「ん……?」
銀華に言われた通り手を洗ってタオルで拭いていると、いつもと台所が違うことに気が付いた。
いつもは家に入って来た途端、煮物やら焼き魚やら揚げ物やら、家庭的な匂いが漂っているはずだった。
それが今日に限ってそれらよりも甘い匂い…ちょうど砂糖が焦げたような、苦いキャラメルみたいな香ばしい匂いがする。
「あ……。」
急いでゴミ箱の中を覗き込むと、そこには大量のアルミホイルやら紙カップやら何やらが袋にまとめて入っている。
おまけに燃えないゴミ用の袋には、銀華がいつも使っている小さな鍋が入っている。
「銀華っ!銀華っ!!」
「何だ、また騒がくして…。」
「これ何?何か作った?つーかこれ…鍋、焦がしたのかっ?!」
「そ、それは……!!」
俺は慌ててゴミ袋の中から鍋を取り出すと、それは真っ黒に焦げてしまっていた。
銀華が料理で失敗するなんて…有り得ないことだ。
いや…料理で失敗したんじゃない、料理じゃないから、普段作らないような物を作ったから失敗したんだ…。
「何作ったんだ?お菓子?もしかしてホワイトデーの?!」
「ち…違う…!!」
「でもこれ…!もしかしてこれ、飴作ろうとしたんじゃないのか?このカップとか…ほら、砂糖の袋もあるし…。それにこの匂い…。」
「ば、馬鹿者…っ!ゴミを漁る奴があるか…!!」
「やっぱりそうなんだろ?これ、砂糖焦がした匂いだよな?!こんなに砂糖使ったのか?!普通料理にこんなに使わないよな?!」
「う…五月蝿いっ!!それ以上言うな…!!」
どうしよう…。
俺は今、物凄い現場にいるんじゃないだろうか。
バレンタインの時と同じ…いや、それ以上に信じられないことが起こっている。
だってあの銀華がホワイトデーのお返しなんて…しかも失敗したなんて…!!
「っていうかさ…飴作るなんて普通しねーよ…職人じゃないんだし…。」
「わ、悪かったな…!シロや志摩が余りにも五月蝿いからだ…!お、お前のせいだ…!」
「えっ?お、俺のせい…なのか?」
「そうだ…、お前は二人に電話で何やら余計な文章を送っただろう…だからあの二人が私にしつこく言って来たのだ…!」
「あー…うん、メールでそういう話はしたけど…。」
「買うまで付き纏って来るから作ると言ってしまったのだ…!そう言うしか仕方がないだろうっ、私は嫌だと言ったのにあの二人が…!」
確かに俺は、数日前にシロや志摩とメールを交わした。
だけどそれは特別なことでも何でもなくて、「ホワイトデーはどうする?」というごく普通のものだった。
俺はただ「何かお返しするつもりだ」と返したが、おそらく銀華にもメールをしていて、そこで気を遣った二人は銀華に何か言ったのだろう。
「猫神様は何かあげないんですかー」なんて声を揃えて上目遣いでしつこいぐらい。
だとしたらこれはシロと志摩のお陰だ。
俺と銀華は色んな人達のお陰でこうしていられるんだ。
「ごめん…でも嬉しい。」
「何だそれは…日本語がおかしいのではないか…。」
「うん…でもどうしよう、俺嬉しい、すっげー嬉しいよ銀華…。」
「も、もう良いと言っているだろう…!良いから飯に…わ、私は腹が減ったのだ…!」
銀華は少しだけ、素直になることを覚えた。
こうして責めれば正直にを吐き出すことをしてくれる。
それがヤケクソ気味なのは銀華の元来の性格のせいだけれど、それがまた銀華らしくて俺は好きだ。
だから俺も、同じように少しは変わらないといけない気になるんだ。
バレンタインの二の舞で、「腹が減った」なんて言われて誤魔化されるわけにはいかない。
「嫌だ、良くない。」
「な、何を言って…。」
「良くないだろ?さっき嫉妬してたくせに…。」
「…………!!」
「やっぱりそうだったんだ…。」
「お…っ、おっお前…っ、い…いいいつからそのような性悪になったのだ…っ!」
いつから?
いつからだろう…?
こんなに銀華に夢中になってしまったのは…。
そんなことは俺もわからない。
最初から夢中だったと言えばそうだし、時間が経てば経つほど夢中になったと言えばそうだ。
どちらにしても俺が銀華に夢中なのは間違いはなくて、それはこれからも続いていくんだ…。
「ご飯は後でいいよ、飴もいっぱいあるし…。」
「それはお前が馬鹿みたいに買って来たからだろう…。」
「そうだな…っていうかさ…俺、これがいい。ご飯よりも飴よりもこれがいい。銀華がいい…。」
「な…にを……ん……っ!ん………!!」
作っている間味見したせいなのかな…。
それとも元からそうだったのかな…。
腕を引っ張って無理矢理奪った銀華の唇は、それはとても甘くて美味しかった。
「俺はご飯食べるより銀華を食べる方が…、飴舐めるより銀華を舐める方が好きだから…。」
「ば…馬鹿者…っ!!何を言って…は、恥ずかしいことを言うな………ん……!!」
「いい?食べていい?舐めていい?銀華、銀華……。」
「は……っ、ふ…あ……あ………!!」
どうせダメだと言ってもするのだろう。
銀華は無言で鋭い視線を向けると、諦めたかのように俺の腕の中に身体を預けた。
俺の一番好きな、一番甘くて美味しいもの。
それはご飯でも飴でもなくて、銀華そのもの、それから銀華とする恋そのものだと思った。
END.