「あの夏の、忘れ花」【2】
「あの夏は、幻。」シリーズ ざくざくと、雪の道を歩く音がする。
除雪はしているものの、都会暮らしの人間にとって雪道は歩き難いことには違いなかった。
それでも今日は降ってはいないからいい方なのだろうか。
時々すれ違う人達はみなここの土地の人で、千秋よりかはだいぶ歩き慣れているようだった。
風は頬を切るように冷たくて、こんな中霊は降りてくるのかと思うと、なんだか大変そうだなぁなんて妙なことを考えてしまった。


「……あ。」

この土地の人々が眠る墓場まで着くと、そこにはきみ江の家にあった飾りと同じような飾りが目に付いた。
その他にも祭壇を立てて、本当に夏のお盆みたいに色々載せたりしているのもある。
こんな冬にこんな田舎で、どこから買って来たのかはわからないけれど、中には花まで飾ってある家もあって驚いた。
何もないところなのに、ここだけがまるで賑やかな街みたいだった。
下は砂利道なのだろう、時々石や砂が混じっている道を千秋は進んだ。
母親の名字と同じものが書かれている墓を見つけると、その左側へ三つ目の墓を探した。


「遅くなって…ごめん。」

「佐藤家」という文字を確かめると、千秋の口から自然に言葉が零れた。
普段は雪で埋もれているだろう墓も、この時だけは綺麗に取り払われていて、迷うことなく見つけることができた。
まだそんなに古くない木の墓標に、夏という字を含んだ戒名を見つけた。
刻まれた墓石には同じく戒名と、それからはっきりと夏生の名前を見つけると、千秋は胸が締め付けられるような思いに駆られた。


「元気だったか…ってのは変だよな…。」

それでも元気でいて欲しかった。
あんな顔をしないで、向こうでやっているといいと思っていた。
そうしたら自分も、元気でやって行ける気がしたから。

千秋は墓石の名前をそっと指先でなぞった後、きみ江に借りた巾着袋を開いた。
持って来た蝋燭に火を灯して線香に火を点け、一度小さな炎を上げたのを確かめて、掌でそっと消した。
溶けてゆく蝋を香りに混じって、線香の独特の香りが漂って酔ってしまいそうだった。
本当は、綺麗な花も持って来れたらよかったのだけれど。


「夏生…。」

ずっと来れなくてごめん。
あの時好きだって言えなくてごめん。
見つけてやることしかできなかった俺を許して欲しい。
祈りを込めながら手を合わせると、そこがじんわりと温かくなった。


「どうしてなんだ…。」

どうして夏生だったんだ。
どうして夏生を連れて行ってしまったんだ。
夏生本人も「なんでだろうな」と言っていたのを思い出して、千秋の瞳に涙が滲む。
いきたくない…そう言って消えてしまったあの身体を、返してくれよ…!


「夏生……っ。」

ぐらりと千秋の視界が歪んで、雪の上に崩れるようにしてしゃがみ込んだ。
転ばないようにと支えた掌が、衝撃と冷たさで痛い。
もし今誰かが来ても泣いているところだけは見られないようにと、千秋は膝の上に顔を埋めて暫く蹲っていた。





…き、千秋。

「…え……?」

どうすれば治まるのかわからない悲しみに、どうしようもなくなっていた時だった。
背後から、自分の名前を呼ぶ声がする。
あの消えそうな、好きな人の声だ。


「なつ…っ。」

…振り向かないでくれ。

「夏生…?」

…振り向いたら、千秋の顔を見てしまう。
そしたらきっと、触れたくなるんだ。
絶対にできないことをしたくなる。
だからお願いだから、振り向かないで欲しい。

もうすぐで夏生に会えると、その顔を見れると思った瞬間、 千秋の身体は金縛りのように動かなくなってしまった。
絶対にできないこと…。
肉体のない夏生に触れることは、できない。
それができないなら、自分も振り向かない方がいいと千秋は思った。


…千秋、ありがとう。
来てくれて、ありがとう。

「ごめん、遅くなって。」

…それはさっき聞いた。
気にしなくていいんだ。
来てくれて俺…、嬉しいよ。

「げ、元気…だったか…?」

…あのさ、俺、大丈夫だよ。
千秋に最期、見つけてもらったから。
だからもう悲しまないでくれよ。
何もできなかったなんてことはないんだ。
俺、千秋と話したの楽しかったし、見つけてくれただけでいいんだ。
なぁ、だから頼むよ…。

「うん…。」

…あのさ、俺、ずっと言いたいことがあったんだ。
言ったら千秋は困ると思ってあの時言えなかったんだけど。
でも多分千秋も同じ思いだと思ったから…。
だから言ってもいいかな…。

