「俺達…もう別れよう…。」
恋愛ドラマか少女漫画のようなこの台詞を言うのを、俺はずっと我慢していた。
多少の躊躇いや迷いがなかったわけではない。
言った時の遠野の反応を考えれば思い止まってしまいそうにもなったし、その後どんな恐ろしい仕返しをされるのか…そう思うと背筋がゾッと凍りついたりもした。
しかし俺も男だ…決断するべき時というものがある。
いつまでも何も出来ない名取、だとか小心者でビビリの名取…なんて思われなくない。
「どうしたんだ…名取…。風邪でもひいたのか?」
「ね、熱なんかねぇよっ!」
俺の額に手を当てて体温を確かめる遠野に向かって、大きな声をあげる。
そんな俺の態度に遠野はビクリと一瞬震えたかと思うと、俺の顔を覗き込んできた。
「何か俺に問題でもあるのか。」
「そんなの数え切れないほど…(小声)あーいや、そういうわけじゃないんだ…。」
「じゃあどうしてだ。どうして突然そんなことを言い出したんだ。」
「う……。」
そ、そんなに詰め寄って来るなよ…。
ただでさえ綺麗で迫力のある顔なのに、そんな真剣な目で見つめて来るなよ…。
その鋭い眼力だけで俺を殺す気か…?!
しかしここで負けるわけにはいかない。
いつも遠野に振り回されっ放しでここまで来てしまったが、今日こそは決めてみせる…!!
「名取…?やっぱり熱でも…。」
「ね、熱なんかないって言ってるだろっ!ただ無理なんだっ、もう無理なんだよ俺達…!!」
「ただ無理とはどういうことだ。今から数えるから1000文字以内で説明してくれないか。そうでないと納得出来ない。」
「えぇっ!せ、1000文字…?そ、そんな急に言われても…!だ、だいたいそんな数えるなんて…!」
「一字一句違わず記憶しながら数えるから安心してくれ。間違っていたら後で言ってくれればいい。さぁ早く言ってくれないか。」
「う……!」
しまった…勉強にかけてはこいつに不可能と言う字はなかったんだ…。
(勉強だけでなく何事も無理矢理可能にして来たようなものだが)
こいつのことだ、脳のどこかに変な記憶装置か何かが埋め込まれていて(注※それはないです)、本当に一字一句違わず記憶出来るに違いない…!
そうやって俺の言ったことを全部覚えているから、俺は今まで揚げ足を取られ罠に嵌められ、酷い目に遭って来たのだ。
「どうしたんだ?1000文字が無理なら500文字に…。」
「そ、そういう問題じゃねぇっ!!と、とにかくダメなんだよっ!もう別れるっつったら別れるんだっ!!」
もうこいつの変な思考や行動にはうんざりだ…!
そう思って何年も前から計画を立てて、決意をしたんだ。
ここで諦めてたまるかってんだ……!!
俺は色々と理屈ばかり並べてくる遠野に、ついにブチ切れてしまった。
こうすれば遠野も少しはしおらしく…俺に縋って来るかもしれない。
そう…たとえば……もやや~ん…。
(↓以下、俺の妄想)
「名取…いつもごめん。俺が悪かったよ…。」(涙を滲ませながら俺の腕を掴む)
「今更謝られてもな…。」(溜め息混じり)
「本当にすまなかった…!反省してるんだ…!だから俺を捨てないでくれ…!」(跪いて俺の脚にしがみ付く)
「ふ…どうだかな…。」(上から目線)
「何でもするから…!名取、お願いだから俺を捨てないで…っ!」(なぜか服を脱ぐ)
「ほ、ほほほ本当かっ?!何でもするのか…っ?!」(はぁはぁ…←興奮)
「本当だ…名取のして欲しいこと…言って……?」(可愛らしく首を傾けながら上目遣い)
「ぶ………!!」(鼻血火山爆発!!)
……な、なぁんてな!!なぁんてなっ!!!(テンション上がりまくりの浮かれ放題)
遠野が何でも俺にしてくれるなんて…!
こういう日を夢見てたんだよ俺はっ!
そして俺の夫の座も暫く…いや、一生安泰ってことよ!
俺はわくわくしながら目をやると、そこには想像とはまったく違う遠野がいた。
「そうか…わかった。」
「……はい?」
「別れると言うなら仕方がない。じゃあ元気で。」
「……は?!」
ちょ、ちょっと待てええぇ───…っ!!
わかった?
何だそれ…?
こういう時だけ物分りのいい台詞なんか言って…!!
仕方がない?
お前はそんな台詞で片付けられるほど、単純な人間じゃないだろう?
元気でって何だよ、卒業を機に遠くへ旅立つ友達に言う挨拶かそれは!
「この部屋も家具も名取が使うといい。手切れ金ということにしておく。あぁ、美樹さんの同人誌だけは実家に送ってくれないか。」
「は?は…?」
手切れ金って何だよ?!
俺はまだ別れるとは言ってな…いや、言ったけど!!
言ったけど…そこまで急いで出て行くだの言わなくてもいいだろう?
しかもこんな時に同人誌だと?!
俺に捨てられることより同人誌の方が大事だって言うのか?!
「短い間だったけど楽しかった。さようなら名取。」
「み、短くはねぇだろ…。」
「それもそうか?でも人生を一つのものさしとして考えるとだな…まぁいい。そういうことで失礼する。」
「ちょ…待てって遠野…!おいっ、遠野…!!」
こうして遠野は、俺が止めるのも聞かずにさっさと出て行ってしまった。
元々俺の話なんか聞く奴ではなかったけれど、まさか本当に出て行くなんて思ってもいなかった。
だって…だってこれは俺の……。
「い、今のは嘘だって…っ!嘘に決まってんだろ…っ!遠野っ、遠野おおおぉぉ───……!!」
そう、これは俺の真っ赤な嘘というやつだった。
今日は4月1日、エイプリルフールだ。
日頃遠野に振り回されている俺が、少し痛い目に遭わせてやろうか…と冗談半分で何年も前から企てていたものだったのだ。
それをまさか鵜呑みにするなんて……いや、俺が甘かったのだ。
あいつに冗談なんかが通じるわけがないことを、この3年間で嫌と言うほど味わって来たというのに…。
どうしてこんなことをしてしまったんだ…!!
「と、遠野ぉ~……。」
俺は情けない声を出して、玄関で泣き崩れてしまった。
自分がしたこととは言え、遠野を傷つけてしまったかもしれない。
あんな涼しい顔をして表情の一つも変えずにいた遠野だけれど、心の奥底ではこんな風に泣いているに違いない。
そんなナイーブな遠野を俺は嘘というもので傷付けてしまった…!
何が鼻血火山だ…俺はバカだ…、最低野郎だ……!!