隼人、おかえり、おかえりなさーい!
ドアを開ける前でも、部屋の奥からはそんな声が聞こえてきそうだ。
俺が帰ると一目散に走って来て、抱き付いてキスをして…。
そんな志摩の「お帰りなさい攻撃」にももう随分慣れた。
慣れるどころか今ではないと物足りなさまで感じるようになってしまった。
始めはあんなに嫌がっていたのに、なんだか自分でも可笑しくなってしまう。
「ただい…。」
俺はいつものようにドアを開けて、その志摩を待った。
ところが今日に限って志摩の声…いや、足音すらしない。
どこかへ出掛けるのなら連絡が来るはずだし、第一部屋の明かりを点けっ放しで出掛けることなんて…ということは過去にあったかもしれないけれど、この日に限ってそんなことをするわけがない。
自分から言い出しておいてすっぽかすなんて、いくら馬鹿な志摩でもしないだろう。
俺はそろりと部屋の中に入ると、目にした光景に呆れてしまった。
「………。」
記念日だと張り切って作ったのか、テーブルの上には隙間もないぐらい料理が置かれていた。
そして呆れて言葉も出ない俺の目の前には、大きなダンボール箱がある。
そう、ちょうど子供が入れるぐらいの…。
「はぁ……。」
俺は大きな溜め息を吐いて、それを上から見下ろした。
よく見るとダンボール箱はもぞもぞと動いていて、明らかに誰かが入っているのがわかる。
誰かも何も、この場合志摩しか有り得ない。
「………。」
志摩は多分、それを不審に思うかプレゼントだと思うかで開けた俺が驚くのを狙っていたのだと思う。
だけど俺がそんなものを見て「びっくりしたー」だの何だの言って喜ぶような奴ではないことは志摩がよく知っているはずだ。
それにもかかわらずそんなことをする志摩は馬鹿で、いじらしく思えて…そして意地悪をしたくなってしまった。
どうしてそこで意地悪をするのかは自分でも不可解で、自分でも嫌な奴だと思う。
だけど俺はどうしてもこういう時に志摩が泣く顔が見たくなってしまう。
しゅんとして泣いて、その後たっぷりと甘やかしてみたくなる。
それは俺の我儘だということもよくわかってはいるけれど、今のところやめることが出来ないらしい。
俺はダンボールに気付かない振りをして、着替えを済ませてからテーブルに着いた。
志摩はその間もずっとダンボールの中でもぞもぞと動いていて、これで気付かない奴がいたら逆に表彰ものだと思った。
そして暗闇で俺を待っている志摩のことが少しだけ可哀想になってしまった。
俺みたいなひねくれ者を好きになったせいでこんな意地悪をされているんだから。
「…もしもし?そっちに志摩行ってないか?」
俺の意地悪はエスカレートし、かけてもいないのに電話をする振りまでしてしまった。
こうすればきっと志摩は「ここにいるー!」と慌てて出て来るだろう。
そしたら俺はそんな志摩を馬鹿だと笑って、泣いている志摩を黙って抱き締めてやるんだ…。
「そうか…わかった…。」
しかし俺の予想に反して志摩が出て来ることはなかった。
それどころかダンボール箱の中で鼻を啜る音が聞こえて来て、俺の方が焦って箱を開けてしまった。
「志摩っ…ごめ…。」
中でガムテープまで貼っていたせいか、べリッという大きな音がして、しゃがみ込む志摩が見えた。
今のは俺が悪かった。
完全に俺がやり過ぎた。
こんなことで泣かすなんて最低だ。
反省と焦燥の思いで志摩を抱き上げようと手を出すと、当の志摩は真夏の時みたいな薄着で鼻水を垂らして俺を見上げていた。
「隼人ー…寒いー…。」
「な、何やってるんだ…。」
「あのね、この中暑いと思って着替えたの…でも寒くて…。」
「そうじゃなくて…っ、な、何やってるんだって言ってるんだよっ!」
俺は一瞬絶句してしまって、その後上手く言葉が出て来なかった。
そして心配して損したと思っているのか志摩に騙されたと悔しがっているのか、大声を上げてしまった。
「ごっ、ごめんなさいっ!隼人ごめんなさいーっ!」
「あ…いや…。」
