「ただい…。」
「あー!ホントだー、隼人くんだー!」
「え……?」
「志摩ちゃん、隼人くんだよー!すごーい、志摩ちゃん、ホントに帰って来たのわかるんだねー!」
週も半ば、一日の仕事を終えて帰宅すると、賑やかな声に出迎えられた。
志摩一人でも賑やかと言えばそうなのだけれど、この日はいつも以上だった。
以前飼っていた猫のシマが、パタパタと走って来て何やら騒いでいたのだ。
「シマ…?」
「うんと、うーんと…とらっく!」
「……は?」
「お菓子はー?」
俺には猫のシマが言っている意味が、さっぱりわからなかった。
人間で言えばまだ小学生と言ったところだろうか。
そんな歳の離れた子供の言うことは、俺みたいな大人にはわからないことが多々ある。
「えぇと…。」
「あのねー、お菓子もらえるの!」
「えっと…その…な、何がだ…?」
「えー!くれるって言ってたもん!ねー、志摩ちゃーん!」
何とか暫く会話を続けてみても、猫のシマの言いたいことが何なのかは、結局わからなかった。
ぷうっと頬を膨らませて拗ねられても、俺にはどうすることも出来ない。
これはシマのことを理解しようとする、俺の力が足りないのだろうか?
もっと人の気持ちを考えられる人間になれと言うことなのだろうか…。
「シマにゃん、それだけじゃわかんないよー。」
「志摩ちゃーん…。」
「し…志摩…!」
キッチンで夕食の準備でもしていたのか、志摩が遅れて玄関までやって来た。
いつものエプロンを付けたあの志摩ではない、おかしな格好…黒いワンピースのような服を着て。
「後ろにオア・トリートって付けるんだよ?」
「あっ、そっかぁ!トラック・オア・トリート!」
「そうそう!えらいねーシマにゃん!」
「えへへー、お菓子もらえるー!」
俺はこの時になって、やっと猫のシマが言いたかったことを理解した。
よく見ると猫のシマも人間の志摩と同じような黒い服を身に着けていて、それが魔女の格好だということもわかった。
今日は10月31日、いわゆるハロウィンの日だったのだ。
「あっ、隼人ー、おかえりなさい!」
「ただいま…。」
「あのね、今日シマにゃん達とハロウィンやってたのー。」
「それは…わかったけど…。」
そんなことはもうわかったから、お前のその格好は何だ?
あれほどそういう服はやめろと注意したのに、散々お仕置きもしたはずなのに、どうしてこうも志摩はバカなのだろう。
「えへへ、これね、お揃いなのー。志摩魔女とシマにゃん魔女!」
「しまじょー。」
「ダブルシマ魔女だよー。ねー?シマにゃんっ。」
「ねー?」
俺は二人がハロウィンではしゃいでいることなんか、どうでもよくなってしまっていた。
帽子を被っていつも以上に可愛らしくなっている志摩の表情や、魔女の黒い服の裾から覗く志摩の白くて細い脚が、俺の視界と頭の中を支配していた。
「隼人も早く早くー、一緒にやろうよハロウィン!」
「早くー。」
「わ…わかったから…。」
俺はそれこそダブルで志摩達に腕を引っ張られ、靴を脱ぐ暇も与えてもらえないぐらいの勢いで、リビングへと無理矢理連れて行かれそうになった。
俺の複雑な思いなんか、きっとこの二人にはわからない。
可愛い格好をしている恋人を誰にも見せたくないと思ってしまう醜い願望なんて…。
「こらこらシマにゃんこ、無理強いはいかんぞ、無理強いは。」
「むりじ?」
「げ……青城さん…。」
玄関で大騒ぎをしているところへ、今度は青城さんがやって来た。
志摩と猫のシマとはまた違う、黒いマントを纏った悪魔みたいな格好だ。
顔立ちが綺麗で神秘的なだけに、こういう格好をするとやたらと似合ってしまうのは、やっぱり人間ではないからだろうか。
「ん?今、ゲッて言ったか?」
「い…いや…それは…。」
「なんだなんだ、隼人くんは相変わらずつれないなぁ?」
「べ…別にそういうわけじゃ…。」
俺はこの人が嫌いなわけではない。
むしろ思ったことをズバズバと口にするところなんか、時々羨ましくなってしまうぐらいだ。
だけどあまりにもハッキリと言い過ぎるから、少しだけ苦手な部分もある。
「よし、シマにゃんこ、そろそろ帰るか。」
「えー!まだいたいー。」
「桃と紅も待ってるぞ?ご馳走にするって張り切ってたからな。」
「やだ!もうちょっといるの!」
青城さんは俺の腕にしがみ付いていた猫のシマを、いとも簡単に剥がして抱き上げた。
腕の中でバタバタともがく猫のシマの頭を優しく撫でながら言い聞かせようとする姿に、猫のシマへの愛情を感じる。
嫌がっている猫のシマは可哀想だけれど、俺は何だか安心してしまった。
言っていることは適当でいい加減なこともあるけれど、青城さんは猫のシマを愛してくれているということに。
「いやー、そこですっげぇ鬼みたいに怒ってる人がいるからなー。」
「ちょ…!お、俺は別に怒っては…。」
「おに?やーん、恐いー!」
「あれー?俺は別に隼人くんだとは言ってないぞー?」
「う……。」
「アオギー帰ろー?おに恐いの!」
そう、こういうところが苦手なのだ。
他人のことなんか見ていない振りをして、しっかり俺の心を読んでいるところだ。
さすがは神様になれるだけある…なんて感心をしている場合ではないけれど、苦手ながらもやっぱり凄いと思ってしまう。
「うひゃひゃ、冗談だって!元々この衣装が目的で来てたんだよ。」
「衣装…。」
「ネットで売り切れててなー、志摩ちゃんが買いに行くって言うから一緒に行って来てな、ついでに騒いでたってわけだ。」
「はぁ…。」
猫がネットにハロウィンに買い物…。
猫の世界があること自体は俺の中で受け入れられてはいるものの、未だに信じられないことばかりだ。
それも俺達人間よりも詳しいことがあるから驚きだ。
「じゃあな志摩ちゃん、ありがとうな。」
「ばいばいなのー。」
「あっ、お菓子お菓子っ!シマにゃんと青城様の!」
「おお、忘れてた!帰ってみんなで食うからよ!」
「お菓子ー、お菓子ー♪」
「気をつけて帰ってねー、また来てね!」
猫のシマは青城さんに抱かれたまま、お菓子を受け取って帰って行った。
中身は志摩が焼いたケーキか何かだろうか、二人が去った後も、玄関では甘い匂いが漂っていた。