志摩と恋人同士になって、一年とその半分。
隣に志季が引っ越して来て、飼っていた猫の虎太郎と恋人同士になって数ヶ月。
二人だけだった家族がいつの間にか増えてしまったかのように、隣の二人は当たり前のように食事を共にするようになった。
「またエビフライ~?」
「だ、だって安かったんだもん…お惣菜屋さんがセールだったの…。」
「志摩~、俺これ好きだぞ!志季、文句ばっかり言うとやな奴だぞ?」
「う…うるさいなぁもう!別に嫌だなんて言ってないでしょ!」
「し、志季っ、怒っちゃダメだよー!」
「そーそー、志季はすぐ怒るんだもんなー。やなやつやなやつー♪」
食事の間ほとんど無言でいる俺をよそに、他の皆はいつもこんな感じだ。
志季は相変わらず志摩に突っ掛かったり意地悪をしたりして、虎太郎がそれを庇う。
そうすると志季の機嫌が悪くなって、志摩が宥めたり虎太郎がベタベタひっ付いて機嫌取りをしたりする。
俺は元々の性格のせいなのか歳が少しだけ離れているせいなのか、皆の会話には入ろうとは思わない。
志季が言い過ぎる時は口を挟んだりはするけれど、最近ではそういうこともなくなってきた。
それが虎太郎のお陰なのかはわからないけれど、志摩をいじめて泣かせるようなことはしなくなった。
それならば俺が会話に入らないことで、この和やかな空気も成り立っているのかもしれないと思うからだ。
「ねーねー、今度ね、世界のエビ展っていうのがあるんだってー!」
「何それ、くだらない。」
「えー!くだらなくないよー!美味しそうだもんー!志季もエビフライ好きなんでしょー?」
「好きだけど、別にそんなの興味ないもん。っていうか美味しそうって…変なのっ!」
志摩がその話をしたのも、ただの会話の流れだと思っていた。
あくまで世間話的なことで、そこまで重要なことだとは思ってもいなかった。
だから俺は普通の会話の時のように、聞き流してしまったのだ。
「隼人はどう思いますかー?」
「え……べ、別に…。」
「くだらないと思うー?面白そうって思わないですかー?」
「あぁ…まぁ…。」
それよりも俺は、隣の二人が去った後のことで頭の中がいっぱいだった。
この日は金曜日で、次の日は仕事がない。
そうなれば志摩とゆっくり過ごせる…つまりは夜のことで他のことなんかどうでもよくなっていたのだ。
「ガーン…。」
「ほらね、くだらないって言ったでしょ。」
「う…だって…。」
「志摩っ!俺はエビ好きだぞ!」
志摩がどれほど落ち込んでいるかなんて、気付きもしなかった。
ただその落ち込んでしゅんとしている顔だけが目に入って来て、それだけに夢中だった。
その顔をもっと歪ませてみたい…泣かせてみたい…。
俺だけが出来る方法で、志摩が泣くところを俺だけに見せて欲しい。
そんな欲望の中、食事の時間は過ぎて行ってしまった。
そしてその夜も、俺の計画通りに甘く過ぎて行った。
***
それから一週間、また週末がやって来た。
仕事から帰った俺は志摩が準備してくれていた風呂を済ませ、皆が揃ったところで食卓に着こうという時だった。
いつもならキッチンで一生懸命になって食事の準備をしているはずの志摩の姿が見当たらない。
「うん、うん…。明日にしようかと思うんだけど…どうかなぁ…?」
今の家は、二人で住むには広すぎるほどだった。
しかも志摩はほとんど俺と一緒にいるから、一人でどこかで過ごすことなんてなかった。
一応志摩の部屋というものもあったけれど、そこには物はほとんど置いていないし、使うこともなかった。
それがこの時、珍しく志摩は一人でその部屋にいたのだ。
「でも大丈夫かなぁ…。」
ドアの隙間から見える志摩は、誰かと電話をしているみたいだった。
そういえばこの一週間、志摩の様子が少し変だった。
俺に隠れてこんな風に電話をしたり、こそこそと携帯電話をいじったり…。
いつもならすぐに気が付くはずの俺も、志摩が何を隠しているのかさっぱりわからなかった。
また一人で何か計画でも立てているのかもしれない。
またくだらないことを考えているのかもしれない。
そう思って放っておいて、志摩から何かを言い出すのを待てればよかった。
志摩のしようとしていることを察してしまっても、知らない振りでもしてやればよかった。
それが出来なくなってしまったのは、その電話のひとことを聞いてしまったからだ。
「隼人にバレたらどうしよう…?」
俺にバレたらどうしよう。
それはつまり、俺にバレたらまずいということだ。
今まで聞いたことのなかった志摩の言葉に、胸の中がざわめいた。
「絶対内緒だからね?約束だよー?」
俺は今まで、どうして色んな可能性を考えなかったのだろう。
志摩は俺のことが大好きで、俺以外の奴を好きになんかならない。
そんな自信が俺の中を支配していて、それ以外のことなんて考えもしなかった。
志摩が俺以外の奴を選ぶ可能性なんて…。
「うん、じゃあね。うん…またね…。」
一度湧いてしまった疑惑は、どんどん膨らんで逃げ場を失ってしまう。
志摩が電話を切って部屋から出て来るのに、一歩も動けない。
ぐらぐらと視界が揺れて、眩暈まで起こしている。
早くしないと盗み聴きをしていたことが志摩にわかってしまうのに…。
「は、隼人…?!」
とうとう俺はその場から動くことが出来ずに、出て来た志摩に見つかってしまった。
志摩は目を大きく見開いて、驚いてしまっている。
だけどもっと驚いているのはこの俺だ。
まさか志摩が浮気をしているなんて…。
そのことでこんなにもショックを受けてしまうなんて…。
「あ…あの…俺……!あのね、隼人…!」
「志摩……。」
今、誰と電話してたんだ…?
誰かとどこかへ出掛けるのか…?
俺以外の誰かを好きになったのか…?
志摩…、俺を捨てて他の奴を選ぶのか…?
「あっ、隼人…!」
「隣…呼んで来る…。」
そんな簡単な台詞を言うことも出来ずに、俺は隣の二人を呼びに行った。
もしこれが本当だったらと思うと、恐かったのかもしれない。
志摩に捨てられることが、この世の終わりというぐらい、俺にとって志摩は必要不可欠なものだったからだ。
だけど志摩にとっての俺は、違っていたということだ。
俺はその事実を知りたくなくて、逃げてしまったのだ。