それから3週間が過ぎ、クリスマス・イブの朝を迎えた。
当日買い物に行ってご馳走作りをすると言っていた志摩は、まだ夢の中にいる。
俺が用意したプレゼントのことを話したら、一体どんな顔をするだろう?
不安と期待を抱きながら、俺は隣で寝息をたてる志摩の身体を優しく揺さ振った。
「志摩、志摩…。」
「んー…?」
「志摩、起きろ…。」
「ん~…隼人~…すきー…。」
朝から反則とも言える志摩の寝言に、一瞬だけ手が止まってしまった。
夢の中まで自分が支配しているのだと思うと、恥ずかしいやら嬉しいやらでどうしようもなくなる。
こんな日常の小さな事が幸せだと思わせてくれたのも、志摩だ。
俺は志摩にこんなにもたくさんのものをもらっているんだから、時々はお返しをしてやらないといけない。
贅沢なクリスマスを過ごすことぐらい、何てことはない。
だってそうでもしないと、きっと罰が当たってしまうから。
「志摩、ほら起きろ。」
「んー…?ん…?隼人…?あれー…?隼人ー?」
「出掛けるからもう起きろ。」
「……ほぇ?」
志摩は何度か寝言を繰り返した後、俺の言葉を聞いてぱっちりと目を開けた。
目をゴシゴシと擦りながら俺にしがみ付く姿は、甘えん坊の小さな猫みたいだ。
俺は志摩の背中に手を回し、支えながら身体を起こして、ベッドの上で目の前に座らせた。
「どうせ準備に時間かかるだろ。」
「えっと…あの…?準備?隼人、出掛けるって言った?どこに行くのですか?」
「ホテルだけど…。」
「ホテル?うんと…えっと…。」
志摩はまだ俺の言っていることがわからないのか、口をぽかんと開けた後、眉間に皺を寄せて考え込んでしまった。
自分から言い出したことを忘れるなんて、間抜けというかバカと言うか…。
いや、志摩はあの時、完全に諦めたのだろう。
本気で行きたかったけれど、本気で諦めて心を切り替えた。
だからこそ今こんな風に蒸し返されても、何のことだかわからないのだ。
「これ、行きたかったんじゃないのか?」
「え……?あ…!え?えええぇっ?!」
「行きたかったんだろ?」
「い…行きたかったけど…でも…、でも…!」
申し込みをしてから送ってもらったパンフレットを差し出すと、志摩は目をまん丸に見開いて何度も瞬きをした。
きっとこれは夢なんじゃないかとでも思っているのだろう。
こういう時に見せてくれる素直な反応が、いつまで経っても新鮮で、何よりも嬉しい。
「行くだろ?」
「は…はい…!あ、あの…隼人…でもこれ…。」
でもこれ、高いんじゃないの?
いくら金銭感覚の鈍い志摩でも、その辺りはしっかり気にしているのだろう。
そもそも諦めた原因というのも、値段だったのだから。
「何?どうした?行かないのか?」
「な、なんでもないです…!えへへっ、隼人ーっ。」
「うわ…!な、何…。」
「ありがとう…ありがとうございますっ!隼人、隼人好き、大好きー。大好きです!」
躊躇っていたら逆に俺に申し訳ないとでも思ったのか、志摩はそれ以上何も言うことはなかった。
自分が本気で喜ぶことが俺の喜びに繋がることに気付いているのかはわからないけれど、身体中で喜びを表現してくれた。
俺はその志摩の喜びに応えるように、寝癖だらけの髪をくしゃくしゃと撫でた。
その後の志摩と言えば、俺の予想通り準備やら何やらで大忙しだった。
今夜は本当に隣の二人を誘うつもりだったようで、まずは断りの電話を入れ、その後は泊まる準備をしていた。
ホテルなんだから何も準備するものなんてないのに、大きなバッグまで用意して来た時には、予想通りとは言え吹き出しそうになってしまった。
昼過ぎになってようやく準備を終えた志摩は、行く前から大仕事を終えたように疲れてしまっていた。
こんなことなら前もって言っておけばよかったのかもしれないけれど、それでは面白味がない。
