「すご…それ全部チョコですか…?」
2月14日のバレンタインデー、紫堂さんは山ほどの包みを抱えて帰宅した。
車で運んで来たというそれらの包みは、段ボールで10箱以上はある。
俺は次々に運ばれて来る段ボール達に、呆然としながら玄関で立ち尽くしていた。
「あぁ、多分な。そうじゃないのは抜いてあるはず。」
「そうじゃないのって…?」
「色々あるだろ、服だとかアクセサリーだとか…ぬいぐるみなんてのも結構あるな。」
「ぬいぐるみ…。」
「何笑ってんだよ?」
「いえ…なんでもないです…。」
だって紫堂さんにぬいぐるみだなんて…。
服やアクセサリーというのはまだわかるけれど、ぬいぐるみなんて似合わな過ぎて、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。
「言っておくけどこれ、全部じゃないぜ?」
「え…?」
「今年は確か…トラック1台に収まったみてぇだけどな。」
「え…えええぇ───っ?!」
「何驚いてんだよ?これでも少ないんだからな。雑誌のインタビューでチョコよりライブに来て欲しいって一応言っといたからな。」
「だ…だって…。」
俺の恋人の紫堂さんは、有名人だ。
「ミヅキ」という名前でミュージシャンをやっている。
俺も紫堂さんと知り合う前は、テレビの中でしか見たことがなかったぐらい、現実味がなくて遠い存在の人だった。
それがどうして今一緒にいるかと言うと…。
「おぉ、今年も持って帰って来たか。」
「あぁ翠さん、ただいま。」
「ん、おかえり。飯は食うんだろ?」
「食う食う、今日何だったっけ…あぁ、確かコロッケだったよな?」
俺と紫堂さんが住んでいるのは、マンションという名の下宿だ。
俺は父親が経営していた会社が倒産したために、それまでに住んでいた一人暮らしの豪華マンションを追い出され、父親に紹介されたここに世話になっている。
そして紫堂さんはと言うと、ミュージシャンになる前から、幼い頃からここに住んでいた。
オーナーである翠さんはちょっと(だいぶ)変わった人だけれど、家事に関してはプロ級だ。
特に俺が感動したのは料理で、それは俺だけでなく住人全員の舌を虜にしている。
こんなに有名になっても紫堂さんがここを出て行かないのは、冗談なのか本気なのか、その料理が理由だとまで言っている。
「どうした悠真、そんなところで固まって。」
「え…あ…、お、俺…、俺なんか凄い人とその…付き合ってるんだなって…。」
「ぶ…何だそれ?何言ってんだよ突然。」
「い、いやあの…、お、俺もご飯一緒にいいですか?もうお腹ペコペコで…!」
紫堂さんはそんな風に笑っているけれど、笑わせるつもりで言ったわけではない。
確かに普段は、俺も忘れている時がある。
紫堂さんがどんなに有名な人なのか、人気者なのか…。
俺の立場になりたい女の子達がどれだけいるか…。
チョコレートの数がそのことを表していて、改めて気付かされてしまった。
「紫堂さん、あれ…まさか全部食べるんですか?」
「あれって?あぁ、チョコのことか?食うけど。」
「ふ、太りますよ…。」
「俺は元々太らねぇ体質なんだよ、心配すんな。甘いもんも結構好きだしな。」
「で、でも虫歯になるかも…。芸能人は歯が命って言うじゃないですか…。」
「ちゃんと歯ぁ磨いてんだろうが。歯科検診だって行ってんだよ。」
紫堂さんはもらったチョコレートは、何ヶ月もかけて全部食べるそうだ。
もちろん一人では到底食べ切れないから、ここの住人やスタッフにも配って手伝ってもらってだ。
俺は芸能人なんてそんな物は食べないと思っていたから、正直言って驚いてしまった。
「せっかくもらったもん捨てるなんて出来ねぇだろ。」
ファンの人達はそのことを知っているからか、生ものや賞味期限の早いものはほとんど送られて来ないそうだ。
俺は紫堂さんの人気が凄い理由が、何だかわかったような気がした。
顔もカッコいいし、歌も上手いけれど、それだけが理由でないことが。
「まぁ本当は俺一人で食えりゃいいんだけどな。さすがにそれは無理だから、それは申し訳ないと思ってる。」
「紫堂さん…。」
「あ、今年は悠真も手伝ってくれよ。お前も結構好きだろ、チョコ。」
「お…俺…。」
俺のチョコレートも、その中の一つに混ぜてもらってもいいですか?
いつになってもいいから、紫堂さんが食べてくれますか?
そう言いたかったけれど、ファンの人達のことを考えると、言えなくなってしまった。
自分はこういう立場にいるからと、気軽に渡そうとしていたのが恥ずかしくなってしまった。
それにバレンタインは女の子が好きな人にあげるもので、男の俺が男の紫堂さんにあげるだなんて…。
おまけに手作りなんて、何をやっているんだか…。
「悠真くん。」
「あ…、は、遥也くん…。ど、どうしたの…?」
翠さんの恋人である遥也くんは、翠さん以上に変わった人だ。
いつも気が付けば後ろにいたりして、俺の心臓が跳ね上がるようなことばかりする。
遥也くんが現れると、今度は何を言われるのか、ハラハラして仕方がない。
「これ…。」
「え…あ…!そ、それは…!!」
「向こうにあったよ。まだ紫堂くんに渡してなかったんだね。」
「ちょ、ちょっと遥也くんっ!!それはその…!!」
遥也くんが持っていたのは、見えない所に隠して置いたはずの、チョコレートだった。
紫堂さんが帰って来たら渡そうと思っていたけれど、たった今渡さないことを決めたものだ。
それがまさか、こんなタイミングで出されるなんて…。
「棚の中掃除してって翠さんに言われたんだ。忘れて行ったのかもしれないと思って。せっかく頑張って作ったのに。」
「あっ、そ、そっか!ごめんねっ、あ、ありがとう!」
「じゃあ僕はまだ掃除が終わってないから…。」
「う、うんっ、が、頑張ってね!」
どうしよう…。
紫堂さんが俺を見ていた。
俺の手に握られた物がチョコレートだって気が付いていた…!
俺は恥ずかしさと気まずさで動けなくなって、紫堂さんのいる方を向けなくなってしまった。