「あの夏の、忘れ花」【1】
「あの夏は、幻。」シリーズ あれから…恋した人と別れてからもう一年半が過ぎていた。
あの時通っていた高校ももうすぐ卒業して、この春からは地元の大学へ通うことになる。
新しい生活になる前に、その前にどうしてもやりたいことがあった。
そうしなければいつまで経ってもあいつとのことを、悲しい思い出としか記憶できずに生きて行くことになる。
忘れなくてもいい。
忘れる必要などはない。
だけど自分が毎日こんな顔をして生きていると知ったら、あいつはまた悲しい顔をしてしまうかもしれない…。


「うわ、寒い…。」

一年半振りに祖母のきみ江が住む田舎へ、千秋は休みを利用して出掛けた。
夏はあんなに暑かったのに冬は冬で寒いなんて、住み難いところだ…。
それでもきみ江はこの場所が好きだと言う。
夏に訪れた時は確かにそれも理解できたけれど、こうも寒いと知ったらやはり自分の住む街の方がいい。


「千秋、よく来たねぇ、寒かったろう?中へお入り。」
「寒いなんてもんじゃねぇって。雪は積もってるしさぁ。」
「なんだい情けないねぇ、まだ若いってのに。」
「若くても寒いもんは寒いんだよ…。」

歓迎したと思いきやすぐに説教めいたことを言い始めるきみ江に、千秋はブツブツ文句を言いながら玄関で荷物を置いて靴を脱いだ。
相変わらず孫の顔を見ればこれだもんな…。
それもばあちゃんらしいと言えばばあちゃんらしいよな…。
あぁ…でも前より腰が曲がったかもしれない…。


「お茶でも飲んで温まるといいよ。」
「えー、茶ぁ?カフェオレとかないの?せめて紅茶でも…。」
「そんなこじゃれたもんなんかないよ。お茶で我慢おし。」
「こじゃれたって…。」

コーヒーと牛乳があれば簡単なのはできるだろ…。
紅茶だってティーバッグがあれば…。
いくら田舎でもそれぐらいは売ってるだろ。
たとえば小さな商店とか…そう、あの半分壊れた自販機がある…。

あの自販機は、まだあるのだろうか。
お金を入れても叩いても、商品が出て来ないという壊れているとしか思えない煙草の自販機。
実はその自販機は、叩くコツがあってそうすると出てくるという、近所では有名なものだった。
その秘密を教えてくれたのは、あいつだった。

夏生。夏に生まれるで夏生。夏生まれだからって…安易だよな。

絶対来ると言っておきながら千秋が夏に来なかったのは、あのことを思い出してしまうからだった。
蒸し暑い夜なのに、掴むと冷たかったあの腕。
笑いながらも寂しそうだった瞳や、消えそうな声。
蒼白く光った後透明になって、本当に消えてしまったその姿を。
今でもその記憶が蘇って、きみ江に出されたお茶が冷えた身体の奥底まで滲みる。
温度に一番差があるからまだマシだと思ったけれど、冬に来ても思い出すものは思い出すのだということが今更わかってしまった。


「あれ…?何やってんのばあちゃん。」
「あぁ、祭事の支度だよ、ちょうど今日明日にあるんだよ。」
「祭りぃ?こんな冬に?!」
「そうだよ。」

何もこんな寒い中に祭りなんかやることはないのに。
でも雪祭りだとか地方によっては冬にしかできない祭りもあるのか…。
だけどこんな何もないところで一体なんの祭りなんか…。
きみ江が玄関や色んなところへ紙でできた飾りを飾って行くのを、千秋は不思議そうにしながら見ていた。


「祭事って言うのも変だけどね。慰霊祭って言えばいいのかねぇ…。」
「慰霊…。」
「お盆っていうのがあるだろ、あれを冬にやるようなもんだねぇ。」
「そうなんだ…。」

慰霊の祭事なんて…。
そんな時期に来たのは失敗だったかもしれない。
余計気分が沈むようなこと…。
お盆と似たようなものなら、亡くなった人の霊が自分の家に戻って来たりするんだろうか。
たとえば夏生も…。


「………。」

もしまた夏生に会えたら。
姿は生身の人間と違っても、会うことができたなら。
そしたら今度こそ「好きだ」という言葉を言えるだろうか。
いや、そんなことがあるわけがない。
あってはいけないんだ。
きっとまた、別れた後沈んだ日々を送ってしまう。


「千秋、なんだいぼーっとして。暇なら手伝っておくれよ。」
「はいはい、早速それかよ…。」

期待はしない方がいい。
期待はしてはいけない。
あの時は本当に偶然で、あんなことはもう起こらない。
仮に起きたとしても、その先などないのだから。
脳内を過ぎる思いを打ち消しながら、千秋はきみ江の元へ飾りを持って向かった。


「そういえば、近くにコンビニができたんだよ。歩いて7分ぐらいかねぇ。」
「へぇ…そうなんだ。7分ならまだ近いかも。」
「いつでも行けるじゃないか。」
「うん…でも別にいいや。」

紙でできた飾りは、色んな形をしていた。
花や雪や、自然のものなどを模った形で、この土地の昔ながらの職人が作るらしい。
それはただ紙を切ってくっ付けているようにも思えるけれど、作るとしたら難しそうだった。
立体的なものもあって、それはかなり技術を要するときみ江も言っていた。


「あんなにコンビニコンビニって言ってたのにねぇ。」
「うん…。でも煙草やめたし…元々吸っちゃダメなんだけど。」

今度来るまでにはやめる、千秋がそう言ったことをきみ江はちゃんと覚えていた。
ホッとしたように微かに笑みをこぼして「そうかい」とだけ呟いた。
一通り飾りを付け終わると、千秋は元いた居間に戻って炬燵にどっぷりと潜った。
出掛けるのは明日にして、今日はゆっくり疲れを取ろう…。
千秋は溜め息を洩らしながら、いつの間にか炬燵でうとうと眠ってしまっていた。







「ばあちゃんあのさ、聞きたいことがあるんだけど。」

炬燵で眠っていたのを怒られて、客間に敷かれた布団でぐっすりと眠った翌日のことだった。
午後になろうとしているのに居間に来ないのを、きみ江に叩き起こされた。
千秋は眠い目を擦りながら、なんとか支度を整えた。
いざ行動に移ろうとすると眠気なんかはぶっ飛んで、緊張するものだと思った。


「なんだい。」
「佐藤さんの家のお墓って…どこにある?」
「佐藤さん…?」
「あの…ほら、いただろ、高校生で…。」
「あぁ…、夏生くんのことかい…。」
「うん…、そう…。」

夏生という名前を聞いて、千秋は一瞬胸がちくりと痛んだ。
きみ江もまたそのことを思い出したらしい。
実際きみ江は夏生の葬儀にも行ったし、もちろん夏生のことはよく知っていたからだ。
地元で発行されている新聞に小さく載った夏生の写真を、まともに見ることができずに伏せてしまっていたところも千秋は見ていた。
こんな小さい記事で終わるなんてね、そう言って肩を落として。


「佐藤さんとこならうちの三つ左だよ。」
「そっか、ありがとうばあちゃん。」
「千秋…、気を付けて行って来るんだよ。」
「うん、わかってるよ…。」

二人の間で何とも言えない空気が流れた。
「気を付けて」夏生の家族もそう言ったに違いない。
だけど夏生はあんなことに巻き込まれて…。
あの新聞の文を思い出して、思わず涙が出そうになる。
せめて人前では泣かないようにしようと、千秋は急いできみ江の家を出た。
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