結局俺も志摩と一緒になってこういうイベントを楽しんでいるのだと思うと、志摩のことを女みたいだと言う資格はないのかもしれない。
「隼人ー、どうしたの?早く行こー?」
「いや…車で行こうかと思って…。」
「車?もしかしてタクシーで行くの?!ホテルまで結構遠いよ?」
「そうじゃなくて…ばあさんが置いて行ったのがあるから…。」
駅とは逆の方向に行こうとした俺を、志摩が不思議そうに引き止めた。
こんな時ぐらいいつもと違うことをしてやるのもいいと思った俺は、マンションの駐車場に置いてある一台の車を指差した。
それは俺のばあさんが日本を発つ前に置いていったもので、ほとんど新車に近い状態だった。
どうせ乗ることもないから処分しようかと思っていたけれど、今になって役に立つとは思わなかった。
「は、隼人運転出来るのっ?!免許持ってたのっ?!」
「まぁ…普通免許がないと運転は出来ないだろうな。」
「えええぇーっ?!お、俺知らなかったよ?!なんで教えてくれなかったのーっ?!」
「なんでって…。」
「がーん…!どうしよう…俺、隼人のこと何でも知ってると思ったのにー!」
「別にそんなこと…いちいち言うことでもないだろ…?」
「そんなこと、じゃないですっ!大事なことです!」
「そ…そうか…。」
俺にとってはどうでもいいことでも、志摩にとってはこだわりがあるのだ。
志摩には俺しかいなくて、俺のことなら何でも知りたい…そういうことだろう。
俺は志摩の勢いに圧倒されながら、車のキーを差し込んだ。
「あー…でもー…。んふ…んふふ…。」(でれん)
「な、何だ…?」
「ん…?あー…!うわん、どうしよう隼人ー…!」
「だ…だから何だよっ!」
怒ったかと思うと今度は一人でデレデレ笑い出し、笑い出したかと思うと慌てたり…。
俺にはまだ、志摩の考えていることが読めない時がよくある。
「だ、だってぇー!隼人が運転するところなんて絶対カッコいいに決まってるんだもんー!どうしよう、想像してたら緊張してきちゃったー!」
「あのな…。」
「そ、そうだ!深呼吸しようっ!はーっ、はーっ!隼人も一緒にしよー?」
「お、俺はいいって…。」
家を出てから車に乗り込むまでに、随分と時間がかかってしまった。
日中とはいえ今は12月なんだから、こんな寒空の中で風邪でもひいたら元も子もないのに。
「志摩、シートベルト…。」
「あのー…隼人…。その、サングラスとかしないの…?」
「え…?別に眩しくないし…。」
「えー!じゃあ眼鏡は?」
「は…?視力も悪くないのに何で眼鏡なんかしなきゃいけないんだ?」
「えー!度の入ってないやつでいいからしようよー!なんかそういうのドラマでよくあるでしょ?そういう隼人が見たかったのー!」
「あのな…そんなこといいからシートベルトしろって言ってるだろっ!!」
「ひゃんっ!ご、ごめんなさ…!わ……!」
こんなところで怒鳴るつもりなんかなかった。
はしゃいでいる志摩を抑えつけるつもりなんかなかったけれど…。
ついいつもの癖で怒鳴ってしまって後悔をし始めていると、シートベルトに手をかける俺の顔を覗き込む志摩の顔が、なぜだかぱぁーっと明るくなっていた。
「な、何…?」
「えへへ…。な、なんかー…サングラスなんかしなくても隼人はカッコいいなぁーって…!」
「バカ…。」
「だってホントにカッコいいんだもんー…。」
まったく…行く前からこんな状態で、どうするんだ?
俺のことをカッコいいだの何だのと褒める時どんな顔をしているか、自分でわかっているのか?
俺が今、出掛けるのなんかやめてこの場ですぐに襲いかかりたい気持ちでいっぱいになっていることに、気付いているのか?
俺は相変わらず無意識に欲情を煽る志摩に溜め息を吐きながら、やっとのことでマンションを出た。