「にぃちゃーっ!」
小さい頃から、俺の後ろにはいつもくっ付いている奴がいた。
寂しがりやで甘えん坊で、すぐ泣く奴。
たった二つしか歳が違わないのに「随分と子供だ」なんて、自分も子供ながら思っていた。
「にぃちゃ、おやつ!おやつ!」
「ようへい…またはなみずでてるぞ。」
「わぷ…!ありがとにぃちゃ!へへー。」
「………。」
それは俺の実の弟の洋平だ。
いつも鼻水を垂らして歩いては、俺に注意されてから気付く。
時々幼稚園の制服にまで付いていることがあったりして、仕方がないから俺がいつもそれを拭いてやっていた。
「ん?ん??どったの?」
「おやつは?」
「あっ、そっか!」
「もー、わすれてたのかよー?」
自分の弟ながら、ハッキリ言って洋平はバカだ。
別のことをし始めると、今までのことを忘れている。
何かに夢中になっていると時間が経っているのも気付かないし、一つのことに神経がいっていると何もないところでよく転ぶ。
そしてもちろん、転ぶとすぐに泣く。
「さっきおかーさんからようへにでんわあったよ。」
「ふーん。きょうもおそいのか?」
「ううん、きょーははやくかえってくるってゆってたよ!」
「ふーん、めずらしいな。」
俺のところは両親共働きの家庭だった。
元々母ちゃんはどこかの会社の事務をやっていたのだが、俺を産む時になって辞めた。
その後は俺の育児をしつつ洋平を出産したので、暫くは専業主婦をやっていた。
うちは格別金持ちなわけではなく、かと言って格別貧乏なわけでもない。
母ちゃんとしては少しでも家計の足しになればと思ったのだろう、洋平が幼稚園に入ったのと同時にまた働き出したのだ。
俺に洋平の面倒を全部任せて。
「にーちゃ、おやつたべたらなにしてあそぶ?」
「んじゃかいじゅうごっこしようぜ。」
「うんっ!かいじゅー!」
「ようへいがあくやくだからな?」
幼稚園のバスに乗って家に戻ると、俺達は準備してあったおやつを二人で食べた。
それから母親か父親、どちらかが帰って来るのを待って晩ご飯だ。
そんなうちではだいたい晩ご飯が夜の7時を過ぎていることがほとんどで、洋平は腹が減ったからという理由で泣き出すこともあった。
「えーい、わるものめー!やっつけてやるー!」
「うんと、えっと…、か…かかってこい!」
「ごごごごー!ずがががー!ばくだんはっしゃー!どがーん!!」
「やー!たすけてぇー!!」
おやつを食べ終わると、こうして二人で色々な遊びをした。
怪獣ごっこ、なんとかマンごっこ…いわゆるヒーローごっこが多かった。
そうすると俺は必ずと言っていい程洋平に悪役を命じたのだ。
「ばかっ!そこでにげてどうするんだよー!ようへいはおれにやっつけられるやくなんだぞ?!」
「だってぇー、こあいんだもんー。」
「もーやーめたっ。かいじゅうごっこやめ!」
「にいちゃ~…。」
弱虫な洋平はいつもその戦いの途中で逃げた。
俺が上から乗っかってほんのちょっと押さえ付けたりすると、そこで泣き出すこともあった。
「そぉだ!じゃあにいちゃがわるものやって!」
「えー、やだ!」
「だっていっつもようへばっかりわるものなんだもんー。」
「ようへいはおとうとだからあくやくしかやっちゃだめなんだよ!」
「えー!そーなの?それってなんかのほーりつ?」
「そうだよ、にほんではそういうきまりなんだ!」
そんな適当でいい加減なことを並べて、俺は洋平に悪役ばかりをやらせた。
しかもバカな洋平はそんな俺の言うことをすっかり信じてしまっていた。
「にいちゃ、すごいねぇー…そんなことしってるんだ!」
「へへん、あたりまえだろー?おれはようへいのにいちゃんなんだから!」
それどころかそんなことを言う俺を凄い奴だと思っていたみたいだった。
目をキラキラさせて、まるで俺を正義の味方のような憧れの眼差しで見ていた。
俺はあいつの正義の味方、兄としてあいつに凄いと思われていたかったのだ。
いつもカッコいいと言われたくて、頼りにされたかった。
「兄ちゃんー…今日学校でいじめられた…。」
「何?ホントか?」
それから数年が経って小学生になっても、洋平の泣き虫で弱虫なところは変わらなかった。
家に帰って来ると泣きべそをかいていたことがよくあった。
「うん、先生に指されてまた変な答え言ったら笑われて…。」
「よしっ、俺がやっつけてやる!そいつんちどこだ?!」
「わー!ホント?兄ちゃんカッコいー!」
「まかせておけよ!俺はお前の兄ちゃんなんだからな!」
よくいるクラスのガキ大将みたいな奴にしょっちゅういじめられては、俺は仕返しにそいつの家まで乗り込んで行った。
俺がそいつをやっつけるところを見ると、洋平はまた憧れの眼差しで見ていた。
やっぱり兄ちゃんは凄い、なんて言って。
「兄ちゃん…、ちょっといいか?」
「あー?いいけど何だよ?」
中学生になったある日、洋平が深刻そうな声で俺の部屋をノックした。
俺はというとちょうどその時受験を控えていたけれど、頭の中は異性や遊ぶことでいっぱいの年頃だった。
だから昔ほど仲の良い兄弟、と言う感じでもなくなっていた。