今年もあと残り僅かとなったある日、シロが突然また妙なことを言い出した。
「年賀状?」
「うんっ!オレ、シマに出したい!あと猫神様と~桃とか紅とか!」
「いいけど年賀葉書なんか買ってねぇぞ?もう売ってないんじゃねぇか…?」
「へっへー。これ!」
シロが得意気に差し出して見せたのは、既に裏面に色々と印刷がされた葉書だった。
お正月らしい赤や金色で刷られたそれは、見ているだけでもめでたい気分になれる。
「そんなもんどっから…。」
「今日ヨシフミさんからもらった!いっぱい作り過ぎたって。」
「へぇ…。まぁあそこは店だし知り合いも多いもんな…シ、シロ…。」
「へへー、ふふーん…。…うん?」
シロは葉書を手に、ニヤニヤしながら大きな目をキラキラと輝かせている。
そういえば俺は元々年賀状なんてものは面倒だと言ってほとんど出したことがないし、これまでに届いた数少ない年賀状も、シロには見せたことがなかった。
多分昼休みか休憩時間に、店長かその奥さんが書いているところを見たのだろう。
初めて見る年賀状に、好奇心旺盛なシロが食いつかないわけがない。
「それ…出したいんだな…。」
「うんっ!」
シロもこの人間界で暮らすようになってもう二年以上経つ。
それでもまだ知らないことばかりで、いちいち新鮮な反応を見せてくれる。
この場合もそうで、俺が許可を出すとシロは思い切り笑顔になって、早速ペンを出してテーブルに座った。
「シマ、げんきか。オレはげんきだ。かぜなおったか?あと何て書こう?」
「シロ…それじゃ普通の手紙だろ…。」
「え?あ、そっかぁ~!んじゃ何て書けばいいんだ?」
「あー…昨年はお世話になりました、とか今年もよろしくとか…。」
「おぉ~!んじゃそれにする!んっと、シマおせわになったぞ…。らいねんもよろしくだ…。」
「そうそう、そんな感じだな。」
たかが年賀状でこれほどまでに楽しそうにしている奴なんか、俺は見たことがない。
シロは文字一つ書くのにさえ、こんなにも時間をかけて考えている。
もらった方にしてみればそんなことはわからないだろうけれど、全てを見ている俺からすればもらったら嬉しいに決まっている。
「あっ、亮平っ!」
「…ん?」
俺はそんなシロの姿を見守るような気持ちで温かい視線で見ていた。
そしていつもように煙草に火を点けようとしたところ、シロの手がそれを止めた。
「た、煙草はダメなんだっ。燃えるかもしれないから…!」
「いや…燃えねぇだろ…。こんだけ離れてるし…。」
「でももしかしたら…あっ!亮平っ、机に触っちゃダメだっ!」
「はいはい…わかったよ…。」
年賀状にそこまで真剣になるシロは、眉間に皺を寄せて俺を睨んでいる。
直接葉書にくっ付けたりしない限り燃えるわけがないし、ちょっと触れただけで机が揺れるわけがない。
俺はもうそれが可笑しくて堪らなくて、吹き出しそうになるのを堪えるのに必死だ。
「よしっ!出来た~!」
「お、全部出来たのか?どれどれ…。」
それからかなりの時間をかけて、シロの年賀状は完成した。
邪魔にならないようにと部屋の隅にいた俺は、シロの声を聞いて駆け寄った。
「これがシマで~、これがミズシマ!これが猫神様でこれが洋平で~、それでこっちが…。」
「え…?同じ家にいるのに二枚出すのか…?」
「うんっ!あ、亮平、桃とか紅には届くかな?」
「いや~…人間界以外は届かないかと…ってシロ…これ…。」
二年も経つと慣れてくるもので、俺も今では「神界」だの「魔法」だの、現実とはかけ離れた世界のことも普通に話すようになった。
しかしさすがにそこに郵便が届くわけはないだろうと思い、何気なく葉書をひっくり返した俺は声を上げて笑いそうになった。
「ん?どうしたんだ?」
「いくらなんでも宛名は書かないと届かないぞ?」
「えっ!あ!!そ、そっか…!オレバカだ~!」
「シロはこういうの出したことがないもんな?住所わかるか皆の。」
「うんっ!携帯に入れてもらった…う~……。」
「何だ?どうかしたのか?」
シロは携帯の画面を見ながら、難しい顔をして唸っている。
何かの時のためにと皆に入れてもらった住所に問題でもあったのだろうか。
「これ…漢字いっぱいある…。」
「あぁ、そっか…じゃあ俺が書いてや…。」
「いいっ!オレ自分で書く!」
「そ、そうか…?」
シロはこういう時、なぜか頑固になる。
自分で何かをしたいという欲が強いと、俺はどうすることも出来ない。
そうやってシロは今まで色んなことを覚えて来たし、俺もシロの意欲や気持ちを潰したくない。
「わぁっ!失敗したー!」
「おいおい、大丈夫か…。」
「どうしようシマのやつだ…!また最初から書き直しだ~!!」
「シ、シロ…。」
シロは暫く住所の漢字と悪戦苦闘をしていたけれど、やっぱり失敗してしまったらしい。
しかもいきなり完成した葉書に書くもんだから、裏面から書き直しになってしまった。
「あー!また失敗した~!ど、どうしよう…!!」
「シ、シロ…もういいから…。」
「うっうっ、亮平~…。」
「俺が書いてもいいか?住所だけだからな?」
シロは半分泣きながら、葉書を握り締めて俺に抱き付いて来た。
ここまで努力をして報われないのが、何だか可哀想になってしまった。
「ごめんオレ…何も出来なくて…。」
「そんなことねぇだろ?ちゃんとここまで書いたんだから。来年はもっと書けるようにすればいいんだよ。な?」
「亮平~…。」
「あとはほら、これで出せるからな?」
俺がスラスラとペンを走らせるのを、シロはしゅんとしながら見ていた。
何も出来ないなんてことはないのに。
シロがこうやって努力をしている奴だとことは、俺だけでなく周りの皆はわかっているはずだ。
だからこそ皆シロを好きだし、可愛がってくれているんだ。
「そうだ、亮平…ここ…。」
「え…?」
「ここに亮平の名前も書いて欲しい。」
「え…?い、いいのか…?」
シロが指差したのは、裏面の自分の名前が書かれた部分だった。
ヨレヨレのひらがなだらけの挨拶文なのに、その名字だけはしっかりと漢字で書かれている。
「へへっ、出来た~。」
「じゃあ出しに行くか。」
「藤代シロ」と堂々と書かれたその名前の下に、俺は自分の名前を小さく書き足した。
それはまるで俺の方が嫁に行ったような書き方だったけれど、俺は何だか幸せな気分になってしまった。
それから「シロ」が微妙に「ツロ」に見えたのが可笑しかった。
「うんっ!」
「ついでに買い物でもしてくるか!餅食いたいだろ?」
「うんっ!食いたい!」
「よし、じゃあほら、出掛ける準備するぞ。」
俺はもうすぐシロと、三度目の年を越そうとしている。
初めての年越しの時に食べさせたやった餅をシロは相当気に入って、以来毎年恒例になっていた。
来年もこうして年を越せるようにと祈りながら、葉書を握り締めコートを羽織ると、シロの手を引いて家を後にした。
END.