「あの俺っ、ちゃんとここ開けてって書けばよかったと思って失敗したなぁって反省してて…。」
「え…?」
「隼人が帰って来たの気付いてて、でも隼人は気付かなくてどうしようって思ってたら寒くなってきちゃって…。俺ってどうしてこんな失敗ばっかりするんだろー…!」
「ぷ…。」
俺はもう何が何だかわからなくて、何を言えばいいのかわからなくて、もう吹き出すしかなかった。
だって結婚記念日なんて勝手なことを言って勝手なことをして…泣いているのかと思えば寒かっただなんて…。
おまけに俺が気付いていないと思っていただなんて…馬鹿にも程がある。
他にどういう態度を取ればいいのか、わかる奴がいたら教えて欲しいぐらいだ。
「あの…隼人?どうして笑ってるの?」
「うん……、好きだなーと思って…。」
「えっ!!あ、あのっ!あっ、そうだ!ご飯!ご飯食べよー?俺いっぱいご馳走作っ…。」
「いい…。」
普段はベタベタ引っ付いて離れないくせに、こういう時になると志摩はすぐ逃げる。
俺がいつもは言わないことを言うと途端に恥ずかしがってしまうのだ。
そういうところがまた好きだなぁなんて思ってしまうんだから、俺はかなりの重症かもしれない。
「あのっ、でも…。」
「志摩がいい、志摩が食べたい…。」
「えっ!!あのっ俺を食べるってあの…っ!わっわっ、隼人っ!」
「もうそろそろわかれよ…志摩とセックスしたいって言ってるんだよ。」
「あのでもっ、ご飯…。」
「俺をプレゼント、っていう意味じゃなかったのか?わざわざあんなダンボール箱まで準備して…。」
床に押し倒されて真っ赤になった志摩は何も言えなくなって、口をぱくぱくとさせていた。
俺はそんな志摩が余計可愛くなってしまって、言葉通りご飯よりも前に志摩を頂いてしまった。
その数日後、俺はまたあの花屋の前にいた。
あの後花束を見た志摩があまりにも喜んでくれたもんだから、柄にもないことをもう一度ぐらいはしてもいいなんて思ってしまったのだ。
志摩の泣き顔も好きだけれど志摩の笑顔も好きで、結局俺は志摩なら何でもいいのだと思う。
「あれー?水島くん、ホントにまた来てくれたのか?」
「あ…どうも…。」
俺はまたよそよそしい挨拶をしながら、数日前と同じ顔に出迎えられた。
水仕事をしていたのか、藤代さんの弟は店のロゴ入りエプロンで手を拭きながら出て来た。
「よかったなぁ、この間は志摩喜んでくれて。」
「…え??」
「あ…、ごめん、気になって志摩にメールしたら教えてくれて…。」
「そ…そうか…。」
「志摩に高そうな指輪までやったんだろ?すげーカッコいいことすんなぁ。」
「あ……いや……。」
そう、俺は自分から勘弁してくれと言ったのに、結局指輪まで渡していたのだ。
もちろん志摩は予想外のことに大喜びで、シロにも自慢げに話していたみたいだったから、ここまでは想像が出来ていた。
しかしその後も藤代さんの弟は頭を掻きながら俺の顔をじっと見ていた。
まさかとは思うけれど…いや、志摩ならやりそうだ…。
俺は何だか嫌な予感に駆られ、その先をおそるおそる聞いてみようかどうか迷っていた。
「いやぁ、水島くんって結構凄いこと言うんだなー…。はは、俺驚いたよ。」
「そ、それはどういう…。」
そんな俺よりも先に、藤代さんの弟が頬を赤くしながら先に口を開いた。
嫌な予感は的中したとすぐに気が付いて、俺は手にじんわりと嫌な汗をかいていた。
「志摩を食べたい、だなんて……俺も今度使っていい?」
「────…!!」
まさかそんな細かいことまで言っていることまでは心の準備が出来ていなくて、俺の心臓は驚きで止まりそうになってしまった。
それとは逆に俺の耳元で目を輝かせている藤代さんの弟は、やっぱりあの藤代さんと紛れもなく兄弟なんだと思った。
そして俺は今日もまた家に帰って、このことで志摩を叱って落ち込ませては甘やかす。
そんな日々の繰り返しの中で来年も、その先も、毎年記念日が来るといいと思った。
END.