「志摩……っ!」
志摩の足ならまだ遠くには行っていないはずだ。
だいたい、志摩には実家なんてものは存在しない。
それならば行くところなんておのずと限られてくる。
シロのところか、あるいはすぐ隣の家か。
それとも近所の公園か。
単純な志摩の行動なんてすぐにわかるぐらい、俺はいつでも傍にいた。
どこの誰だか知らない奴に、戦いもせずに負けるわけにはいかない。
そう強く決意してドアを思い切り開けると、ゴン!という鈍い音がそこら中に響いた。
「あうっ?!」
「し…志摩…?!」
「うっうっ、頭ぶつけたー…。い、痛いよぅー…!」
「そ…そこにいたのか…。」
それでも志摩という奴は、時々いい意味で俺の期待を裏切ってくれる。
てっきりどこかへ行ってしまったのかと思いきや、ドアの真ん前にいたのだから。
「隼人……。」
「そんなところにいたら頭ぶつけることぐらいわかるだろ…。」
「う……。だって…俺の家はここだけだもん…。」
「志摩…。」
そんなことはわかっていた。
いくらシロのところや隣に行ったとしても、それは一時的なものだということぐらい。
志摩がいる場所なんて他にないことぐらい、わかっていたはずなのに…。
それは俺が志摩の傍以外どこにも場所がないのと同じだ。
「でも隼人は俺のこと…。」
「これ…、もしかして…。」
俺は志摩の頭に手を伸ばそうとしたけれど、何だか触れることが出来なかった。
膝を抱えて頭を押さえている志摩がとても傷付いて見えて、触れたら壊れてしまいそうだったから。
俺が握り締めたままの紙切れを差し出すと、ようやく志摩はその頭を上げてくれた。
「うん…あのね…、隼人に当日まで黙ってようと思って…、さっきはシロに相談してたの…。」
「な、なんで黙ってようとしたんだよ…。」
「だ…だって隼人はそういうの嫌いだし…。」
「勝手に決めるなよ…。」
「誘ってもデートなんかできるかって怒りそうだし…でももしかしたら当日言えば何とか行ってくれるかもって思ったの…。仕方ないなぁって言いながら一緒に行ってくれるかと思ったんだもん…。」
「想像し過ぎだろ…。」
「でもこの間…くだらないと思う?って聞いたらあぁ、って言ったもん…。」
「だからってな…。」
俺はとてもバカなことを考えていたらしい。
志摩のことを頭が悪いだのバカだのと責める資格なんかないぐらい、俺のしたことはバカと言うより他はない。
そもそもあの時ちゃんと志摩の話を聞いていれば、曖昧で適当な返事なんかしなければ、こんなことにはならなかったのだ。
「でもこんな風になるなら言えばよかったって…っ、ダメでも言ってみればよかったって思った…っ。」
「志摩…。」
「隼人に疑われるぐらいならエビなんか見に行けなくても…っ!隼人、ごめんな……んう?!」
「志摩……。」
志摩の思いは痛いほど、俺の胸の奥まで伝わって来た。
勝手な思い込みで何かをしようとして失敗したことを悔やんで、反省している。
だけど志摩は悪くなんかない。
もっと勝手な思い込みをして志摩を傷付けてしまった俺の方が悪い。
俺は志摩が謝ろうとする唇を優しく強く塞いで、それ以上何も言えないようにした。
どうしても俺の方から謝りたくて、志摩を安心させてやりたくて…。
「あの…隼人……?」
「志摩…その……ご、ごめ…ごめん…なさい……。」
「え……!」
「いや…俺が悪くて…だから……。」
志摩と出会うまでの俺は、真剣に謝るなんてことを知らなかった。
仕事で失敗をしたりして謝ることはあっても、その言葉に心なんて一つもこもっていなかった。
自分が本当に心の奥底から悪いと思って謝ることは、こんなにも難しいことだった。
俺は志摩と出会ってから、それを知ったような気がする。
「隼人…なんか変だよ…?言葉が変…。」
「志摩にだけは言われたくないけど…。」
志摩が緊張したりしておかしな言葉遣いになるのも、何だかわかるような気がした。
自分の心を思い通りに伝えることは、簡単なことではない。
それも志摩が俺に教えてくれたんだ…。
「えへへ…。」
「何笑ってるんだ…。」
「な、なんかあの……は、隼人可愛いなーって思って…。」
「お、俺が可愛いなんて気持ち悪いこと言うなよ…。」
「だってー…。」
「もういい…。ほら…、風邪ひくぞ…こんなところで寒かっただろ…。」
志摩は一瞬言おうかどうか迷っていたけれど、遠慮しがちに思っていることを言ってきた。
先程の教訓なのかは知らないが、何でもかんでも隠さずに言えばいいという問題ではない。
出来ればそういうことは言わないでいて欲しいなんていうのは俺の我儘なのだろうか。
それとも志摩が単純なだけなのだろうか…?
「あっ、大丈夫ですっ!バカは風邪ひかないって言うもんね!」
「バカでもひく時はひくんだよ…。」
「えー!そうなの?!あっ!そっかー!俺風邪ひいたことあるもんね!あっじゃあもしかして俺頭いいのかなー…?」
「バカ……。」
俺はやっといつもの笑顔を見せてくれた志摩の肩を抱いて、暖かな家の中へと入った。
志摩がバカだとか俺がバカだとか…もうどうでもいいんだ。
ただ志摩という人間が傍にいてくれればそれでいい。
すれ違いや勘違いで志摩を失うことの方が俺にとっては重大なことだから。
これからはもっと志摩の話を聞いてやろう。
志摩のしたいことや願っていることを叶えてやろう。
俺は改めて志摩の存在の大きさを感じながら、触れられなかった頭を優しく撫でた。