12月31日、一年に終わりを告げて新たな年を迎えようとするその瞬間に、一番好きな人と一緒にいられる。
それはとても単純なことだけれど、とても難しいことだということを、俺はよく知っている。
「わぁ~、美味しそうだねー!」
「うん、そうだな。」
「向こうにいた時はね、ママが作ってくれてたの。こういう特別なご馳走。おせちも作ってくれてたんだけど、作り方がわからないとよくおばあちゃんに電話してたんだよ。日本は夜中だっていうのにね。」
「ぷ…そうなのか?」
姉は昔から強気で負けず嫌いで、誰かの手を借りることが嫌いだった。
誰かに頼ったりするのも嫌いだったから、そんな話を初めて聞いて驚いてしまった。
そういえば義兄に出会って結婚の話をされた時、いつもと違う姉を見たような気がした。
誰かに頼ることを覚えて、その人と共に生きることを決意した、幸せな女性の姿だったのかもしれない。
その後空を産んで七海を産んで、姉はもっと変化していったのかもしれないと思うと、何だか自分の姉ながら可愛らしいと思ってしまった。
それでもいまだに俺にはそういうところを見せないのは、姉という立場での意地とプライドなのかもしれない。
「あきちゃん?」
「え…?」
「どうしたの?食べないの?」
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた。」
空が大きな目で、心配そうに俺をじっと見つめていた。
テーブルの上には近くの総菜屋で買って来たオードブルや注文したピザ、二人で作ったハンバーグが載っている。
台所には空が注文してくれたおせち料理もある。
二人で食べるには多過ぎる量だったかもしれないけれど、こんな特別な日ぐらいは贅沢をしてもいいと思った。
「えへへ、今年最後のいただきますだね!」
「そうだな。」
「あきちゃん…あのね…。」
「うん?」
今年最後のいただきますも、来年最初のいただきますも来年最後のいただきますも、その先もずっと、二人で同じ場所で、一緒に言っていたい。
俺は空の言いたいことがすぐにわかって、下を向いてしまった空の顔を優しく手で包み込んだ。
「来年もまた、こうしてような。空、また一緒に年越ししような。」
「あきちゃ……う、うんっ!えへへっ、いただきますっ!」
「いただきます。」
「わぁー、美味しい!あきちゃん、これ美味しいよ!食べてみて!」
俺の考えは見事に的中していたのだろう。
空は自分から顔を上げて、満面の笑顔を見せてくれた。
俺は嬉しそうに次々と料理を箸で掴んで見せる空を見ているだけで、お腹がいっぱいになりそうだった。
「空、空…?」
いつもよりも長い時間の食事が終わり、俺達はテレビの前に二人で並んで、大晦日の紅白歌合戦を見ていた。
知っている歌手が出ると指を差したり知っている歌があると口ずさんだりしていた空が、いつしかおとなしくなっていた。
「うん…?」
とうとう俺にもたれかかって来た空の顔を覗き込むと、目がいつもの半分ぐらいしか開いていない。
冬休みに入って毎日課題をやって、俺のために食事を作ってくれて、普段はあまり出来ないからと張り切って家事もやってくれた。
おまけにあんなに年越しだの何だのとはしゃいでいたからだろう、その疲れがここに来てどっと出てしまったらしい。
「眠いんだろ?ベッドに行こう?」
「ううん…大丈夫…。」
「ほら、連れてってやるから俺に掴まって…。」
「やだ…大丈夫だもん…。」
「大丈夫って…そんな眠そうなのに大丈夫なわけ…。」
「やだ…あきちゃん…、あきちゃんと年越し…、おソバ食べる…。」
こんな朦朧とした状態でも、空の口から出て来るのは俺のことだけだった。
空は素直だからこそ、自分の思いを通そうとして強情になる時がよくある。
世間ではそういうのを我儘と言うのかもしれない。
俺も最初は我儘だと思っていた。
だけど恋人同士という特別な関係になってからは、そんなことは微塵も思わなくなった。
俺のために頑張っている空が健気で愛しくて、もっともっと空のことが好きになる理由の一つになっていった。
「俺もソバも逃げて行かないだろ?後でちゃんと起こしてやるから、な?」
「あきちゃんー…。」
だからと言って、そのまま無理をさせるわけにはいかなかった。
空が大丈夫だと言っても、俺が心配で大丈夫じゃないんだ。
