それから毎年、俺達はあのこいのぼりをもらいにデパートへ行った。
働くようになってからちゃんとしたこいのぼりが買えないわけではなかったけれど、なぜだかあの小さなこいのぼりが良かったのだ。
そして決まってあの川原で食事をして、草の上に寝転がって手を繋いだ。
空が大きくなるにつれてその手も大きくなり、時々隠れてキスもした。
「あきちゃん、早く早くー!」
「あんまり走ると転ぶぞ。」
しかし空が5年生になった年、それは終わりを告げることになる。
もちろんその時は空が遠くへ行ってしまうことなんて想像もしていなかった。
「わ……!い、痛…っ!」
「ほら、だから言っただろ…立てるか?」
「うん…。い、痛いよー…。」
「大丈夫か?おんぶしてやろうか?空。」
年々小さくなっていくこいのぼりを手に、空は川原の近くの道を走り出して、転んでしまった。
砂利道のせいで擦り剥いた膝からは薄っすらと血が滲み出ている。
「ううん、大丈夫!」
「そうか…。」
少し前だったら、すぐに俺に抱き付いて来たかもしれない。
こうして空は、どんどん大人になって行くんだろう。
俺の手を離れて、いつかその心も離れてしまうかもしれない。
俺は自分の足で歩き始めた空の背中を、少しだけ寂しい思いで見つめていた。
「あきちゃん!早く!」
「え……。」
「早く帰ろう?」
「空…。そうだな…。」
振り向いた空が俺のところへ戻って来て、ぎゅっと手を握った。
あぁ、今はそんな心配をするのはやめよう。
まだ空は俺の手を必要としてくれている。
まだ俺達は一緒に歩いて行ける。
そう信じてやまなかったその年、空は両親のいるアメリカへ旅立って行った。
***
あれから5年。
初めてこいのぼりを手にしてから10年が過ぎた。
長い年月とその間の寂しさを越えて、再び俺達は一緒にいることが出来るようになった。
空は俺の家の近くの高校に進学を決め、俺のところで暮らしていたのだ。
「あきちゃん…?」
「空…起きたのか?ごめん、うるさかったか?」
俺が思い出に浸っていると、空がパジャマ姿のままリビングへやって来た。
眠そうな目を擦りながらふらふらしている姿が無防備で、誰にも見せたくないと思った。
「よかったー…起きたらあきちゃんいないんだもん…。」
「俺はどこにも行かないよ。」
俺達はもしかしたら、離れ過ぎていたのかもしれない。
空は引っ越して来てから、昔よりも甘えん坊になったような気がする。
少しでも俺がいなくなれば不安になって、俺の姿を見つけるとこうして負ぶさるように背中にしがみ付いて来る。
そんな幸せな行為がまだ慣れなくて、何だかくすぐったい感じがする。
「あれ?それ…こいのぼり…?!わー、あきちゃん取っておいてくれたの?」
「ん…?あぁ…これか…。」
「すごーい、懐かしいー!えー?こんなに小さかったっけ?」
「それは空が大きくなったってことだろ?」
そうだ…あの5年間も、こいのぼりが年々小さくなっていったわけではなかったんだ…。
よく見れば引き出しの中のこいのぼり達はデザインこそ微妙に違うものの、大きさはほとんど変わらない。
俺はちゃんと、空の成長と共に過ごしていたのだ。
「なんか可愛いねー。僕、これもらいに行くのすっごい楽しみだったんだー。」
「うん…そうだな…。」
「それで川原でハンバーガー食べたよね?あれ、すっごく美味しかったー。」
「うん…そうだな…。」
もしも今またそれを再開しようと提案したら、断られるだろうか。
もう僕は子供じゃない、そう言って空は頬を膨らましてしまうだろうか。
俺はドキドキと心臓を高鳴らせながら、空の腕を引っ張って自分の腕の中に収めた。
「空…、またやろうか…。」
「え…?あきちゃん…?」
「またこいのぼりもらいに行こうか…。」
「あきちゃん…。」
空の耳元で囁く自分の声が、震えているのがわかった。
こんなことに執着なんかしなくても、空が俺と一緒にいてくれることはわかっているのに。
ただ長い間離れていた隙間を埋めたくて、我儘を言ってしまった。
「ご、ごめん今のは…。」
「毛布…買っていい…?お買い物…しなきゃもらえないんだよね…?」
「空……。」
「だってあの毛布…もう小さいんだもん…ね?いい?あきちゃん…。」
空は俺の背中に腕を回し、しっかりと抱き締めてきた。
断られるかと思っていたけれど、やっぱり空は空のままだ。
身体は大きくなっても、あの時と同じ、純粋なままだ。
「うん…。」
「あとね、ハンバーガーも食べたいな…あきちゃんと一緒に川原で。それで寝転がって手繋ぐの…。」
「うん…。」
「あきちゃん…一緒にいてね…。来年も再来年も、こいのぼりもらいに行こうね…。」
「うん……。」
「ずっと一緒にいてね…あきちゃん。」
窓の向こうには、ずっと変わらない青空が広がっている。
引き出しの中の小さなこいのぼり達は、早くその中で泳ぎたくて、うずうずしているように見えた。
END.