同じ思い。
あの時自然にキスを交わしたのは、その場の雰囲気に流されたわけではなかった。
それは自分でもなんとなくわかっていた。
だけどあの状況で、お互いに言うことのできなかった言葉だ。

…千秋が好きだった。
だからいきたくなかった。
でもお願いだから、俺のことを引き摺らないでくれ。
この先ちゃんと好きな人、作ってくれよな。
俺がいなくなったのは、お前のせいでもなんでもないんだから。


「でも……っ。」

もしも時間が戻るならば…。
千秋はそう願わずにいられなかった。
絶対にそんなことは出来ないとわかっていてもだ。
もしも時間が戻ったら、夏生を助けることが出来たはずだ。
そしたらちゃんと、抱き締めることもできたのに。
お願いだからあの夏、あいつがいってしまう前に時間を戻してくれ。
そしたら俺はちゃんと、好きだって言うんだ。
そう、今この瞬間みたいに…。


「夏生…っ、俺もす……。」

思わず振り向いたその時、強い風が吹いて飛ばされそうになった。
吹き荒ぶ雪に千秋はぎゅっと目を閉じて、暫く雪上に身体を伏せてその場で動けずにいた。


「夏生…、俺も好きだよ…。」

やがてその風と雪が止み始めて、千秋の身体に優しく降り積もる。
果てしない空へ手を伸ばしてその白い雪を掴むとなぜか冷たくなくて、不思議に思って掌をそっと開いた。


「え…?花……?」

小さな白い花が次々に舞い落ちて来て、千秋はこれこそが幻なんじゃないかと思った。
瞼をごしごし擦って現実なのか確かめようとするけれど、急にやってきた眠気に襲われてもっと動けなくなってしまった。
ダメだ…、こんなところで寝てしまったら…。
平地で遭難なんて冗談にもならない。
でももう眠くて…眠くて……。


「夏…生…、好き…だ……。」

聞いてくれたか?俺の思いも。
聞いてくれたよな。
だって今、お前は俺の目の前で思い切り笑っただろう?
そして横たわった俺に、優しくキス…してくれたよな…?


「千秋…。」

そう、そうやって耳元で俺の名前を呼んで。







「…千秋っ、千秋っ。」
「……ん…?あ…あれ…?」
「あぁよかった、心配したんだよ。」
「あれ…俺…??」

気が付くと、千秋は温かい布団の中にいた。
俺…確か墓に行ってたよな…。
いや、絶対行ってた…、夏生に会いに行ったんだ…。


「まったく、雪の中で居眠りなんて何考えてるんだいっ?」
「い、居眠り…?」
「そうだよ、まったく心配かけてこの子はっ。」
「居眠りか…。」

あれはやっぱり夢だったのか…?
本当に居眠りしていたとしたら、なんてバカなことをしていたのだろう。
この雪の中眠ったりしたら死ぬかもしれないって言うのに。
きみ江が怒るのも無理はない。
それでも夢だと思えないのは、キスされた頬が熱いからだ。
今上がっている熱のせいじゃないことは自分が一番よくわかっている。
薄いけれど柔らかい、夏生の唇の感触が鮮明に残っているから。
自分の名前を呼ぶあの声が、耳の奥で今も響いているから。


「千秋、あんたどこに行ってたんだい。」
「え…、墓場だけど…。」
「おかしいねぇ…、ほらこれ。」
「え?何が…?」

きみ江が皺だらけの掌に載せて差し出したものを見た時、千秋は息を飲んだ。
心臓が急に早く打ち始めて、余計熱が上がりそうになった。


「あんたのコートにたくさんくっついてたんだよ。これは夏にしか咲かない花なんだけどねぇ。」

掌に載った、白い小さな花。
あの時降って来た、夏の忘れ花。
不思議そうにそれを見つめるきみ江の掌から、千秋はそれを一つ摘んで天井に向かって翳した。


「すごいな、本当だったんだ…。」

そんなことを呟く千秋に、きみ江はますます不思議そうな顔をする。
白い花は今咲いたかのような香りを放っていた。
これはきっと、夏生が降らせた夏生の心の花だと思った。
あの夏に星が光ったみたいな、「ありがとう」の思いだ。


「ばあちゃん、今度こそ俺夏に来るよ。」
「なんだい突然。」
「この花…、夏に咲くんだろ?」
「そうだねぇ、夏の方が雪もないしいいと思うけどね。」

それなら夏に、この花を見に来ようと思う。
夏生がくれた、この花を見に。
忘れ花じゃなくて、一番綺麗に咲く夏に。
そしたらきっと、夏生も喜んでくれるよな…?


「じゃあ夏に絶対来るよ。」

夏生、聞こえるか。
お前の思い、受け取ったから。
今度は俺、ちゃんと夏に会いに来るよ。
この花のお返しに、あの時思い切り笑ったお前に似合いそうな大きな向日葵を持って。






END.
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