空も無理をすることはいけないことだと気付いていて、俺が諭せばきちんと納得をしてくれるはずだ。
「心配しなくても絶対起こすから。」
「うんー…。」
「おやすみ、空。」
「あきちゃ…おやす…。」
俺は空の肩を抱いて寝室まで連れて行き、ベッドに寝かせた。
上から毛布をそっとかけてやると、空はおやすみの挨拶を呟きながら、すやすやと寝息をたてて眠ってしまった。
「空……。」
空がまだ小さい頃、俺が遅く帰ると眠ってしまっていることがよくあった。
電話をすると空は大丈夫だと言っていたけれど、寂しかったのだろう、頬には涙の跡が残っていた。
目が覚めた時には俺がいればいい…そんな風に願いながら、ひとりぼっちで眠りに落ちていったのだろうか。
それほどまで寂しがりやな空が、5年間も俺と離れていたんだ。
出来るだけ一緒にいたいと思うことは、当然のことなのかもしれない。
空が帰らないと言ってくれて、行動を起こしてくれたおかげで、こうして二人で一緒にいられる。
俺は空がいないと何も出来ない、空よりも子供な大人だ。
「空…ごめんな…。」
今まで寂しい思いをさせてごめん。
離れていた5年分の寂しさは、これから何としても取り戻していくから。
だから目が覚めた時には、いつもみたいに笑って欲しいんだ…。
あきちゃんって呼んで、ぎゅっと強く抱き付いて来て欲しい。
俺は祈るような気持ちで空のおでこを撫でた後、足音をたてないように、静かに寝室を後にした。
空を起こすまでは、2時間というごく短い時間だった。
離れていた5年間よりもずっとずっと短いのに、俺は寂しさでいっぱいになった。
同じ家の中にいるのに、早く会いたいと思ってしまった。
ひどい寂しがりやなのも、空ではなくて俺の方だ。
「空、起きろ、空?もうすぐ紅白終わるぞ?」
「ん……。」
「年越しソバ、食べるんだろ?空、ほら起きて…。」
「あきちゃ…?」
「あぁ、起きたか。大丈夫か?まだ眠いなら…。」
「あきちゃん……っ!」
目が覚めたらぎゅっと抱き付いて来て欲しいと思っていた。
だけどその腕に込められた力があまりにも強くて、俺は自分で自分の身体が支えきれないほどだった。
そして耳元で何度も俺の名前を呼ぶ空の声は、切羽詰っているような、苦しいものだった。
「空…?」
「行かないで…。」
「え……?」
「あきちゃん、どこにも行っちゃやだ…っ、一緒に…ずっと一緒にいて…。」
初めはただ、寝惚けているだけだと思っていた。
確かに俺が行くのを促したけれど、行ってしまったのは空の方で、何を言っているのかわからなかった。
「空……。」
「も…やだ…、あきちゃん、ずっと一緒にいたいよー…。あきちゃんー…。」
「大丈夫だよ、一緒にいるって言っただろ?来年も一緒に年越ししようってさっきも言ったじゃないか。」
「ホント…?あきちゃん…ホントに…?」
空はきっと、恐かったのだろう。
一緒にいることが今は当たり前だと思っていても、いつかそうじゃなくなる時が来たら…。
年が明ける時になって、来年のことやその先を考えた時、不安になってしまったのだろう。
だけどそんなのは俺も同じだ。
俺だっていつも不安で、いつも恐いと思っている。
空が「好き」と言ってくれることで、その不安や恐怖を拭ってくれた。
大丈夫だという自信を持たせてくれた。
「空、好きだよ。俺は空が大好きだから一緒にいたいんだ…。」
「あきちゃん…。」
「俺はどこにも行かないし、空にどこかに行けなんて言わない。ホントだ、信じてくれ…な?」
「うん…っ、あきちゃん…!あきちゃん大好き…!」
30歳を過ぎた男が、高校生相手に、しかも自分の甥相手に、恥ずかしげもなく何を言っているんだと思われるだろう。
世間では認められない関係だなんてことは、今更言われなくても十分承知の上だ。
それでも空の不安が少しでもなくなってくれたなら、俺を信じてくれたなら。
いつもみたいに笑ってくれたなら。
俺はそのためなら、何でも出来るし、何でも言える。
恥ずかしいなんてことはまったくない。
だってここには、俺と空の二人しかいないんだから。
二人きりの世界でなら、どんなことも神様は許してくれるはずだ。
俺はそんな都合のいいことを考えながら、今年最後になるであろう空とのキスを、ベッドの上で何度も繰り返した。