂っ!お前はまったく!」
「し、紫堂さんっ!!」
「あーもう、悪かったよ!」
翌日の朝、俺と紫堂さんは揃って翠さんに説教を食らった。
まったく反省の色を見せない紫堂さんに、翠さんは余計怒ってしまう。
二人で怒られた時は、いつもこんなやり取りだ。
「罰として庭掃除だ。隅々までやるんだぞ?後でちゃんとチェックするからな。」
「庭掃除ぃ?!このクソ寒い日にかよ?!」
「う……庭掃除…。」
「文句があるなら自分達の理性のなさに言うんだな。朝飯食ったらやって来いよ?」
「悠真が悪ぃんだよ、エロい顔するから。」
「し…してないですよ…!!」
翠さんの罰は、いつものことながら厳しい。
だけど俺は少しだけ、そういう時間が楽しみだったりする。
寒空の下で、紫堂さんと二人きり、庭掃除をすること。
普段見られない「ミヅキ」の、俺だけが知っている素顔を見られることが。
END.