結局俺の声は遠野に届くことはなく、遠野が戻って来ることはなかった。
携帯電話に電話してみても出るわけがなく、それどころか「お使いの電話番号は現在使われておりません」なんてコンピューターの女の人の冷たい声が流れていた。
もしかして俺がこんな嘘を言い出す以前に、遠野は俺と別れたかったのだろうか…。
そんな考えが浮かんでしまうのは当然のことだった。
「あ、もしもし姉ちゃんか?俺だけど…そっちに遠野が行ってないか?」
「はぁ?来てないわよ。何?あんたまた何かやらかしたの?」
しかし俺もそれだけで諦めたわけではない。
前にあいつと大喧嘩をした時、「実家に帰る」と言ってあいつは自分の実家ではなく俺の実家に帰っていたのを思い出したのだ。
もしかしたらまた姉ちゃんや義兄さんに相談をしに行っているかもしれない、少しの望みを賭けて電話してみたが、俺の実家には来ていないようだった。
「またって何だよっ!つーかいっつも何かやらかすのは俺じゃなくて遠野だっ!遠野は来てないのかよっ!俺を騙そうとして嘘吐いてんじゃないだろうな?!」
「何突然電話して来てキレてんのよっ!!来てないって言ってるでしょっ!!あたし今次のイベントに出す本の締め切り前で忙しいのよっ!!電話に出ただけでも感謝してよねっ!!」
「イ…イベントなんて言ってる場合じゃないんだって…!俺マジで困って…。」
「イベントなんてぇ?!ホモの弟の相談なんかよりあたしにとってはイベントが大事なのよっ!!」
「そ…、そのホモの弟を(何となく嫌だが事実なので認める)ネタに描いてるのは姉ちゃんだろっ!!」
「うるさいわねっ!!そういうこと言うとあんたを漫画の中でSMの刑に処するわよっ!!しかもあんたはMの方だからねっ!!縛られて打たれて色んなモノ挿入されまくってアンアン言わせてやる…フフフ…!!」
「ヒ……ッ!!」
「わかったら邪魔しないでっ!今ちょうどエロシーンに入っていいところだったのに…ブツブツ…。切るわよじゃあねっ!!」
な…なんて恐ろしい姉なんだ…。
弟のことより同人誌が大事なんて…それも俺をネタにしているなんて…!
しかもSM…俺がMの役…!!
俺の夫の座が紙面で奪われるなんて…!!
何か論点が間違っているような気はするが、とにかく俺の実家に遠野はいないことは事実だった。
そうなると後は遠野が行きそうなところと言えば…。
あいつは同人誌を「実家に送ってくれ」と言っていたが、素直に実家に帰るとは思えない。
なんせ両親公認、結婚式まで挙げようとしていたんだ。
そこまでの付き合いが終わったなんてことを、素直に打ち明けるなんてことはしないだろう。
「あれ……?うーん…あれ…?」
俺は遠野と3年も付き合って来て、あいつのことなんか何も知らなかったことに気が付いた。
あいつの友達、中学時代、子供時代…。
(考えるのが恐くて考えなかったというのもあるが)
俺と付き合ってからのあいつしか、俺は知らない。
常に俺の傍にいたから、あいつが他にどんな友達がいるかなんて、何も知っちゃいなかった。
「遠野……。」
だってあいつは、いつも俺の傍(というか背後)にいて…。
そこから離れることはほとんどなかったし、俺だってそうだった。
だからこんなことになってみるまで、何もわからなかった。
自分がどんなに遠野を好きで、必要としているかも。
痛い目に遭わせようなんて、考えてはいけないことだったということも…。
「遠野…ごめん……。遠野……っ。」
俺は一人、部屋の中で電話を片手にまた涙が込み上げてしまった。
今頃遠野もこうしてどこかで一人で泣いているのだろうか…。
それとももう俺のことなんか忘れて、他の男に走っているとか…。
あいつがホモなのは元々なのかはわからないけれど、俺なんかと別れてもいくらだって男は寄って来るはずだ。
こんな情けない奴なんかより、もっといい男が世の中には山ほどいるんだから。
「遠野…遠野……。」
その日俺は一晩中テーブルの上に伏して、遠野の名前を呼び続けた。
***
「ん……。朝か……。」
そんな俺の祈りが通じることはなく、やっぱり遠野は帰って来なかった。
出来れば夢であって欲しいとも思ったけれど、これは俺が自分で招いてしまった現実だ。
どう足掻いても夢になるわけがなく、遠野が戻って来ることももうないのかもしれない。
「はぁ……。」
俺は今まで生きて来た中で一番深い溜め息を吐いて、椅子から立ち上がった。
いつの間にか寝てしまったせいで、背中やら腰やらが痛む。
エッチをして身体が痛くなるのとはわけが違う。(当たり前だけど)
「やっぱりいないか…。」
玄関を開けて見たけれど、そこにも遠野の姿はなかった。
もしかして帰って来たはいいけれど気まずくて中に入れずにいるんじゃないか…なんて淡い期待をしてしまった俺がバカだった。
よく考えてみればあいつがそんなまどろっこしい真似をするわけがない。
あいつはいつもストレートで、そのストレートさが俺を惑わせて困らせて…でも嫌いだと思ったことなんか一度もなかった。
そういうあいつが好きだと思ったし、あいつと一緒にいられるのは俺しかいない…そんな自信まであった。
だけどあいつはそうじゃなかったということだ。
俺じゃなくても誰でもよくて……。
いや…あいつがそんなに簡単に心変わりするだろうか…?
「ちょっと待て……。」
そうだ…冷静になって考えてみればすぐにわかることだ。
俺達は3年も付き合って来て、婚約はもちろん、結婚式まで挙げようと(正確には挙げさせられようと)したんだぞ?
おまけに今はその結婚を前提に(出来ないけど)一緒に暮らしているぐらいだ。
「名取のために」が口癖のあいつが、そんなに簡単に他の男に走るだろうか?
昨日は冷静さを欠かしていた俺も、一晩経つと考えもまとまって来る。
「まさか……。」
そのまとまった考えの果てにあったものは、世にも恐ろしい結末だった。
俺に一途なあいつが俺に別れると言われて、どんな行動に出るか…。
ショックを受けたとしたらどんなことになるか…。
「もう生きている意味がない…名取、さようなら…。」
そんな遺書を遺して、天に旅立ってしまったら…?
いくらあいつが不死身に見えても、一応俺と同じ人間なんだ。
「悲劇!!同性愛の果てに…~交際相手が別れを切り出した理由とは?3年間の愛は嘘だった?許されない恋とわかっていながらも一途な思いを貫き日本海へ身を沈めた青年はあの某有名グループの御曹子!!~」
俺は週刊誌でそんな長ったらしいタイトルまで付けられてバレバレのモザイク付き写真まで載って、あることないことを書かれて、世間の冷たい目に曝されて…!!
遠野の両親には裁判で訴えられて、法外な慰謝料を払うことになって…!!
もちろん俺だけでなく俺の家族も世間に見放されて………?!
そ、そんなことになったらどうすればいいんだ…っ!!
またしても俺の妄想は暴走をし始め、顔面蒼白になって全身がガタガタと震えてしまった。
それも妄想で終わるならまだいい。
これが現実になったりなんかしたら…!!
「と、遠野…っ、どうしようっ、遠野…!」
俺の頭の中は混乱を極め、部屋の中をウロウロと歩き回るという不審な行動まで表れた。
こうしていても何も始まらない。
何とかして遠野を探し出す方法はないのか…。